日常からは程遠い

    

「……えー?雨とか聞いてないぞなもし」


歩いている途中、予報には無かったはずの雨が降ってきて、葵依は急いで雨粒を防げる場所に避難するとガクリと肩を落としたが、すぐにまだ小雨なのを見て考えた。

この程度なら走れば…いけるかな?…いや、私なら光にもなれるはずだ!と。

そんなバカな事を考えていると不意に葵依の隣に一人の少年が駆け込んできた。

癖のある黒髪に大きな黒ぶち眼鏡をかけた彼は、制服や髪に付いた雨水を払いながら顔を上げて空を見上げた。彼を見た葵依の目が一瞬だけ細められ、口元には微笑が浮かべられた。


「…降られちゃったね」

「え?あぁ、そうだね…」


ただ黙って立っているのも性分に合わない葵依は彼にそう声を掛けると彼は少し戸惑いながら返事を返してくれた。


「今からメロスのように走れば大丈夫だと思うんだけど、君はどう思う?」

「え、メロス?」

「そう!友達の為に必死に走ったメロスだよ。それでどう」
「何バカなこと言って困らせてるのよ」


ベシッと後頭部にチョップを食らった葵依は後ろを振り返ると呆れた顔をした杏が立っていた。ほんの少しだけ濡れている辺り彼女も傘を持っていないのだろう。


「おはよう杏ちゃん、朝から水も滴る良い女だね」

「はいはい、ありがと」

「これって女神の涙って思うと、ロマンチックじゃない?」

「またワケわかんないこと言ってるし…」


葵依の言動に慣れてしまっている杏は軽く返事をしながら自分に掛かった水滴をハンカチで拭くと葵依の髪の毛に付いているのも拭いた。


「おお、私にも女神の涙が付いてたか!拭いてくれてありがと!」

「どーいたしまして」


二人のやり取りを見ていた彼はなんだか可笑しくて思わずクスリと笑ってしまった。

彼の笑い声が聞こえた葵依が彼の名前を聞こうとしたその時、三人の前に車が止まり助手席の窓が開いて、一人の男が顔を出した。

杏は男の顔を見ては一瞬だけ顔を顰め、葵依はキョトンとした顔をした。


「おはよう!学校まで送ろうか?遅刻するぞ」

「ぁ…ありがとうございます」


男に声を掛けられた杏は一瞬葵依の方を見遣るも、悲しそうに顔を伏せてから車に向かい助手席に乗り込んだ。


「キミもどうだい?…あぁ、キミも」

「…御心遣い、感謝しますが私はこれから天の女神が流した涙とメロスの気持ちを味わってみたいので遠慮します!」

「えっと、俺も遠慮しときます…」


声を掛けて来た男、鴨志田に不快感を隠しながら、キラキラと輝かしい笑顔で断った葵依とついでとばかりに声を掛けられた彼も、戸惑いつつその誘いを断った。


「そうか…じゃあ学校でな!」

「はい、また学校で!」


ニコニコと笑顔の葵依を横目で見つつ、鴨志田は車の窓を閉め、去っていった。その際少しだけ見えた杏の表情は嫌悪感で歪められていた。

車が完全に見えなくなるまでニコニコと笑顔でいた葵依は嫌そうに表情を歪めると小さく呟いた。


「色狂いの変態暴力教師め…」


その声はまるで獣の唸り声のように聞こえた、と近くに立っていた彼は思った。


「………」

「えっと…」
「さて、そろそろ行動せねばマジで遅刻だ!」


一緒にいた彼が声を掛けようとしたと同時に葵依は明るくそう言って彼にニカリと笑顔を向けると、二人の前に竜司が走ってきた。


「くそ…変態教師が」

「遅い登場じゃないか、坂本」


忌々しいと言わんばかりに言った竜司に葵依が声を掛けると二人に気付いた竜二が振り返って葵依のことを睨む。


「おまっ!なんで高巻と一緒にいながら行かせたんだよ!」

「ふっ、朝から無策でかの変態暴力教師とやり合えと言うのか?…………無理だろうが!!」


いきなり怒鳴ってきた葵依にたじろいだ竜司が視線を彷徨わせると黒髪の少年に気付き、彼にガンを飛ばした。


「…なんだよ、お前。鴨志田にチクる気か?」

「カモシダ?…何の話だ?」

「あ?今の車だよ。鴨志田だったろ」


逃げたな、と思いながら葵依はジト目を竜司に向けた後、彼に絡まれてしまった黒髪の少年を見た。

鴨志田のことを知らないように見受けられる彼、それもそのはずだ、彼が“噂”の転入生なのだから。そう思いながら葵依は彼をジッと見て、実際の彼はどんな人なんだろうか?と考えていると竜司が頭を掻きながら吐き捨てるように言った。


「好き放題しやがって…お城の王様かよ。そう思わねえか?」


それを聞いた葵依の厨二心が疼き思わず言葉を挟んでしまった。


「王様…つまりは魔王!よし、私とパーティーを組んで倒しに行こうか!」

「もうお前黙ってろよ…」


いつものテンションな葵依に竜司はガックリと肩を落とし、黒髪の少年は目をパチクリとさせて葵依を見た。


「っと、もう少し遊んでたいけどそろそろホントに走らないと遅刻するから…私は今から風になるぜ!」

「あーハイハイ…」


竜司の声を背に葵依は走り出し、角を曲がった所で後ろからクラクションが鳴らされた。それに驚く事はなく、ゆっくりと振り向いた葵依は後ろから来た白のRX-7に近づくと運転席の窓が開き、中から金髪に褐色の肌をした男―安室透―が顔を覗かせた。
彼はニコリと甘い笑みを浮かべ口を開く。


「おはようございます。学校まで送りますよ」

「おはようございます!ぜひお願いします、安室さん!」


明るく笑顔で言って助手席に乗り込みシートベルトを着けた葵依を見てから安室は車を出した。チラリと運転をする彼の横顔は既に私立探偵の“安室透”ではなく公安警察の“降谷零”になっていたので葵依も気持ちを“もう一つの自分”に切り替える。


「……目標(ターゲット)と接触したのはさっきのが初ですが、何か問題でも?」

「今回は別件で来た」


そう言うと安室は胸元から手帳を出して差し出してきた。
受け取った葵依は中を確認すると、そこには最近起こっている精神暴走事件について記されていた。


「それについて何か掴んでいないか」

「すみませんが、これと言った情報は持ってません。必要であれば今夜にでも探ってみますが?」

「なら頼む」

「わかりました」


そう言って頷くと葵依は自分の手帳を取り出して、走り書きで凶行事件についての情報、と書き込んだ。


「それから例の目標についての報告は風見にしてくれ」

「つまりいつも通りって事ですね」

「ああ」


そう話していると学校の近くに着いたので葵依は車から降りてお礼を言った。
運転していた彼は“安室透”の顔を張り付け、ニコリと笑みを浮かべて去っていった。

学校に入る前にイヤホンから聞こえる音を確認し、舌打ちをした。
どうやらターゲットに付けておいた盗聴器が壊れてしまったらしい。

葵依はがま口の小銭入れを取り出して開けると中にはジャラジャラと十円サイズのボタンのようなものが入っていた。これは彼女が作っておいたボタンの形をした盗聴器で彼女はそれを一枚抜き取ると手の中に仕舞うとボタンの裏側の番号を覚えてからターゲットを探し、見つけた。

校門で生徒達に挨拶をしていた。
葵依は手の中にボタンを持ったまま駆け足でターゲットに近づき、盛大に転んだ。


「き、キミ、大丈夫かね?」


そう言ってこちらに手を伸ばしてくるターゲットに、ほくそ笑んでから困ったような笑みに変えてその手を取る。その際に袖口の内側にボタンを滑り込ませ付けることに成功した。


「すいません、校長先生…雨で急いでて転んじゃいました」


困ったような恥ずかしいような、そんな顔をしながら立てば気を付けるように注意されるだけで校長は離れていった。

校長の後ろ姿を少し見てから彼の袖口に目を向け、盗聴器が落ちていないことを確認した葵依は校舎の中に入り、階段を上る途中で転んだ際に外れたイヤホンを耳に入れ直してスマホを操作し、さっき校長に付けた盗聴器の番号を打ち込むとイヤホンから少量のノイズと声が聞こえてきた。


『お…よ……』

『…は、ょう……ぃます……』


イヤホンから聞こえてきた校長と生徒の声に笑みを深めつつ音声と電波の調整をする。
自分の席について鞄を机の横に下げてから頬杖を突きながら外に目を向けるが意識は耳に集中している。
聞こえてくる内容は至って普通で葵依が欲しいものは出てこない。
まあ、校門前でそんな話をされても困るが、それでもいつ重要な会話が出るかなんて分からない。
そのため、毎日こうして会話を盗み聞いている。


「(それにしても最近の教育者ってどいつもこいつも腐ってんのかな、保護観察対象の彼の事も生徒達に知れ渡ってるし、守秘義務とか無かったっけ?)」


そう考えながら今朝少しだけ話をした暁のことを思い出すがすぐに無意味だな、と判断し盗聴を続けた。

そしてホームルームが始まる時間になり、イヤホンを髪の毛で隠しながら隣の席に目を向けるが、そこには誰も座っていなかった。

その席は朝にあった坂本竜司の席だった。

イヤホンから聞こえてくる音声に鴨志田の声も入ってきて、葵依は相変わらず女子生徒にばかり声を掛けているのか、と呆れた。


201804281835