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プロローグ

   

「汝の名を告げよ」

「…ユウ」

「ユウ。汝の魂の形は……」

「……」

「………解らぬ」


 ユウは分かりきっていたと言わんばかりに頷いた。鏡の中で眉を潜めて難しい顔をしている男は何も間違ったことは言っていない。なのでユウはしっかりと肯定した。

 しかし、ユウの隣に立っている烏のような仮面を被った男は、「なんですって?」と酷く驚いた声を上げた。

 ユウからしたら、“魂の形”とかいういかにも抽象的なものが見えることの方が目がどうかしてるのではないかと思うが、どうやらこの事態は異例のことらしい。それに一度死に墓場で寝ていた所を叩き起こされ堕鬼ロストとの戦いで何度も死に戻りを繰り返している自分に魂なんてあるのかさえも怪しいところだ。

 ユウがそう考えていると鏡の中の男は続けた。


「この者からは魔力の波長が一切感じられない……色も、形も、一切の無である。よって、どこの寮にも相応しく無い!」


 ユウは顎に指を添え、なるほど、と思った。鏡の男は魂そのものを見ていたのではなく、魔力の波長というものを感じ取っていたようだ。

 そもそも、ユウに魔力なんてものは備わっていない。錬血も魔法のようなものかもしれないが、おそらく鏡の男が言うものとは違うのだろう。だってあれは堕鬼から奪った血を使って攻撃、自己強化、相手の弱体化をしているのだ。


「(しかし、妙なことになったなぁ。ここはもしかして地獄?いや、もしかしなくても赤い霧の牢獄以上の地獄なんてそうあるもんでもないか)…ハァ」

 ユウはそっと溜息を吐いた。これは一度状況を整理しなくてはならないだろう。

 そもそも、自分はどうしてここを地獄だと思ったのか。また死んだからだ。鬼殺隊との死闘の末、竈門炭治郎の手によって鬼の始祖である鬼舞辻無惨は滅された。実に千年にも渡る生涯を、陽の光の下に美しく散らせたからである。
 その時に、ちゃっかり置き土産を残していったこともあって、死んだ後の無惨の心は案外落ち着いていた。「ああ。ついに私も地獄に落ちるのだな。次はどうやって成り上がってやろうかしら」くらいな軽い気持ちで瞳を閉じた。
 そして次に目を覚ました時にはこの状況である。ここに至るまでに、喋る黒い狸に絡まれるわ胡散臭い仮面の男に何故か怒られるわ、なんやかんや色々あったのだが、とりあえずこの鏡の前に連れてこられた。

「ーーさて、ムザンくん」
「・・・・」

 無惨の頭の中を整理し終えたところで、仮面の男が無惨を呼んだ。なにやらドタバタと騒ぎがあったようだったが落ち着いたらしい。煩い狸やワラワラと大勢いた子どもたちが居なくなって、だいぶ辺りが静かになっていた。
 無惨は腕を組み、視線だけ仮面の男に向けた。

「大変残念なことですが、貴方にはこの学園から出ていってもらわねばなりません。魔法の力を持たない者をこの学園へ入学させるわけにはいかない」
(ふむ。まぁそうだろうな。しかし、一体どうやって戻すつもりだろうか? どうやって来たのかもわからないのに、何か策でもあるのだろうか?)
「心配はいりません。闇の鏡がすぐに貴方を故郷へ送り返してくれるでしょう」
(・・・やはりというか、鏡頼りなのか。本当に大丈夫なのか? 先程の調子だとうまくいく感じが全くしないのだが・・・)
「さぁ、扉の中へ。強く故郷のことを念じて・・・・」
「・・・・」

 無惨は若干不安を抱えつつも、仮面の男に言われるがまま一応元いた世界のことを思い浮かべる。元の世界に戻りたいか戻りたくないかと言われれば、別に戻りたくはない。とはいえ、地獄と言っても行くのは初めてなのでイメージが具体的に湧かないし、仕方なく無限城をイメージした。

「さぁ闇の鏡よ! この者をあるべき場所へ導きたまえ!」
「・・・・・・」
「ゴ、ゴホン・・・・もう一度。 闇の鏡よ! この者を・・・」
「どこにもない・・・・」
「え?」
「・・・」
「この者のあるべき場所は、この世界のどこにもない・・・・・無である」
「だろうなァ・・・」

 無惨は額に指を当てながら言った。こうなることはだいたい予想がついていたが、それでも頭を抱えたくもなる。
 さっきも言った通り、無惨は死んでいる。死んでいる者の帰る場所など当然ない。無限城だってもう消滅してしまっているだろうし、そもそも向こうの世界の肉体が散りと化してしまったからここに来たというのに、どこへ帰れと言うのか。
 しかし、仮面の男にとっては想定外の事態らしく、あからさまに動揺を見せる。

「なんですって? そんなことあり得ない! ああ、もう今日は有り得ないのオンパレードです。私が学園長になってから、こんなことは初めてで。どうしていいか・・・・」
(学園長・・・先程から学園や寮という単語を耳にするが、ここは学校か何かなのだろうか?)
「そもそも貴方どこの国から来たんです?」
「国……ヴェイン?」
「ニホン・・・聞いたことのない地名ですね。私は世界中からやってきた生徒の出身地はすべて把握していますが、そんな地名は聞いたことがない。一度図書館に行って調べてみましょう」

 ということで、無惨は学園長と共に図書館へ向かった。そこで調べてみたところ、やはりここは日本ではないし、ましてや地獄ではないことが分かった。しかもそれ以前に、そもそも住む世界が違ったという結論に達したのだが、無惨はさほど驚かなかった。元いた世界に魔力や魔法なんて非科学的なものは存在しなかったし、服装や室内の装飾も明らかに文化が違うことが伺えたので、逆に納得したくらいである。

 それから、帰る場所が無い無惨は自称優しい学園長の心遣いによって、今は使われていない学生寮に住まわせてもらうことになった・・・喋る狸と一緒に。なんでそうなったかは無惨にもよく分からない。寮に入ったらソイツがいて、ソフトクリームみたいなオバケを一緒に撃退したら話の流れでそうなった。喧しいことこの上ないが、ちょっと変わったペットを飼っていると思うことにした。無惨とて、知らない世界でひとりでいるのは寂しいのである。雑用係としてだが、学園内を自由に使っていいとのこと。
 そして、初日から喋るペットもといグリムと新入生その一がやらかして雑務を増やされ、先の馬鹿二人に新入生その二も加わってやらかして膨大な借金を背負わされ、修理のために魔法石なるものを採りに行かされ、怪物に襲われたが何とか乗り切って石を手に入れ、無惨はめでたく雑用係からオンボロ寮の監督生にスピード昇格したのであった。







 そんなこんなで、無惨の学生生活が始まって早数日。
 この不思議な世界にもだいぶ慣れてきた。


 まず大前提として、無惨は生徒である前に鬼としての体質(日の下に出られない・食事が人間)があるので普通の生活が遅れるのか? という問題があったのだが、実はそれは割とすぐに解決していた。

 というのも。オンボロ寮で一夜を明かした翌朝、無惨は目覚めて間もなく一直線に窓へと向かった。あまりに埃っぽくて耐えられなかったので、空気を入れ替えたかったのである。しかし、布を掴んだところで無惨は一時停止する。外が雨でない限り、このまま開けたら直射日光の直撃は免れないからだ。だが、既にその雨ならという可能性も布越しに暖かさを感じることから望みはないに等しい。
 無惨は少しの間考えた。そして、「ええいままよ!」と思いっきりカーテンを開けた。自分の命がどうでも良くなったわけではない。異世界へ来るという普通なら考えられない事態が起きたなら、太陽を克服したということもあり得るのではないかと思ったのである。というか、そうであって欲しいという願いが強かった。

 結果として、無惨の身体は陽の光を浴びても灰にはならなかった。無惨はもう嬉しくて嬉しくて、柄にもなく舞い上がった。そのあと学園長に言いつけられたメインストリートの掃除も二つ返事で快諾し、なんならスキップして学園へと向かった。

 また、食事についても、腹が減ったというグリムに付いて食堂に向かうと、人間にではなく空間いっぱいに広がる料理の匂いに普通に食欲をそそられた。そして、食べられた。腹もしっかり満たされて、無惨は正直ホッとした。別に無惨は好きで人間を喰っていたわけではないし、喰わなくていいなら喰いたくはない。やはり自分と同じ見た目のモノを食べるのは気分がいいものではないし、この世界に来てまで人喰いになりたくはなかったのである。


 この時点で、無惨はもう充分にこの世界を気に入っていた。陽の下を歩くという長年の夢も果たせたうえに人を喰わなくてもいいなんて、もう最高では? もう普通に帰りたくない。元々〈帰る=死ぬ〉ということなので帰りたくはなかったが、より帰りたくなくなった。
 しかし、無惨の帰りたくない理由はこれだけではない。この学園生活、思いの外楽しいのである。この世界で体験すること全てが無惨にとっては初めてのことばかりで新鮮だし、共に過ごす“友人”と呼べる存在も大きい。

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