彼女との出会いは運命だったのだとあたしは思ったし、今でも思っている。学校帰りに連続通り魔と遭遇してしまって、あたしは必死に逃げていた。片手に持っている包丁がギラリと光るたびに怖くなって、ぼろぼろと涙をこぼし情けない泣き声を上げながら、助けて助けてと叫びながら走って逃げていた。その時、彼女が颯爽と現れてその通り間からあたしを助けてくれたのだ。武道系の習い事をしていたわけでもないあたしだけど、彼女がとても強い人なのだと言うのは直ぐに分かった。
 犯人を沈め、一緒に居た彼女の友人と小さな男の子が警察に電話をしている中、彼女はあたしを気にかけてくれた。そんなあたしは、腰が抜けてへたり込んでいて、情けなくもぐちゃぐちゃの泣き顔でとても人に見せられるものではなかったのだけれど。
 とにかく、あたしの大ピンチを運命の気紛れが助けてくれたのだ。命の恩人。優しい表情で、しかも彼女はとっても美人さんで。大丈夫?と掛けてくれた声も、優しい落ち着くような素敵な好みの声で。完全に惚れてしまった。ヒトメボレってやつだ。それこそ運命なんじゃないかと思った。
 一緒に向かった警察署で、さらに惚れた。転んでドロドロになってしまったセーラー服の上着を隠すようにと、ブレザーの制服を貸してくれたときは、ちょっと興奮のあまり心臓が壊れるんじゃないかと思った。倒れるんじゃないかと思った。だって彼女の匂いがいっぱいついてる。ヤバイ。ヤバイよ。死んじゃう。鼻血で出血多量で死んじゃう。幸せで死んじゃうよ。

 事情聴取も終えて、あたしは念のためにパトカーで送ってもらえることになって、彼女にブレザーを返した。それを受け取った彼女達が、じゃあ、と立ち去ろうとしたのを無理矢理引き止めた。ヒトメボレって、怖いね? 疑問気な顔をした彼女に、あたしは公衆の面前にも関わらず告げてしまった。大真面目な顔をして、顔を真っ赤にして、一言。喉はカラカラで、体中の血が沸騰しそうなほど体が熱かった。若さって言うのもあったのかもしれない。いや今もその時も同じ年齢なんだけどさ。でも勢いって言うのもあった。ここを逃したら一生後悔する。そう言う気持ちが大きかった。

「あなたが好きです。付き合ってください!」

 さっきまで話していた警察官さんや、後ろに居た彼女の友人さんと小さな男の子がぎょっとした視線を向ける。しかしそれがざわめきに変わる間も与えず、彼女は少し慌てたような表情をして、少しだけ悩んでから申し訳なさそうに眉を下げた笑みを浮かべて、

「ありがとう。でも、ごめんね?」

 初恋、ヒトメボレ、告白、そして玉砕。全てが1時間以内の出来事だった。



「蘭さんお疲れ様です! 一緒に帰っても良いですか!?」
「うん、良いわよ」
「園子さんも宜しいですか!?」
「良いわよ〜いつものことだもの」
「さぁコナン君帰ろうか」
「ちょっと? なまえお姉さん?」

 これから下校ですか? それでしたら是非! 一緒に帰りましょう!
 彼女の両手を包み込むようにして、私も両手で握って彼女の目を見つめる。彼女はハハッ…と小さく笑みを浮かべながらも、頷いてくれた。
 あぁ、今日も大変麗しいです蘭さん!
 ほう、と息をこぼして頬に手を添える。太陽の光の輝きによって輝くサラサラの黒髪。優しい笑顔。きらきら宝石のような瞳。あぁ彼女こそこの世に生まれしヴィーナス……。
 なまえお姉さん? と下の方から声を掛けられる。ハッとしてそちらを向けば、私のライバルの一人、コナン君だ。彼はじとりとした目つきで私を見ている。私はにやけてふにゃふにゃの表情筋にキュッと力を込めてキリッとした顔にする。ライバルにあんな顔を見られるとは、不覚。
 あの日からあたしは、彼女にラブコールを続けている。私の学校は女子校で、かっこいい女の子に憧れる子がいたりするので、私みたいなこのような感情を持つ人も多くはないが全く居ないという訳ではない。そして友人に今回の恋の相談をしたら、友人は気持ち悪がることなく話を聞いてくれる。ただし、あたしの熱烈っぷりには少し引いているようだが。フラれたのに、それでもずっと追いかけ続けアピールをし続けているあたしを面白おかしく見ている感は否めない。
 街中で見かけたら声を掛けるし、彼女に了承を得て空手の試合も見に行くし、彼女に了承を得て帰りを待ってみたりもする。友人には、ストーカーの一歩手前だよと言われたけれど、違う、違うもん! 私は許可を得ているもん! 法的違反はまだしてない! 予定も無いよ安心してよ!
 てゆーか、実際今だって一緒に登下校もらえてる仲だし。あたしたちはれっきとしたとっとととと友達だ! 本当は恋人と叫びたいけど、恋人には慣れていないから言えない。悲しい。兎に角友達なのだからなんの問題もないじゃないか。友達が居たら、声掛けたっていいよね。
 蘭さんに少しでも意識してもらいたくて、少し可愛いヘアピンを付けてみた。髪の毛をアイロンで頑張って真っ直ぐサラサラにした。少し良い匂いのするコロンをそっとつけてみた。ウル艶になると言うリップクリームもこっそり塗った。中学生だから化粧は禁止されているから、ばれない様に、ばれない様に…! 友人にも気づかれない些細なことだけど、蘭さんは気付いてくれたの。可愛いね?良い匂いだね?って言ってくれるの!!
 あー!! やっぱり蘭さんは綺麗な人だ。うっとりと見つめているとコナン君眉をひそめられたけれど。あぁ、彼女の空手で吹き飛ばされてみたい。

「なまえお姉さん、いつまでも諦めないね」
「出たな。あたしを諦めさせようだなんて、無理な話ですよ」

 彼に向かって見様見真似の構えのポーズをしてみる。アチョ〜! なんてやってみれば彼にあきれ顔をされるので、小さく咳払いをしてから威厳を見せるために、ふん、と腕を組んでふんぞり返る。
 恋する乙女は最強なのだ。無敵なのだ。

「……蘭姉ちゃんにフラれたのに」
「自分に正直なの。自分の気持ちを伝えたかったの。好きも言えない君には難しかったかなぁ〜?」

 べっと舌を出して威嚇。彼はくっ、と悔しそうな顔だ。
 ふふん、蘭さんは高校2年生で17歳。私は中学1年生で13歳。君は小学1年生で7歳! 年齢的には圧倒的に有利! 最近年齢差カップルも人気だけれど、君はまだまだお子ちゃまだ。
 へへん言い返してみなさいよ〜と表情で言ってツンツンと彼の額を人差し指で小突く。彼は額を手で押さえながら、それでもふふんと少し強気な表情だ。

「そもそもお姉さんは女の人だもん。僕の方が有利だよ」
「差別で〜す! それは差別で〜すべろべろば〜!」
「ガキかよっ!」
「君よりは大人ですが〜〜〜???」
「コナン君となまえちゃん仲良いわね」
「えへへ、ありがとうございます!」

 それでも、私は蘭さん一筋ですから安心してくださいね。
 語尾にハートが着く声色で言いながら、蘭さんの腕に抱き付く。まだまだ中学1年で胸も何も成長していないけれど! えいえい! 誘惑だ!
 そんなあたしを見て、園子さんは面白そうに笑みを浮かべてこちらを見ている。蘭さんはそんな園子さんを見て少し苦笑いっぽいけれど。それでも私を嫌わないでいてくれる優しい貴方が本当に大好き!

「蘭、新一君が見たら嫉妬しちゃうんじゃない?」
「も、も〜! 新一は関係ないでしょ」

 むー、またそうやって"新一"、"新一"、コナン君もたまに口を開けば"新一兄ちゃん"! あたしの初恋かつ片思い、いつかは叶うと信じてるけど(だって信じていれば夢は叶うって大好きな歌が言っていたもの)、さすがに心が折れちゃいそうにもなる。
 ぎゅっ、と蘭さんの腕を握る体に力がこもる。
 新一という人は知っている。だって有名だもの。高校生探偵だっけ? 数々の事件を解決して、新聞にもニュースにも載っている。だけれど、最近は全然話題にもなっていなくて、ネットでは死亡説も出ているくらいだ。
 あたしは知っている。
 蘭さんは、その新一さんが大切で、大好きな彼を信じて待ち続けている。知っているの。どこか察していたし、分かってた。彼女は、大切な相手が居るんだって。ずっとずっと思い続けている相手が居るんだって。だって、その相手を考える表情は、まさしく恋する乙女なんだもの。
 あたしは、そんな彼女の心の強さに惚れたの。正義感が強く優しい彼女の人柄に更に惚れたの。
 そっ、と彼女の腕に絡めていたあたしの腕を離す。彼女がそれに気付いたのか、どうしたの? とあたしの顔を見て問う。こうしてしつこい気持ち悪い女に、こんなに優しくしてくれるんだ。彼女は本当に、本当にぃ〜!! そういうとこだぞ〜!!!

「すみません、用事思い出しちゃいました。お先に失礼しますね!」

 えへへ、へらり、と笑みを浮かべて小走りで彼女達から離れて、少し距離を空けてから全速で走った。後ろからコナン君と園子さん、そして蘭さんが声を掛けてくれていたのは分かっていたけれど、聞こえないふりをして走った。

 暫く全力で走って、誰も居ない近所の公園のベンチに腰かける。そして膝の上で握りしめた拳に、ぽたり、ぽたりと滴が落ちていく。肩も震えて、汚い嗚咽も堪えられなくなってくる。乱暴に涙を拭おうとぐしぐしと手を目に押しあてる。
 初恋は叶わないなんてよく言う。だけど、本当に、どうして、こんなにしんどいのか。きっと初恋は小さなころの話で、それは小さい子だから恋愛まで行かないから叶わない。そういうことなんだろうとあたしは思ってる。だったらあたしは何だよ。中学1年生だぞ。大人に近づいてきたじゃないか! 今まで好きな人が出来なかった私の為に、そんなジンクス、今回だけでもないことにしてよ神様! あぁ神様の馬鹿野郎!
 なんて…そんなの、あたしの我儘。だってあたしは、最初から彼女の世界の外の人間だ。出会ったばかりのただの小娘。彼女からすれば懐いてる犬や猫みたいなものだろう。いやそこまで行っているかも謎かな。さっき通りすぎた人とか、同じカフェにいた人とかがどんな顔してるかなんて知ったこっちゃないように。あたしごときの喜怒哀楽が、蘭さんを動かすことなんて出来ない。だからこんな感情、全部あたしの我儘で、独り善がり。あたしが全部、悪いんだ。

 あーあ、どうして彼女を好きになっちゃったんだろう。恋って、呪いだ。自分の行動を自分の理性で操れなくなって、全部が全部感情論で喋り出す。考えるよりも行動してしまう。折角考えたことも、相手を前にするとどれも無意味だ。恋は理屈じゃない、とは良く言うけれど。その結果、勝手に舞い上がって、勝手に落ち込んで、変なことばっかして空回り。……こんなの、ただのバカのすることだ。恥ずかしいよ。やめてしまおう。こんな、好きな人の視界にすら映れない恋なんて。悲しいだけだ。虚しいだけだ。
 でも、それでも、憧れる。恐かったあの時に助けてくれた時は、神様みたいとさえ思ってしまった、あの光。まばゆく、儚いまでにうつくしい、うつくしい瞳に、あたしの姿を一度だけ、映してほしかった。あたしが思うような感情を彼女にも持ってみて欲しかった。
 けれど、もう、お話してほしいとか、ましてや好きになってほしいとか、そういう欲張りはもう言わない。
 恋する乙女の彼女は可愛らしかった。だからこそ、更に惚れ込んだのは分かってる。彼女が誰にも恋をしていなかったら、きっとあんなに心も体も強くなれなかっただろうし、優しくなれなかったかもしれない。いや、元々可愛いし優しい人だろうけれど。だけど、彼女が恋してるから余計に彼女が素敵に見えて、大好きになっちゃった。こんなの、ズルいよ。恋する乙女は可愛いのに好きなのに、その可愛いはあたしには見せてくれないんだ。

 うわああん! なんて、誰も一人もいない公園で子供みたいな大きな泣き声をあげる。なんて情けない。

「なまえちゃん!」

 わあわあと泣き叫んでいれば、とうとうあたしは幻聴まで聞こえる様になってしまったのだろうか。だってそんな、そんなわけない。声のした方に視線を向ければ、そこに居たのは、大好きな、大好きな彼女。蘭さんは驚いたような表情をしながらこちらに駆け寄ってくる。
 情けない泣き声を慌てて止めようと息を止めて、ハンカチで口元を塞ぐ。けれど横隔膜はまだ痙攣しているのか、ひっくひっくとしゃっくりがとまらない。それがまた恥ずかしくて、涙は止まることを知らない。そんな情けないあたしを見て、彼女は自身のハンカチで顔を拭ってくれる。こうしてあたしの情けない泣き顔を彼女に晒すのは二度目だ。恥ずかしい。
 大丈夫? と声を掛けてくれながら、優しい手つきで撫でてくれる。

「うっうえっ、優しくしないでくださいよう…! もっともっと好きになっちゃう、苦しいよう…!」

 叶わない恋ってこんなに苦しいのだ。少女漫画みたいに、切なくも良い話として終わるようなものなんかじゃない。ただただ苦しくて苦しい。あたしは失恋をして人間は”感情”というものを持つ生き物だと実感した。そして時に、その感情は宿主を押しつぶす。
 情けなくしゃくりをあげながら、子供みたいに言っていれば、彼女は優しい表情を見せてくれる。

「私はね、なまえちゃんに好きって言ってもらえてね、本当にうれしかった。これは紛れもない本当の事よ」
「ひっく、本当ですか……」
「うん。ただ、なまえちゃんが私を好きでいてくれるように、私も大切な人が居て……。応えられなくて本当にごめんね」
「……謝らないでください」
「ありがとう。きっとね、その好き!って感情を他の人に向けた方が、なまえちゃんは幸せになれると思うの」
「……蘭さんの大切な人は、新一さん…ですか?」
「えっ!?」

 ど、どうしてそれを!? と少し慌てたような表情の彼女。うう、そんな彼女の表情も可愛い。とっても素敵。そんな表情にさせてくれた工藤新一さんにお礼を言いたい気もするけれど、でもやっぱりズルい。私にだってそんな顔してほしい。工藤新一がズルい。大切な者が居るのが当たり前だと思って、待っててくれるのが当たり前だと思ってて、当たり前に大切にされて甘えてるだけのくせに。なんて考える私の心は米粒程度しかないのか。工藤新一だって、帰りたくても帰れないのかもしれないのに。全部、全部子供のあたしだからそんなこと考えてしまう。
 あぁ、あたしが男だったら。工藤新一だったら。
 肩を抱いて、頬にキスしてあげるのに。だけど、そう思った時には、もう体は勝手に動いていた。
 ちょっとムッとしていたのもあるかもしれない。肩に両手を乗せて、彼女の頬にそっと唇をつけた。
 彼女は驚いた表情をしてあたしを見る。

「蘭さんが工藤新一さんを好きで居続てくれても構いません。あたしは、それでもあたしは蘭さんが大好きなんです。一世一代の大恋愛なんです。大好きなんです」
「……」
「それでも、嫌だったらもう止めます。ごめんなさい……蘭さんを好きで居続けても良いですか…」

 彼女はあたしがキスしたところを手の平で押さえていて、目をぱちくりさせた。またボロボロと涙がこぼれる私の目と、綺麗で真っ直ぐな瞳と、暫く見つめ合ったかと思うと、彼女はふっと柔らかく誰もが見惚れるような笑みを浮かべた。

「とっても嬉しい。ありがとう」

 ……ああ、もう直接見ると心臓がぶっ壊れちゃいそうだから、気を付けようと専念しだしたのに、やっぱり、彼女のその笑みで死んじゃいそうぅ…。
 彼女の優しい笑顔で、涙はさらにボロボロと出てしまって、そんなあたしをあやす様に頭を撫でてくれる。
 これからも一緒におしゃべりさせて下さい。
 これからも一緒に登下校させてください。
 工藤新一さんの話聞いてみたいです。
 これからもずっと貴方に恋をさせて下さい。
 沢山のお願いを、彼女は一つ一つに頷いてくれて、全部受け入れてくれた。あぁ、本当に彼女は素敵な女性だ。

 あたしの初恋は一生叶わないと思う。だけど、それでもずっと、今日もこれからもずっと大好きです、蘭さん!
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