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大好き


"馬車馬の如く働く"という罰は、本当だった。

時計は23時。
これはこのまま明日の朝まで机に向かっているパターンだ。

土方さんは終始無言で、
私は回されてくる書類を一言一句逃さず確認し、判を押す。
提出用と保管用を作成して、それらの準備をする。

「…。」
「…、」

ただ、
土方さんは真剣というよりも、

「…。」
「…。」

何か考えているような、
…怒っているような、そんな雰囲気があった。

気まずい。
開始二時間で、早くも私は耐え兼ねていた。

土方さんはひたすら煙草を吸い、吸い殻ばかりを増やしていく。

「…ケホ。」

私は小さな咳をしてみた。
小さいと言っても恐ろしく静かな部屋だ。

こんな咳でも、充分に大きな音になる。
だけど土方さんは何も反応しない。

「…。」

変わらず、すらすらと筆を滑らせる音だけが響く。

「…ケホケホ。」
「…。」

無視だ。
もしかして、これは怒ってるということなのか?

「…、…ゲホ、」

私は酷めの咳をしてみる。
土方さんはちらりと横目に私を見た。

よし!もうちょっとだ!

「ゲホゲホ、ッ!ゲホッ!」

しまった!唾が変なとこに!!

「ゲホゲホッ!!」
「だァァァ!煩ェな!!」
「ず、ずみまぜ、ッ、ゲホッゲホッ!」

土方さんが筆を投げ捨てた。
やった!
私は心の中でガッツをしながら、自分の咳を治めようとする。

だけど変なところに入ると暫くは苦しくて。

「おい何だよ、わざとじゃなかったのか?」

土方さんが苦笑しながら私の背中を撫でてくれた。

「わざとだってッ、知ってたんです、かッゲホッ」
「ああ知ってた。喋んな、とりあえず深呼吸してみろ。」

咳が苦しくて、涙目になる。
私は短い深呼吸をして、何度か咳をした。

「ふ、ふう…、落ち着いてきました…。」
「風邪か?」
「いえ、…途中で唾が変なとこに入りまして。」
「…。」

土方さんの呆れた視線が痛い。
私は「だって…」と目に残っていた涙を拭いて土方さんを見た。

「土方さん…、何か怒ってるみたいだし。」
「…怒ってねーよ。」
「…。」
「…。」
「言ってくれないと、わかりません。」
「…お前もな。」
「え?」
「…別に。」

土方さんはまた渋い顔になって、「何でもねーよ」と机に向かい直した。

まずい。
また気まずいまま時間を過ごすことになる。

時間が、勿体ない。

「土方さん!」

確かに、
確かに怒ってもらうのも貴重なことだけど。

「うるせっ、静かにしろ!」

それはもうさっき味わったからいらない。

「すっすすすす、」
「何だよ。」
「すす、好きって…言ってください!」
「はあああァァ?!」

私を煩いと言った土方さんは、私よりも大きい声を響かせた。

「いきなり何言ってんだ馬鹿!」
「わっ私は好きです!すごく!…だからその…、」

ああ、
なんて言ったらいいんだろう。

「その…、…、」
「…。」
「…土方さんと、離れていた間に…思ったんです。」

もっと、距離を近づけたいんです。

別に触れ合いたいとか言うわけじゃない。
ベタベタしたいとか言うわけじゃない。


「…、寂しいなって。」


あのまま終わっていたら、きっと私は寂しかった。

溢れたままの気持ちを持て余して。
私は一人で土方さんを見下げていたのだとしたら、きっと寂しかった。


「もっと…土方さんと、…居たいなって…。」


だから、ね。

「たくさん、喋りたいなー…って…。」

ただ話したり、
つまんないことで笑ったり、

そういうことが、したい。

いっぱい、したいんです。

「…居るじゃねーか。」
「はは、そうですよね。…そう、ですよね…。」

私は苦笑したきり、何も言えなくなった。

上手く伝える言葉が見つからないのと、

少しだけ、
泣きそうになったから。

「…。」
「…。」

結局、私は部屋を静かにしてしまった。

駄目だな…。
せめてこの空気を楽しむぐらいじゃないと、ね。

そうだよ、気の持ちようだ。
こんな雰囲気も味わえたんだと思おう。

心の中で意気込んで、また書類に向かい直した。


「…好きだ。」


部屋に、すうと響いた。


「紅涙のこと、…好きだ。」


土方さんを見た。
土方さんは私を見て、薄く笑った。


「お前が思っている以上に…俺は紅涙が好きだと思う。」


…嬉しい、
嬉しい、よ。

「…うん…、」

嬉しいのに、

「…何で泣くんだよ。」
「っ、うん…、」

涙が溢れた。


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