8


出口の穴



私が行きたがっていた場所。
それは、

「ここだ。」

リサイクルショップ『地球防衛軍』だった。

「こんな深夜でも開いてるんですね…。」
「だな。正直、俺も開いてるとは思ってなかった。」
“叩き起こさずに済んで良かったな”

もしかしてこの世界では24時間営業…?
って、その前に。

「土方さん、ここはリサイクルショップですよ?ガソリンなんて…」
「置いてる。妙な機材や発電機を扱ってるんだから、試運転用のガソリンも常備してるはずだ。」

…なるほど。

「でもお金も使えないのにどうやって譲ってもらうんです?」
「まァ見てろ。」

どうするつもりなんだろ…。

「邪魔するぞ。」

店内に入る。

念願の入店!
…なのに、どうやってガソリンを手に入れるか心配で楽しめそうになかった。

「いらっしゃい。」

店主であるショートカットの女性が、キセルを指に挟んで出迎える。
気だるそうでクールビューティな雰囲気は『銀魂』そのものだ。

「何の用だい。」
「ガソリン、あるか?」
「ガソリン?それなら向かいの線路を越えた先にあるガソスタに行きな。」
「いや、金がねェんだ。」
「……ほう、」

鼻先で笑う。

「それでどうやって手に入れるつもりで来たのさ。」
「物々交換を頼む。」

物々交換…。
交換できる物なんて持ってたっけ?

店主は浅く頷いた。

「あたしゃ構わないよ。何と引き換えるんだい。」
「煙草だ。」

煙草!?

「ライターも付ける。」

土方さんは街で貰った煙草とライターを出した。

「そりゃまたチンケな交換だねェ。」

店主が煙草を手に取る。

「辛うじて新品だけど開封済み。売り物にはならないね。」
「ならアンタが吸ってくれ。ほんの数滴程度のガソリンで構わねェんだ。」

小瓶を見せた。

「それは?」
「ここに入れてほしい。…頼む。」

小さく頭を下げる。
私も土方さんの隣で、「お願いします」と頭を下げた。

「…そんな少量を何に使うんだい。」
「教えたらタダにしてくれるか?」
「まさか。形ない物と取り引きする気はないよ。」
“こちとら道楽で仕事やってんじゃないんだからね”

…ダメか。
だけど他に交換できる物なんて……

「まぁいいさ。」
「っえ!?」
「煙草で手を打ってやるよ。」
「いいんですか!?」
「ああ。こんな時間に来るような客だ。どうせろくな事情がないんだろう?」
「…まァな。」

店主はフッと笑い、手を差し出した。

「貸しな。」

土方さんが小瓶を渡す。
店主は小瓶を眺め、軽く掲げた。

「これと交換するってのはどうだい?」
「出来ない。それは必要なもんだ。」
「そりゃあ仕方ないね。」

店の隅に置いてあった携行缶を移動させる。
『ガソリン』と書かれたそれにスポイドを突っ込み、小瓶へ注いだ。

「これくらいかね。」

小瓶を振る。
深さ1cmくらいの液体がピチャピチャと音を立てた。

「充分だ。助かった。」
「ありがとうございました!」

頭を下げる。
店主はキセルに口をつけ、「何に使うのかは聞かないけど、」と言った。

「無理心中だけは止めておきな。」
「無理心中?」
「生きてりゃいいこともある。二人いるんだし尚更さ。」
「「……。」」

もしかして…私達が死ぬためにガソリンを手に入れたと思ってる?

「えっとー…」

どう話せばいいのかな…。
悩む私を、

「…紅涙。」

土方さんが止めた。
静かに小さく首を振る。
言わなくてもいいという判断だ。

「じゃあ俺達はこれで。」
「…また顔出しに来なよ。」
「ありがとうございました。」


ガソリンの入った小瓶を大事に持って、外へ出る。

「やりましたね!」
「ああ。」

ようやく『繋いだ物』を手に入れた。
いよいよ元の世界へ戻れる。
…けど、

「これをどうすればいいんだろうな。」

そこだ。
小瓶の中で揺れるだけの『繋いだ物』は、何かを起こしそうな気配がない。

「手に入れるだけじゃダメ、ってことでしょうか。」
「だが出来ることは限られてるよな…。」

飲める物でもなければ、肌に濡れるような物でもなく。
ガソリンの使い道といえば、車を走らせたり機械を動かすくらい。

…ん、車?

「車に乗ってみます?」
「車に?」
「ガソリンは車から出た物だから車に乗らなきゃいけない…みたいな。」
「それなら『繋いだ物』自体が車になりそうなもんだが…」
「あー…ですよね。」

やっぱりガソリン自体を何かするのかな…。

「地面に何か書いてみます?」
「…ガソリンでか?」
「はい。名前とか…魔法陣的なものとかを。」
「ファンタジーだな。と言っても俺達が来る時には魔法陣なんてものもなかっ……あ。」
「?」
「河原に戻るぞ。」

土方さんが確信を得たように歩き出す。

「え?あの」
「早く来い。」

手首を掴まれる。
そのままスタスタ歩き、先程まで休んでいた高架下まで戻ってきた。

「どうするんですか?」

道中、土方さんは河原に落ちていたペットボトルを拾い、川の水を汲んでいる。

「これで水溜まりを作るんだよ。」
「水溜まり…、…あっ!」
「そういうことだ。」

土方さんは窪んだ場所に水を流し、小さな水溜まりを作る。

「俺達は水に浮かぶガソリンを見て、この世界へ来た。だからこの水溜まりにガソリンを垂らして…」

小瓶を傾け、数滴落とす。

「あの時の水溜まりを再現すれば、起きるはずだ。あの現象が。」

油は水に浮き、虹色になって広がる。
モワモワとした色彩が、あの時に見た輝きを思い起こさせた。

「…そうです、こんな感じでした!」
「俺が見たのもこんな感じだった。」

見つめていると、風もないのに水溜まりが波打ち始める。
水面を覗けばキラッと光った。

「っ、これ…」

この眩しさ、覚えてる。

「…当たりだな。」

あの時、太陽の光が差して目眩がした。
けど今は深夜。
太陽なんて出ていないのに…どうやって光ったの?
もしかしてあの時に見た光も太陽光じゃなかったのなら……

「紅涙!」
「!?」

突然、力強く腕を掴まれた。
驚いて土方さんを見ると、なぜか悲愴な顔をしている。

「…土方、さん?」
「っ……あ、…悪い。止めちまった。」
「え?」
「今…たぶん紅涙は戻るとこだった。」
「ええ!?」

も、戻るって…元の世界に!?

「水溜まりが光った途端にお前の身体が倒れ込みそうになって…。吸い込まれそうに見えた。」

水溜まりに…。

「悪かった、機会を逃させちまって。」
「あっ、いえ…。…よかったです、挨拶しないままにならなくて。」
「挨拶?」
「戻る時はちゃんとお別れを言いたいじゃないですか。」

ずっと一緒にいたわけだし。
…と言っても1日くらいだけど。

「なんだかすごく…長い時間を一緒に過ごした気がしますから。」
「…そうだな。濃厚な1日だった。」

ガッカリしたり、ヒヤヒヤしたり、ドキドキしたり。

「初めはどうなるかと思いましたけどね。」
「ああ。飲まず食わずな上に、禁煙しても案外持った。」
「あっ忘れてたのに!…もー、急激にお腹が減ってきたじゃないですかー。」
「くく、単純なヤツだな。もう少しの辛抱だろ?我慢しろ。」

土方さんが水溜まりに目を落とす。
私もまた水溜まりを見ようとすると、

「紅涙は見るなよ。」

そう言われた。

「どうしてですか?」
「おそらく俺達が一緒に見ることで水溜まりは光る。」

一緒に…見ることで?

「どういう原理でしょうね…。」
「俺達のいた場所が関係してるように思う。」
「場所…、」
「元の世界の俺達は、全く関係ない場所にいるようで同じ場所にいたんだ。」

……、

「え?」

すみません、よく分かりませんでした。

「俺が事故処理していた場所と紅涙が水溜まりを見た場所は、正反対の同一場所だったってことだ。」
「正反対の…同一場所?」
「地図を見てみろ。」

先ほど地面に描いた地図を指さす。

「俺達がいた場所は、踏み切りを境に折り畳めば同じ場所になる。」
「……あ!」

土方さんが指摘する通り、
私達がいた場所は踏み切りの上か下かなだけで、大体の位置が同じに見える。

「この地図では大雑把な距離間だが、実際はもっと細かい単位で同じだったのかもしれねェ。」

嘘みたい…。
銀魂の世界における地図と私が住んでる街の地図が似てた、ってこと?

「そのせいで私達はこの世界に…?」
「いや、その程度なら他に来てる奴がいてもおかしくない。」
“何より『繋いだ物』がガソリンにならないだろ”

…そっか。

「これはあくまで俺の想像だが、」
「はい。」
「場所の一致に『干渉』が絡むことで、今の状況が引き起こされたんじゃねェかと思う。」
「かんしょう…」
「光の干渉だ。水の中に油が混じると、虹色みたいに見える現象のこと。」

あー…昔に習った気がする。

「干渉による色彩は都度違う。にも関わらず、俺達は同じ場所で同じ色を見た。」
「あの水溜まりの?」

頷く。

「狙っていたならまだしも、偶然同じ色彩を見る確率は極めて低い。」
「じゃあその偶然が重なって…」
「俺達には想像もつかない奇跡が生まれた、のかもな。」

土方さんは「そうなると、」と続け、

「俺達の『繋いだ物』はガソリンじゃないのかもしれねェ。」

とんでもないことを言った。

「え!?で、でもさっきガソリンで水溜まりが光ったのに…」
「おそらく『干渉』で光ったんだ。たとえガソリンじゃなくても干渉が発生する物なら何でもよかった。」

そういうことか…。
…にしても、

「なんかすごいですね。」
「ああ。信じ難いことだな。」
「あ、いえ…それもそうなんですけど、土方さんがすごいなって。」
「俺が?」
「博識です!私なんて干渉の意味すら忘れかけてましたよ。」

土方さんは鼻先で小さく笑った。

「単なる受け売りだ。昔、義兄に教えてもらってな。」

義兄…。

「確か目の不自由な…優しいお兄さん、でしたよね。」
「!…そうか、そういうことも知ってんだな。」
「はい。でもお兄さんが『干渉』について話してたシーンはなかったはずですけど…」
「言っただろ。」

薄く笑い、片眉を上げる。

「お前らにとって紙の中の話でも、俺達はその世界で生きてる。載ってることが全てじゃねーよ。」

そうだった。
私にとっては漫画の中でも、

「俺達が毎日風呂に入ってるシーンなんて描いてねェだろ?」

その世界で暮らす人達がいる。
『銀魂』を読むだけじゃ見えない日常があって、
読者である私達は、彼らの一片を見ているに過ぎないんだ。

「…他にも色々教えてください、漫画に載ってないこと。」

知りたいな。

「無茶言うなよ。何が載ってねェのか知らねーし。」
「じゃあ事細かに話してくだされば結構ですよ?」

私の知らないこと、たくさん知りたい。

「『事細かに』だと?」
「はい。朝起きる時辺りからお願いします。」
「フッ、バカ言え。そんなどうでもいい話をしてどうする。」
「いっぱい持ち帰りたいんです、土方さんの話。」

つまらないことでいい。
ここでしか得られない話が聞きたい。

「そうすれば、別れた後もたくさん思い出が残りますから。」

あんなことがあった、こんなことを聞いた、
それを思い返せば、元の世界へ戻った後も少しは寂しさを紛らわせる…ような気がする。

「紅涙…、」

土方さんはなんともいえない顔をした。
その顔を見て、ハッとする。

私、薄く告白してない!?

「あ、いやっ違います!その…貴重な時間だからですよ!?」
「…何が。」
「え、えっと…土方さんと話した貴重な時間を…たくさん思い出せる…って意味で、」
「……。」
「深い意味は…なかったんですよ?」
「…キツい弁明だな。」
「……ですよね。」

苦笑いを返す。
土方さんは弱く笑って目を伏せた。

ヤバい…。気まずくなった?
何か話を変えないと…、…あそうだ。

「こ、この水溜まりって、1つ作るだけで大丈夫だと思いますか?」

無理やり話を戻す。

「1つだけで私達が個々の世界に戻れるか微妙だと思いません?」

水溜まりを見た。
顔をそむけている土方さんが水面に映っている。

「…大丈夫だろ。ここへ来る時も、俺達は違う水溜まりを使ったようで同じ水溜まりだったのかもしれねェし。」



「同じ…水溜まり?」

場所は同じだったかもしれないけど、水溜まりまでは同じじゃないんじゃ…?

「紅涙が見た水溜まり、雨なんて降ってなかったのにあったんだろ?」
「そうです。誰かが洗車したような跡もなかったのに。」
「その水溜まり、もしかしたら俺の世界の水溜まりが漏れた物なんじゃねーか?」
「…え、まさか。」

銀魂の世界の水溜まりが…私の世界に流れてきたって?

「だが説明つくだろ。雨でもない日の水溜まり。」

それは…そうですけど。

「さすがにありえませんよ。」
「なぜだ?」
「だって…」
「また『漫画の中なのに』、か?」

私よりも先に、土方さんはフフンと鼻を鳴らしそうな顔つきで言う。

「ならこの瞬間をどう説明するつもりだ?漫画の中にいる俺が紅涙の前にいるんだぞ。」

そんな得意げに言わなくても…。

「世の中ありえないことなんてそうねェんだよ。」
「…ふふ、かもしれませんね。」

夢みたいな一時さえも今は現実だと思える。
たとえ、元の世界へ戻ることで覚めてしまうとしても…

「楽しかったです。…土方さんと過ごせて。」

そのことは、ずっと変わらない。

「…もう聞いた。」
「そうでしたっけ。」
「……。」
「……すみません。」
「何が。」
「なんかまた…空気戻しちゃって。」

気まずくなったから話をそらしたのに…意味なくなっちゃった。

「……、…はぁ。」

土方さんが大きな溜め息を吐く。

「煙草、吸いてェな。」

ひとこと呟いた。

「気分転換にちょっと歩くか。」
「え、」
「付き合ってくれ。」

河原を歩き出す。
私はその背中に少し出遅れた。

今すぐ元の世界へ戻れば煙草が吸えるのに。
どうしてわざわざ気分転換する必要がある?

「……、」
「どうした?」
「…いえ。」

不思議に思ったけど、口にはしなかった。
限りある時間の中で少しでも長く一緒にいられるのなら、そちら方がいい。

「どの辺を歩きますか?」
「そうだな…、紅涙の街の方へ行くか。」
「私の?普通の住宅街で面白い場所なんてありませんけど…」
「俺にとっちゃ十分普通じゃねーよ。」

話しながら土手を上がり、川沿いの道を踏み切りの方へと歩き出す。

しかしその時、

「はいはい、そこのお二人さーん。」

私達の呼び止める声があった。

「ちょーっと待ってくれる?」

聞き覚えのある声に血の気が引いた。
土方さんを見ると、同じく思い当たるようで険しい顔をしている。

「聞こえてやすか〜?」
「「……。」」

どうしよう、これはマズい。

「…紅涙、やり過ごす自信は?」
「…が、がんばります。」

二人で振り返った。

「こんな時間に河原でデートですかィ?」

懐中電灯の光を向けられ、眩しさに目を細める。
白く飛ぶ視界の中で、二人の人影が見えた。

「いやァ実はね、この辺りで"変わり種"の目撃情報がありやして。」

一人はもちろん、天人の総悟君。

「捜索中なんですが、どこかで見てやせんかね。」
「…見てませんよ。」
「そちらの旦那は?」
「…ねェよ。」

土方さんは目を伏せ、うつむき気味に答える。
総悟君は「そうですかィ」と感情の読み取れない声音で言った。

「ついでと言っちゃァなんですが、少しばかり確認しても構いやせんか?」

確認…?

「何の…ですか?」
「身分を証明する物だ。」

隣に立っていた人が話し出す。
その人は…

「お前らが"変わり種"でない証拠を見せてくれ。」

天人の土方さんだった。


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