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除隊
土方さんが去ってどれくらい経ったのか、
誰もいなくなった境内に、しとしとと雨が降り始める。
聞こえるのは、細い雨音だけ。
なのに私の耳にはずっと、声が聞こえていた。
『今までありがとな、早雨』
感謝の言葉は、そのままの意味じゃない。
これ以上、傍に留まることは許されない、そういう意味が含まれている。
つまり、あの言葉を最後に、
私は真選組の組織から外されたんだ。
「……、」
本当にこうなると、意外と頭の中は空っぽだった。
悲しいとか寂しいとか、何も浮かばない。
それとも、私が突き放されることに慣れただけなのかな。
「これからどうしよう…。」
この悩みも何度目だろう。
そもそも、悩むことはないのに。
また『なんでも屋』をすればいいだけだ。
師匠に電話して、
お世話になったお礼を言って、
久しぶりの家に帰れば…日常が戻る。
真選組には入るまでの日常に…
『松平片栗虎、ならびに真選組局長 近藤勲は斬首。真選組は、本日をもって解散とする』
前とは違う、この江戸で。
「…どうせなら、やりたいようにしようかな。」
辞めた私を止められる人はいない。
勝手に考えて、勝手に動いても、自分だけの責任だ。
それなら今、見廻組と話してみようか。
『キミは良くやってくれたから、うちの仲間に入ってもいいお☆』
今の私なら、きっと佐々木異三郎と話せる。
事態を好転させるためでも、逆に悪化させるかもしれないけど。
…そんな可能性を考えても、キリがないから。
「行かなきゃ始まらない…よね。」
余計なことだと言われたら、捨て置いてもらおう。
見捨てられないと言ってくれたら、自分から手を離そう。
今度は私が、突き放す。
真選組のためなら出来る。
大切な人達のために、好きな人のために湧く行動力ってすごいな。
「…とりあえず、屯所に戻ればいいか。」
きっと見廻組の誰かがいるはずだ。
そこから佐々木異三郎に繋げてもらおう。
足を踏み出す。
傘なんて持ってない私に、雨は容赦なく降り続けた。
小さな社殿から離れ、先ほど土方さんが踏みつけていった敷石の上を辿る。
ジャリジャリと鳴る自分の足音をどこか遠くに感じていれば、
――ジャリ、ジャリ…
前方から、もう1つ音が聞こえてきた。
「……。」
誰か来る。
傘を差しているその人は、
片手をポケットに突っ込んでいて、歩く振動で腰の刀を揺らしている。
「…まだここにいたのか。」
そう言って、口元に手をやった。
人差し指と中指に摘まれる、煙草。
「!」
「捜す手間が省けて助かったよ。」
黒い人。
黒い隊服に身を包んだ、私の好きな人。
「土方…副長……、」
「…ああ。さっき、その肩書きに戻った。」
フッと笑う。
途端に泣きたくなった。
「土方っ副長…っ、」
「だからそうだって。」
笑いながら、こちらに歩み寄る。
よかった、
真選組に戻ったんだ…!
「でも、もうお前にとっては副長じゃないけどな。」
“早雨は、うちの隊士じゃねェし”
……、
「とりあえず屋根の下に入れよ。そのままだと風邪ひくぞ。」
「…はい。」
土方副長の…土方さんが傘に入れてくれる。
社殿の軒下へ着くと、
土方さんは私を見て苦笑し、煙草の火を消した。
「お前、すげェ濡れてんな。あんなとこでずっとボーっとしてたのか?」
「いえ…、今……行こうと思ってたところです。」
「どこに?」
「……、」
「?」
「土方さんは…どうしてここに来たんですか?」
「俺はお前と話しに。」
「私と…?」
「ああ。」
目を見る。
その目は、
「早雨に、ちゃんと除隊してもらうためにな。」
ここしばらく見ていた目とは、色が違った。
研ぎ澄まされた目。
これまでの土方さんの…
いやそれ以上に、前を見据えた濁りのない目。
「そう…ですか。」
てっきり、戻ってきてくれたから期待したのに…。
…『期待』?
何言ってるんだろう、私。
私には、これからやらなきゃいけないことが出来たんだから、
どのみち、真選組には戻らない。
「悪かったな。グダグダしちまって。」
「いえ…、安心しました。これでもう…大丈夫ですね。」
“真選組も、近藤局長も”
よかった…本当に。
「大丈夫じゃねェよ。」
「…え?」
「まだ足りねェんだ、人が。」
「……、山崎さんとは会われましたか?」
「攘夷の件か?それなら共闘することになった。つか、なってた、だな。真選組の奴等も戻ってきてる。」
「そうでしたか…。だったら、それ以上に増やすのは難しいですね。もう一般から候補者を募るくらいしか――」
「あと一人でいいんだ。」
土方さんが懐に手を忍ばせる。
「お前がいい。」
「……え?」
「もう一度、真選組に力を貸してくれないか。」
真選組に…力?
頭が回らず、復唱する。
土方さんは気まずそうに笑った。
「虫のいい話だよな。でも――」
「ま、待ってください。私のことは、さっき除隊だって…」
「ああ。除名する。」
「っ…、だったら……」
「契約するんだよ、『なんでも屋』のお前と。」
「!」
言ったこと…ないよね。
何度か言わなきゃいけない雰囲気になったけど、言わずに済んでいたはず。
なのに、
「…知ってたんですか?」
「知ってた。」
「いつから…?」
「屯所で殺された奴がいただろ。あの頃だ。」
やっぱり…。
あの時、男と話してたのを聞かれてたんだ。
「じゃあ…私が誰から雇われてたのかも……知ってるんですか。」
「知った。」
「『知った』?」
「知らなかったけど、知った。」
「……、」
「その上でお前に頼みたいって、俺は言ってんだよ。」
…それは、すごく嬉しい申し出だと思う。
でも今ここでまた真選組に近くなると、動けなくなる。
佐々木異三郎と、話せなくなる。
「どうだ。俺の依頼、受けてくれるか?」
「……ごめんなさい。」
「!」
土方さんが目を丸くする。
少し不満げに口を歪めた。
「なんで断るんだよ。」
「それは……もう次の依頼が入ってるので。」
依頼というか、やること、だけど。
「何の。」
「言えません。」
「誰からの依頼だよ。」
「それも…言えません。」
「なら、いくらで受けた。」
「言えませんってば。守秘義務が…ありますから。」
このまま嘘をつき続けるのは難しい。
ボロが出るし、何より心苦しい。
「あの…、…そういうことですので、もう行きますね。」
出来ることなら、ずっと話していたいけど。
「失礼します。」
土方さんに頭を下げた。
また雨空の下へ出て行こうとすると、
「待てよ。」
手首を掴まれる。
「まだ話は続いてんだ。勝手に終わらせるな。」
「……すみません。」
振り切れるわけもなく、土方さんの方へ向き直る。
それと同時に、手も放された。
「お前が話したくないって言うなら、それでいい。もう聞かない。」
「……。」
「だがその依頼も含めて、俺はお前に依頼する。」
「……え?」
「それならいいだろ。」
しれっと言って、煙草に火を点けた。
「ど、どういう意味ですか?」
依頼も含めて依頼するって…
「お前が今受けてる依頼の報酬は俺が持つ。その依頼をこなし、終えた後に真選組に力を貸すことが俺の依頼だ。」
“先の依頼者には俺から連絡するから”
そんな…、
「そんなの…無理ですよ。」
「なんで。」
だって依頼は…、
私がこれからやることだし、何より見廻組との接触だ。
真選組と並行したら、真選組に属しているのと同じになる。
「…出来ません。」
「出来ない理由は?」
「依頼の…掛け持ちは……してないので。」
「報酬が減るわけじゃねェのにか?なんなら、俺の方はもっと積んでもいい。」
そこまでして…?
「お、お金の問題じゃありませんから。」
「じゃあ何だよ。」
「…依頼に、手を抜かずに向き合うためです。」
「なるほどな。いい心がけだ。」
納得した素振りで、灰を落とす。
私はホッと胸を撫でおろした。
「じゃあ――」
「ならその任務を優先した上で、真選組に力を貸してくれ。」
「え…」
「早雨が第一に考えるのは、先の依頼でいい。俺の方は、いつでも来れるように引き受けるだけの形でいいから。」
どうしてそこまで…。
「そんな意味のない契約で…いいんですか?」
「いい。」
「……、…はぁ。」
ダメだ、これ以上は並べる言葉がない。
佐々木異三郎へ会いに行くのは…諦めよう。
「わかりました…、お引き受けします。」
「悪いな。」
土方さんは口角を右側だけ歪ませて笑った。
「で?いつ頃から来れそうなんだ。」
「…いつでも構いません。」
「そうはいかねェだろ。もう1つの依頼次第なんだから。」
「……それは、もうないので。」
「ない?」
私は溜め息を吐いて、白状した。
「依頼なんて、始めからないんです。やりたいことがあったから…嘘をついただけです。」
「やりたいことって何だよ。」
「…そこは別に知らなくてもいいと思います。」
顔を背ける。
すかさず土方さんは手を伸ばし、私のアゴを掴んだ。
強引に顔を向けられ、詰め寄られる。
「知りてェんだよ。」
「っ…、」
「言え。早雨。」
『アンタのことが、知りてェ』
こういうの…面接の時にもあった気がするな。
「土方さんって…知りたがりですね。」
「かもな。」
「それに、…距離感が間違ってます。」
間近に迫る顔。
あの時も、この瞳に吸い込まれそうだと思っていた。
思った時にはもう、吸い込まれてたんだろうけど。
「教えろ。」
「…佐々木異三郎に、会おうと思ってました。」
「!……何のために。」
「話しに行けば、小さなきっかけでも作れるんじゃないかと思って。」
「…はァァァ、」
土方さんは深い溜め息を吐き、私から手を放した。
「そんなことしてもイイように使われるだけだぞ。人質だの何だのにされて終わりだ。」
「…わかってます。」
「俺達のためだと思ってるかもしんねェけど、全くの逆効果にしかならない。」
「…かもしれません。それでも、……、」
それでも、
「何かしたかったんです。」
「……。」
変わらないと、諦めたくなかった。
立ち止まることが、
真選組と切れてしまうことが、怖かった。
「…ごめんなさい。」
目を伏せる。
土方さんの短く吐き出す息が聞こえて、
「ありがとな。」
頭に、優しい重みが載った。
「お前にまで、背負わせちまったな。」
土方さんは私の髪に手を滑らせるようにして撫でる。
「逃げててごめんな。」
「土方さん…」
「もう、お前一人でどうにかしようなんて考えなくていいから。」
撫で終えた手を離し、
「これからは、俺がいる。」
土方さんは、私に優しく微笑んだ。
転 end
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