6
束縛
「こんな夜中に歩くの…、久しぶりだな…。」
独り言が誰もいない道に消える。
私の声は、風の音に溶けて。
「…、帰りたくないな。」
なんて。
子どもみたいなことを口にした。
屯所に帰っても、
土方さんの顔を見れば苦しくなる。
どうしていいのか分からないこの感情に、
私はきっと立ち止まって。
「…どうすれば…、いいの…?」
土方さんは今何を考えているんだろうか。
『やめるか?俺らの関係。』
関係を…、
私との関係を…、
終わることだけ、考えてるのかな…。
「…、…はぁ…、」
見上げた夜空は、
細い月が白く輝く。
それが、薄く笑うようで。
目を逸らして、
暗い道を帰った。
帰り着いた屯所。
門を入って小さな中庭を横目に歩けば玄関。
外灯だけがついた屯所は、
門を過ぎれば中は真っ暗で。
砂利にすら足を取られそうだった。
そこに、
「…、…土方…さん…?」
暗い夜にさらに黒い影が佇んでいた。
目を凝らせば、細く白い煙と一緒で。
「…。」
鼻を掠める煙草の匂い。
どんな顔をしているのか、
どこを見ているのか。
何も分からないけど、
その影は何も話さない。
私を待っていてくれた?
なんて、そんな都合の良い考えは浮かばなかった。
だって。
だってあんなこと言われた後だから。
私は「失礼します」と小さく言って、その横を通り過ぎた。
「…どこに行ってたんだ。」
静かな夜に、
はっきりと聞こえる土方さんの声。
「…、少し私用で。」
「こんな時間にか?」
「…はい。」
僅かに通り過ぎた先で足を止めた私は、
土方さんに顔半分だけ向けて返事をした。
長い時間、話すのは辛い。
土方さんは「トンだ私用だな」と鼻で笑った。
私は「すみませんでした」と言って会釈をした。
足を進めようとした私に、
「待てよ。」
土方さんが腕を掴んだ。
私は振り返ることもせず、
ただ掴まれた腕だけが土方さんに向いていた。
心臓がドクドクと鳴る。
逃げ出したくて、
不安に胸が痛い。
「何…ですか…?」
あの時の返事を問われるの?
関係をはっきりするために、
私は何を言わなければいけないの…?
「…。」
土方さんは何も言わない。
私は何も言えない。
「…。」
「…。」
私には、あまりにも辛い沈黙だった。
だから。
「用がないんでしたら私は…、」
言葉を濁すように、
"その手を放してくれ"と促した。
土方さんが何かを言いかけて、息を吸った音が聞こえた。
だけどやっぱり何も話さなくて。
掴まれた腕をそのままに、
私が足を一歩進めた。
その時。
「心配…した。」
土方さんが、そう口にした。
「急に…居なくなっちまったから。」
私の足は当然のように止まり、
彼の言葉に、
私の胸は苦しいほどに締め付けられた。
「…心配した。」
土方さんはまたそう言って。
振り向かない私を、後ろから抱き締めた。
「紅涙。」
私の肩に、
土方さんの顔が埋まる。
私の首筋に、
土方さんの息が掛かる。
「どこにも、行くな。」
初めての、束縛だった。
手を引かれて招かれた副長室。
「久しぶりに呑むか。」
土方さんはそう言って、お酒を用意した。
縁側に並んで座って、
細い月の僅かな光に照らされる。
「私、日本酒は苦手で…、」
「分かってる。」
苦手だと言うのに、傍に置いた一升瓶は日本酒。
過去に呑んだ日本酒で、悪酔いした記憶がある。
だが私は渋々、
渡された猪口を両手に持ち酌をしてもらった。
土方さんは自分の分を入れて、
「呑んでみろよ。」
"その酒"
促されて、
私は「頂きます」と独特の苦さを思い描きながら口に運んだ。
「あれ…?」
確かに苦さはあるが、いつまでも口に残る感覚ではなくて。
あぁ、
これが呑み易いということかと思った。
「上手いか?」
土方さんは私をチラリと見て、自分も口に運ぶ。
私は「美味しいというか…、」と猪口に入ったお酒を見た。
「苦くないです…、何だか…呑めそうです。」
「我が侭なこった。」
土方さんは私の言葉を鼻で笑った。
私はそれがどういうことか分からなかったけど、その後すぐに「良かった」という土方さんの言葉が染みた。
「買って来て…くださったんですか…?」
"私のために"
そう口にして、窺うように土方さんを見た。
土方さんは自分の猪口に入るお酒を揺らしながら、私を見て小さく笑う。
それは優しい微笑みなんかじゃなくて、
「馬鹿かテメェ。」
まるで、悪戯っ子。
「自惚れんな。」
そう言ってお酒を飲み乾した。
猪口を置いた土方さんは潤う唇を私に向ける。
「寒くなったか?」
「え…?」
「外の風に当たって、寒くなったかっつってんの。」
それは、
床の間への遠回りな誘い。
「…寒くないです。」
"お酒でポカポカしてきました"
分かりにくくて、
分かりやすい、
彼の誘い。
「鈍感女。」
どっちが。
「寒いって言え。」
そんなことを思いながら、
土方さんの唇に目を閉じた。
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