飛び降り
翌日、なんとなく竜司と顔を会わせ辛いなと感じながら学校に行っていつものように挨拶を言えば、チラホラとあいさつが返ってくる。
キョロリと教室の中を見てみるが、竜司の姿はまだ無かった。
そのことにホッとしながら残念という矛盾したその気持ちのまま鞄を机の横に掛けて席に着くとクラスメイトが慌てた様子で教室に入ってきた。
なんだなんだ、とそこに目を向けるとそのクラスメイトは外を指さした。
「お、おい!あれ誰だ…?向こうの屋上っ!飛び降りるんじゃないか!?」
クラスに響いた飛び降りの言葉にその場にいた全員が廊下に出た。
葵依は飛び降り?と呟きながら立ち上がる。
「…あれ、バレー部の鈴井じゃないか?」
「!?」
誰かの言った言葉に葵依は急いで廊下に出ると野次馬を掻き分け、窓を開けると屋上に向けて顔を上げた。
そこにいたのはやっぱり志帆で、どうしてそんな危ない所に立ってるの、とかなんでそんなに泣いているの、とか聞きたいことは山程あった。
友達が自殺しようとしてる場面に驚き、体が動かなかった葵依の隣に来た杏が小さく彼女の名前を呟く。
周りはザワザワと煩く騒いではスマホを取り出して写真を撮り始める。
「な、何やってんの!?志帆っ!!」
「っ!志帆ちゃんっ!!戻って!お願い!」
必死に自殺を止めさせようと二人で大きな声で呼び掛けるが彼女は戻ろうとしない。
むしろチラリと見てから二人の名前を呟くだけだった。
屋上の強風が彼女に吹き掛かり、一本に結ばれた髪の毛や制服がバサバサとはためく。
ポロリと涙が一粒、志帆の目から零れ落ちると同時に彼女の体は前方に倒れるように傾いた。
誰もが落ちる!と悲鳴を上げた、その時。
「えっ!?」
フードを目深に被った男子生徒が志帆の左腕を掴み、彼女が落ちるのを阻止したのだ。
そのまま彼は志帆を抱き寄せると奥に引っ込んだようで姿が見えなくなる。
姿の見えなくなった志帆に杏と葵依は少しだけ呆気に取られたがすぐにハッとなって二人揃って屋上に向かって走り出した。
後ろから来栖君と坂本の声がしたような気がしたが、今は構ってられない。
今は一秒でも早く志帆の無事を確認したい!
そう思いながら階段を駆け上がり、屋上まで来るとペタリと座り込み、頬を押さえて茫然としている志帆の姿があった。
杏は志帆に駆け寄って彼女を抱きしめては泣きながら何してんのよ!と怒っている。
葵依はと言うと志帆を屋上に志帆以外に人影がいないことに疑問を感じた。
「ねぇ、志帆ちゃん」
「ぁ……葵依」
「……君を助けてくれた英雄(ヒーロー)はどこに行ったのかな?」
どこか怯えた様子の志帆に目線を合わせながら訊ねると彼女は目線を彷徨わせると顔を青くさせて涙をボロボロと流し始めた。
いきなり泣き始めた志帆に杏と葵依は慌ててどうしたの?!となるが、駆け付けた教師によって泣きじゃくる志帆は保健室に連れてかれてしまった。
連れていかれる志帆は擦れ違いざま、杏と葵依に鴨志田という単語を呟いて聞かせた。
その場に残された二人は静かに顔を見合わせた。
「……ねえ聞こえた?」
「彼の変態教師の名前だったね…」
彼女がどうして飛び降りをしようとしたのか、つまりはそう言うことなのだろう。
志帆は昨日鴨志田に何かを言われたか、もしくはされたか。
あの男のやりそうなことを考えるのであれば、間違いなく後者だ。
ああ、どうして私は昨日彼女に盗聴器と発信機を仕掛けなかったんだ。
ブルブルと怒りで体が震える。
ギュッと握られた拳、掌の皮膚をこの前切ったばかりで短い筈の爪が突き破ろうとして痛い。
怒りで目の前が赤くなる。
そして、気が付いた時には葵依は体育教官室前に行こうとしていた。
しかしその体育教官室前で暁と竜司が顔を見合わせて立ち往生している。
不思議に思った葵依は彼等に声を掛けることにした。
「そんな所で何してんの?」
「櫻井か、いや鴨志田に用があって来たんだけどよぉ…」
「先客がいるみたいで…」
「先客?」
暁がそろりとドアをほんの少しだけ開けると三人は中を覗き見た。
椅子に座ってふんぞり返っている鴨志田の前で背の高い男子が立っていた。
その男子は金の髪に紫のメッシュを入れていて、随分と派手な頭をしているが葵依は彼の後ろ姿を見ながら、どこかで見たような?と思ったがどこで見たのか、思い出せない。
「ふん、貴様がわざわざ俺のとこまで来るとはな。一体何の用だ?俺は今、忙しいんだ」
「忙しい、ねぇ?自分の仕出かしたことで一人の生徒が自殺しようとした、その後処理についてか?」
「あ゛ぁ?何を言ってるんだ?お前」
男子の言ったことに覗き見ていた三人はやっぱり、と思った。
やっぱり昨日、鴨志田が志帆に何かをしたんだ。そのせいで彼女は飛び降りようとした。
そのことにまたしても怒りが込み上げてくる。
「あんたがバレー部を奴隷のように扱うのは、俺には何の関係もねぇから別に構わねぇ。でもな、俺を慕ってくれる後輩を――テメェの玩具にするんじゃねぇ!!」
そう怒った男子に鴨志田はフンッと鼻を鳴らすとニヤリと笑った。
「この俺にそんな口を利いていいのか?一色」
「お得意のでっち上げで俺を退学にでもするか?」
「ああ、そうだな。お前の俺に対する態度や暴言…次の理事会で報告してやる。これでお前も退学確実だなぁ?」
鴨志田の物言いにカッとなった竜司がドアを開けて中に侵入していき、暁もそのあとに続くが葵依は教室の外で証拠品となるように一応スマホで動画を撮っておくにした。
いきなり入ってきた二人は鴨志田が驚いて顔を向けるが入ってきたのが問題児二人と解るともう一度、顔に笑みを浮かべる。
「なんだ?お前らも俺に言い掛かりをつけに来たのか?」
「お前がなんかしたから、鈴井は飛び降りようとしようとしたんだろ!?」
「ふん、そこまで言うなら証拠はあるのか?」
腕を組んでそう言う鴨志田に竜司は何も言い返せなかった。
証拠もなく、鴨志田が何かやったと決めつけてたのだ。
それを見ながら葵依は詰めが甘い、と嘆息を漏らした。
*****
志帆の飛び降り自殺未遂の件で賑わっている昼休みの教室で葵依はスマホにイヤホンを付けて音楽を掛けながらあまり使われることのない空き教室へと入り込んだ。
窓際に座って音楽を止めて“video”と表記されたフォルダを開く。そしてついさっき録画したばかりの動画をタップして再生させた。
体育教官室の外から録画されたそれは少々映像が悪いがちゃんと撮れていた。
『ここにいる全員…退学だ。次の理事会で吊るしてやる』
『なっ…!そんなこと、テメェが決められるわけ…』
気に入らないものは完膚なきまでに叩き潰す。それがこの教師、鴨志田卓という男だ。
鴨志田は椅子に座り直すと、勝ち誇ったかのような笑みを浮かべて竜司たちの一歩後ろにいる一色と呼ばれた男子を見るが彼は睨み返すだけで何も言わない。
その反応に対して愉快と言いたげに喉の奥で嗤う鴨志田に葵依は自分の中でグツグツと煮え立つような怒りが湧き上がってくるのが判った。
それでも動画は止まらずに再生されていく。
『お前らのようなクズどもの言うこと、誰が本気で取り合うか。さ。もういいだろ?退学だ、退学!お前らの将来、俺に奪われて終わりってわけ。…分かったらとっとと出てけ』
まるで鬱陶しい羽虫を追い払うかのように手を振ってから自分のデスクへと身体を向ける鴨志田。そんな他者を見下し、馬鹿にするような教師にあるまじき態度に動画の中の竜司は握り締めた拳を震わせて下唇を強く噛んでいた。
『こんなやつのせいで…っ!』
竜司の呟いた言葉にこちらからは背を向けていてどんな表情をしているのかは判らないが暁は悔しそうに下を向いている竜司を見る。
『撤回させよう』
『お前…そうか、アレか!』
暁のその一言に竜司が顔を上げて彼を見て、何かを察したらしい竜司が目を見開く。
二人のやり取りに疑問を持ったらしい一色が彼等を見る。葵依もアレとはなんだろうか、と首を傾げる。
『はぁ?アタマ、どうかしたか?クズの言う事はよく分らんが、やれるもんならやってみろ。処分を待つしか無いだろうがな…』
背を向けていた鴨志田にも二人のやり取りが聞こえたようで顔だけこちらに向けて訝しむように彼等を見るが、すぐに興味がなさそうに吐き捨て、動画は終わった。
葵依はスマホの画面を見ながら思案した。
鴨志田は三人のことを退学にすると言っていた。退学には“自主”と“懲戒”の二種類があり、彼の言っている“退学”とはもちろん後者の“懲戒”の方だろう。しかしただの教師が生徒の“懲戒退学”を決めることなど出来るはずがない、が決めるのは鴨志田のことをやたらと優遇しているあの校長。だとしたら二人の退学は確定しているものと考えた方がいい。
知り合ったばかりの暁はともかく、竜司のことはそこそこ気に入っている葵依はどう動こうか、と頭の中だけでシミュレーションを行うが。
「………ダメだ、どれも決定打に掛ける」
中庭に暁と竜司、それから一匹の黒猫がいた。
なんで秀尽に黒猫が?と昨日と同じことを思いつつ彼等を見ていると竜司が苛立った様子で小刻みに足踏みをしてから自販機を叩く。あれで壊しでもしたら退学とまではいかなくても器物破損で停学になんぞ、と葵依は思った。
二人が何を話しているのか気になった葵依は空き教室から見ながら竜司に付けた盗聴器のチャンネルを開くと彼等に近づく杏の姿を見つけた。
音を確認しながら彼等を見ているとイヤホンから杏の声が聞こえてきた。
『鴨志田やるなら…私も混ぜてよ』
彼女の怒り、悲しみ、後悔…そう言った色んな感情を綯い交ぜにした声を聞いて葵依は俯いた。恐らく志帆が去り際に呟いた言葉で彼女を追い詰めたのが鴨志田だと確信したのかもしれない。
『お前には関係ねえ…首、突っ込むな…』
『関係なくない!志帆は私たちの…』
『邪魔すんなって言ってんだっ!』
言葉を遮って怒鳴って拒絶する竜司の気迫に杏は怯んで言葉を続けることが出来ずそのまま何も言わずに走り去ってしまった。走っていく杏の姿を見送りながら会話を聞き逃さぬように耳に神経を集中させると竜司でも暁でもない誰かの小さな溜息が聞こえ、困ったように猫が鳴いた。
『あんなトコに連れてけるかよ…』
竜司がそう呟くと猫が答えるようにニャーニャーと鳴く。
まるで竜司と猫が会話をしているような感じで変な感じがする。
『さっさと鴨志田やりゃ済む話だ。今から行こうぜっ!』
やる?今から行く?
会話を聞いていた葵依は首を傾げながら二人と一匹の後を追うことにした。
これ以上、考えもなく鴨志田の神経を逆撫でさせるようなことをするなんて、自殺行為のようなものだと考えた葵依は彼等の後を追いかけることにした。
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