自己嫌悪
夜通し作業をし、寝不足気味な葵依は欠伸を噛み殺しながら学校に行く途中で球技大会の話題が聞こえてきて少し間を開けてからそう言えば今日は球技大会だったっけ?と今日の予定を思い出して、休めば良かったと後悔したがもうなるようになれと投げやりな思考で学校に向かった。
学校に着いてすぐにジャージに着替えた葵依は体育館に向かうと既に何人かの生徒が大会前の準備運動をしていたので葵依も眠気覚ましもかねて準備運動を始めた。
グッグッと腕を伸ばしながら周囲に目を向けると少し離れた場所で竜司と暁がコソコソと話をしているのが見えた。
何を話しているのか気になった葵依は気づかれないように二人に近づいて二人の話を盗み聞くとどうやらバレー部に用があることが分かった。
しかし何故バレー部に?
竜司だけなら鴨志田関連だと思うけれど、転入生である暁は何故?
そういえば昨日、彼のクラスの生徒が話しているのを盗み聞いていたら彼も昼休み後にやって来たと言っていたらしい。その情報が本当なのか杏にメールで確認を取ってみたら本当のようで彼のことを嘘つきと言っていたことを思い出した。
竜司は昨日、ある意味事件らしきものに巻き込まれた、と言っていた。
だとしたら彼もそれに巻き込まれたのではないだろうか?
だから学校に来るのが遅くなってしまった。
そう考えると辻褄が合うような合わないような、こじ付けなような気もするが葵依は後で本人にでも話を聞いてみればいいと考えて二人の後を追おうと考えたが、すぐに足を止めて考える。
バレー部に用がある、そしてバレー部は男女両方ある。
だとしたら、彼等はもしかしたら志帆にも接触してくるかもしれない。
そう思った葵依はスマホを取り出して、志帆にラインで連絡を取ってみる。
数分して彼女から返信があったので今は大丈夫のようで、ほっと息を吐いた。
『どうしたの?』
「暇だからこれから会って話がしたいんだけどいい?」
『ごめん、今はちょっと無理かな』
「そっか!じゃあ球技大会が終わったら杏ちゃんと三人で一緒に帰らない?」
『うん、そうだね』
「無理しないでね」
『何のことかな?大丈夫だよ』
「そっか、じゃあまた後でね!」
返信をしてから志帆とのやり取りを見て葵依は小さく嘘つき、と呟いてから校舎の中に入って竜司と暁を探すことにした。
キョロキョロと二人を探しながら歩いていると廊下の角から頬にガーゼを貼った男子が急いだ様子で出てきた。出てきた男子を見てすぐに彼がバレー部員だと察した。この学校であんなに怪我をしているのはバレー部だけだからだ。
葵依は彼に道を譲ってから彼が来た方向に竜司たちがいるのかもしれないと思って、足を進めるとちょうどバレー部の男子が二人から逃げる所だった。
「クソっ!なんで誰も話してくれねぇんだよ!」
「次、行ってみよう」
「おーい、坂本―!」
彼等が行動に移る前に声を掛けながら手を上げて降ると、こちらに気付いた竜司が露骨に嫌な顔をした。
「げ、なんでお前がここにいるんだよ」
「なーんかコソコソと怪し〜ことしてるから気になって来たのさ!そう、私は好奇心に溢れているから!!」
ドドーンとポーズを決めてそう言う葵依に竜司は半眼になってからガクリと肩を落とすととりあえず、と呟いて葵依の頭を叩いた。
「あいたっ!」
「ったく、今はお前のバカに付き合ってる時間ねぇんだよ!」
「えー?大会に参加しないで学校をうろついてる暇はあるのに?」
「必要なことなんだよ!」
「何をそんなに怒ってんのさ。カルシウムが足りないんじゃないの?牛乳でも奢ろうか?」
「ほんとお前はどっか行ってろ」
シッシッと手で追い払う仕草の竜司に、葵依は拗ねたように唇を突き出してから竜司の隣でこっちを見ていた暁に顔を向けた。
「昨日も会ったよね、私は櫻井葵依。君は?眼鏡が似合うイケメン君!」
「え…あ、来栖暁」
葵依に戸惑いながらも返事をしてくれた暁に葵依はジッと彼を見てみた。
噂のように怖いという印象は受けない。
それに近くで見て気付いたが、彼の付けている眼鏡に度が入っていなかった。
伊達メガネがお洒落というのは知っているが、彼のはなんだか違うような気がしてなんでだろうと思ったが、すぐに察したのでそこには触れずに本題を切り出した。
「…てかあの色狂いに関して奴隷と化している彼らが話をするとは到底無理だと、どうして思わないの」
「はぁ!?奴隷ってお前!」
「君は何を知っているの?」
奴隷と表現したことに竜司は驚いたが、すぐに怒ったような顔で葵依のことを睨む。
暁も眼鏡の奥にある双眸を鋭くさせて見てくる。彼等が何を探っているのかを知る為にかまを掛けたのだが、やっぱり彼等は鴨志田について情報を集めていたようだ。
しかし竜司だけならわかるが、何故関係のない暁まで鴨志田の事を?と思いながら葵依は彼等の怒気に気付かないふりをしながら目の前の竜司に目を見る。
彼の目は怒りに溢れていて葵依は内心でため息を吐いてから自分が持っている情報をそれとなく教えることにした。ここで鴨志田の件に関わるなと言ったところで聞くわけがないというのは分かっているから。
「詳しいことは知らないけど、あの色狂いがしているのは恐怖政治ってやつだと思うんだよね。人は力の前では簡単に屈してしまう」
「……」
淡々と言う葵依に暁は思い当たる所があったのか黙っている。竜司も悔しそうに目線を下にして何かを思い出しているように見えた。
けれど、葵依は言葉を続ける。
「言うことを聞かない奴はサーカスの動物の様に叩いてでも覚えさせる。自分の思い通りにしたい場合、まず相手に恐怖心を埋め込んでしまえばあとは思い通りになるから」
「「はぁっ!?」」
葵依の言ったことに竜司と暁は驚いて声を上げるが構わずに言葉を続ける。
「あの色狂いがしているのって、まさにそれだよね?で、坂本達は一体何をしようとしてるの」
葵依の問いに二人はなんと答えればいいのか、すぐに言葉が出ず黙ってしまった。
お互いに無言でいると近くの階段から誰かが下りてくる。
三人がそっちに目を向けると志帆がニコニコとどこか嬉しそうにはにかみながら降りてきた。
三人の視線に気付いた志帆はすぐにその顔から笑みを消して首を傾げた。
「えっと、葵依?どうかしたの?」
志帆の声に葵依はニパッと笑顔を浮かべるとちょっと困ったように頭を掻いた。
「いや〜、この前アニメで言ってたセリフ言ってみたらこんな空気になっちった」
葵依がそう言った瞬間、その場の尖った空気が和らいだが男子二人からは戸惑う気配がする。
志帆は空気の変化が解ったのかホッと息を吐いてから苦笑を浮かべながら葵依に近づく。
「そうなの?」
「やっちまったぜ!」
アハハと笑う葵依に志帆は暁と竜司にごめんねと言うが、二人はなんて返せばいいのか解らずお互いに顔を見合わせるしか出来なかった。
志帆が葵依を連れてその場から離れようとするが、竜司が思い出したように慌てて彼女を呼び止められる。
呼び止められた彼女は振り返りながら首を傾げる。
志帆の隣では葵依が不思議そうな表情をしながら竜司と暁を見ているがその目はどこか冷たいものが宿っていた。
「えっと、何?」
「あー…ちょっと話、聞きてぇんだけど」
「…話って?」
「鈴井、お前バレー部だよな?」
「え?…う、うん」
「何か、男子バレー部と鴨志田のことで変な噂聞いたことないか?指導とか体罰とかよ…」
鴨志田の名前を聞いた瞬間、志帆の体がビクリと震え、小さく呟くと顔色が悪くなっていく。
志帆の様子に気付いた葵依は三人の間に割り込んで志帆の体をクルリと反対側に向けさせた。
「ぇ?葵依?」
「もう話は終わりでいいよね?いいよな?いいだろ!んじゃぁ私たちはお茶でもしにレッツゴー!ゴーゴー!」
そう言うと葵依は志帆の背中を押しながら早足でその場を去った。
後ろから杏の怒る声が聞こえてきたので、葵依は小さくヒェ〜と言いながら志帆の背中を押すことを止めて、彼女の隣を歩く。
「……えっと、ありがとう葵依」
「どういたしまして」
ニコッと笑って返すが、志帆の表情は晴れず暗いままだ。
何か話題はないだろうか、と近くに目を走らせると志帆の髪に目が付いた。
「そういえば、今日の志帆ちゃんはオシャレだね!可愛いよ!」
「え?……あ、これ?」
「うん!自分でやったの?」
「ううん、よくお世話になってる先輩にやってもらったんだ」
自分の髪に手を添えながら嬉しそうにはにかむ志帆を見て、葵依はそっかぁと綺麗にセットされた髪に目を向ける。
形も崩れてなくセットした先輩がとても手慣れていることがオシャレに疎い葵依でも解った。
「へー、その先輩ってすっごくオシャレな人なんだ!」
「うん、先輩とはね、去年知り合ったの」
「どんな人?」
「うーん…一匹狼、かな?」
「え?」
葵依が予想していたのは物語で出てくるような乙女みたいな先輩だと思っていたのに、志帆から一匹狼と聞いて、思わず目を丸くしてしまった。
「怖いって言われてる人なんだけど、困ってたり落ち込んでたりするとすぐ助けてくれるの」
今日だってね、綺麗にしてくれたんだよ。
そう言って本当に嬉しそうに笑う志帆を見て葵依はその先輩はきっとツンデレなんだろう、と思いながら感謝した。
こんな風に笑う志帆を見たのは久しぶりだったのだ。
彼女を笑顔にしたのが自分でも杏でもないというのはちょっと、いやかなり悔しいが友達がこうして笑ってくれるのなら涙を呑んでお礼を言いたい。
「ね、ね、その先輩に会ってみたいんだけど、ダメかな?」
「私は、構わないけど…先輩は嫌がるかな」
「そっかー…残念」
そう言いながらガックリと肩を落としていると志帆のスマホがピピピッと鳴った。
スマホを取り出して画面を確認した志帆は暗い表情を浮かべたが、すぐにそれを隠して葵依に笑顔を向ける。
「じゃあ、呼ばれてるから」
「……うん、気を付けてね」
「ありがとう」
そう言って遠ざかっていく志帆の背中に声を掛けようとし、止めた。
友達の背中が見えなくなった頃、葵依はため息を吐いた。
当事者にしか解らないことに他者が口を挟むなんてことは出来ない。
いくら友人という立ち位置と言っても踏み込んでいい場所とそうでない場所の線引きは解っているつもりだ。
でも、あんなに苦しそうに…名前を聞くだけで顔を青くさせる志帆になんて言えばいいのか、葵依には解らなかった。
自分の言ったことで彼女を傷付けてしまったら?
自分の余計な一言で取り返しのつかないことをしてしまったら?
それが原因で彼女を傷付けてしまったらと考えると怖くて結局行動に移せない。
人の事を探ってあら捜しすることには慣れているのに、こんなことが怖いなんて両親に知られたら笑われてしまうだろうな、なんて自嘲しながら心のどこかで思ってるのかもしれない。“きっと誰かが何とかしてくれる”だろうと。
「……結局、誰か頼みじゃんか」
これじゃあ他の人と同じだなぁ、と嫌悪感を声に混ぜながらそう吐き捨てれば、目の前を黒猫が通り過ぎた。縁起悪いなぁと思いながら目で追うと、黒猫は竜司と暁の二人の近くでお座りをして一鳴きした。
「…なんで猫がここにいるんだろ?」
不思議に思ったがなんだか疲れたので今日はもう帰って休もう。
この時の葵依は明日、あんなことになるなら彼女にも盗聴器と発信機を仕掛けておけば良かったと後悔した。
201804291259