9


避けられない時



天人の土方さんと私の隣にいる土方さんが、同じ場所にいる。
これは…かなりマズい。

私達がこの世界から消滅させられてしまう条件は3つ。

24時間以内に繋いだ物を見つけられなかった時。
この街の物を飲み食いした時。
そして、天人の自分と顔を合わせた時。

もし土方さん同士が認識し合うと、たちまちその体は消滅する。
だから、目を合わせることは絶対に避けなければならない。

「…っあ!」

私は唐突に声を上げた。
総悟君達の後ろを指さし、目を細める。

「あそこにいる人、もしかしてお二人が探している変わり種じゃないですか?」
「なに!?」

二人が狙い通りに振り返る。
その隙に私は隣にいる土方さんの手を引いて走り出した。

「っ!?おい紅涙っ」
「逃げないと!」

「あ!ッ、おいコラ!」
「あーりゃりゃ。土方さん、あの二人走って行っちまいやしたぜ。」
「バカッ呑気に見送ってる場合か!っコラ待ちやがれ!」

天人の土方さんが叫んでいる。
私は必死に手を引いて先導した。が、

「逃げるタイミング下手すぎだろ!」

すぐに土方さんが私の手を引いて走る形になる。

「だってすぐに逃げないとっ、土方さんがっ!」
「だからってあんな古典的な手段を取る奴があるか!怪しまれて捕まるのがオチだろ!?」
「じゃあ他にどんな方法があったんですか!」

静まり返る夜の川辺に、ギャーギャー叫ぶ声が響く。
後ろからも「待ちやがれ」だの「止まらねェと斬るぞ」など物騒な声が飛んで来ている。

「はぁっ、はぁっ、ひ、土方さんっ!」

このまま逃げるしかない。
逃げるしかない、けど!

「あのっ、っ、このままっ、走り続ける、っ感じですか!?」

息がっ…!
息がヤバいっ!
足もついていけなくなってきた!!

「走るしかねェだろ?誰かさんが無謀に走り出したりするから。」

顔半分だけ振り返り、私に向かって厭味に笑う。
余裕の笑みだ。

「〜っ、すみませんでしたッ!」
「仕方ねェな。なら、そこの草むらに潜る。」
「ええ!?」

潜るって…

「来い。」
「っわ!」

言うや否や、土方さんは勢いよく私の手を引いた。
土手に生えていた背の高い茂みの中へと滑り込み、

「屈め。」

私の頭を押さえつける。
総悟君達の足音が頭の上を通り過ぎた。

「ああ!?どこ行った!?」
「あっちに曲がったんじゃねェですかィ?」
「くそっ、住宅街に入られたら探す手間が掛かる。」
「土方さんのせいでさァ。」
「お前のせいだろうが!あの時ぼーっと見送ってさえなけりゃ今頃――」

二人の声が少しずつ離れていく。

「とりあえずは撒けたか。」

草むらから顔を出し、土方さんが小さく息を吐いた。

「まァ見つかるのは時間の問題だな…。」
「…どうします?このあと。」

街を散歩する予定だったけど、きっとこれなら街は大量の隊士が導入される。
なんたって副長と一番隊隊長が逃がした相手。
死に物狂いで探し出そうとするはずだ。

「……仕方ないな。」

草むらに立ち上がる。

「戻るぞ。」
「戻るって…」
「……。」

土方さんは何も言わず私に手を差し出した。
"立て"と促すその手を、

「…わかりました。」

少し悩んでから握る。

せっかく二人で散策する予定だったのに。
あそこがどうとか、ここがどうとか、楽しく話しながら歩くはすだったのに。

「残念ですね…。」
「…ああ。」

真選組のせいで台無しだ。

…でも、一緒に過ごせなくなるわけじゃない。
高架下へ戻っても、まだ一緒に過ごせる時間は残ってる。
散歩するかしないかだけの違いだ。

「…行くぞ。」

手が放された。

私達は土手を下り、辺りに注意を払いながら高架下へ戻る。
先ほど作った水溜まりはまだ残っていた。

「…紅涙、」

土方さんは水溜まりの前に立ち、

「お前も隣に立て。」

そう言う。

「…立ってどうするんですか?」
「決まってんだろ、戻るんだよ。」
「戻…る?」

戻るって…


『戻るぞ』


「さっきの『戻る』って、元の世界へ戻るって意味だったんですか?」
「…そうだ。」

冷めた表情で浅く頷く。

そんな……

「まだもう少し…時間残ってますよ…?」
「早く戻るに越したことはない。アイツらに見つかってからじゃ遅いからな。」
「だけど…」
「お前もさっき言ってたじゃねーか。腹も減ったし、喉も乾いたんだろ?」

だけど……

「もう少し…一緒にいたいです。」

うつむいた。
うつむくと水溜まりが視界に入る。
あれだけ探したこの世界の出口を、砂で埋めてしまいたい気分になった。

「…紅涙、」

私の頭にポンと手を置く。
顔を上げると、土方さんは弱く笑っていた。

「俺はいつも、もしもの時を考えて行動してる。」
「……。」
「だから『繋いだ物』が見つからなかった時のことも考えた。」
「…どう、考えたんですか?」
「もし見つからなかった時……、…お前とこの世界で暮らすのも悪かねェなって。」
「!」

土方さん…

「天人の自分を殺せばこの世界で生きられるなんて、アイツの嘘かもしれねェけどよ。」

自嘲するように笑う。

「それでもお前と生きれるなら、やってみる価値はあるんじゃねェかと思ってた。」

そんな風に…考えてくれてたんだ。
一緒に生きようとしてくれてたなんて…

「土方さん…、」

嬉しい。

「だが、」
「?」
「だが途中で、不可能だと気付いた。」

不可能?

「俺は…天人のお前を殺せねェ。」
「!」
「人を斬らない世界に生きる紅涙にテメェの手で殺すっつーのは無理がある。だから俺が代行してやりてェとこだが…」

自分の手を開き、握り締めた。

「たとえ天人のお前でも、俺は殺せねェよ。」
「土方さん……」
「俺達は戻るしかねェんだ、自分の世界に。」
「……っ、」

一緒にいたい。
もっと、
せめて……

もう少しだけ。

土方さんの袖を掴む。
その手を土方さんは優しく握って、離した。

「何事もタイミングを逃せばしまいだ。後悔しても、時間は戻せない。」

戻れるうちに戻るべきだと、土方さんは言った。

正論だ。
戻りたくないと駄々をこねたところで、私は私を殺せない。
ここで生きるためでも、
その相手が自分自身であっても、
人殺しの感触を背負って生きていくような度胸はない。
それを土方さんに押し付けて生きていくなんてことは…間違っている。

「…戻ろう、紅涙。」
「......、」

頭では理解した。
なのに頷けない。

「紅涙。」

土方さんが肩を掴む。

促されている。
困らせている。
返事をしなければ。

そう思いながら口を開くと、喉の奥が震えた。

「……わかり、ました。」

頷いた。
土方さんは小さく笑う。

「もし俺達がまた出会えた時は…」

そこまで言って、「いや、」と首を振る。

「ありえねェな。なんでもない。」

おそらく話しているうちに気付いたのだろう。
この奇跡すら越えた出逢いは二度とあるわけがないって。
ただの夢か幻のような出逢いに、"また"はないって。

でも、

「『世の中ありえないことなんてない』って言ったのは、土方さんですよ…?」

この瞬間を夢でも幻でもなく現実だと言ったのは、土方さんだ。

「…そうだったな。」
「会う場所、…決めましょう。」
「会う場所?」
「次に…っ、会う場所ですよ。」

喉がつまる。
私は口角を上げて笑った。

「やっぱり、コンビニですか?私達…、っ、…コンビニ前で出逢ったから。」

頬が震える。

「…紅涙、」
「次に会った時は、…っ、何をしましょうか。」

涙が込み上げてくる。

「紅涙、」
「たくさん、約束しましょう!そしたらまたっ、…っ、またいつか必ず、っ、」

ダメだ。
喉がひくついて、言葉にならない。

「っ、っ…土方、さんっ……」
「…もう何も言うな。」

土方さんの指が私の目尻を拭う。

「それ以上話されたところで、俺も大した返事…できねェから。」

弱く微笑む。
その笑顔すら悲しくて、私は唇を噛んで泣いた。

「…紅涙。」

土方さんが優しく抱き締めてくれる。
確かに感じる体温と、髪に残る僅かな煙草の香り。
どれも元の世界へ戻れば、もう二度と感じることが出来ない感覚。

「っぅ、土方さんっ」

背中に手を回し、ギュッと抱き締めた。
何分でも何十分でもこうしていたい。

そんなこと、叶うわけがないのだけれど。

「誰かいるかー?」
「「!?」」

少し離れた草むらに小さな明かりが見える。
声の主はその明かりの持ち主だろう。
明かりは2つあり、草むらを掻き分けるように動いている。

「あっあれは…」
「…来たな。」

土方さんが息を吐きながら答えた。
明かりの持ち主は、草むらの中から話す。

「いるなら大人しく出てきなせェー。」
「変わり種なら両手上げて降参しろー。無駄に抵抗したら即たたっ斬るぞー。」

さっきの二人だ。

「「……、」」

私は隣に立つ土方さんを見た。
土方さんは私を見て頷く。
その時が来たと、目が言った。

「……はい、っ。」

私は頷いて、足もとにある水溜まりを見た。
水面を覗き込む自分が映る。
その隣には土方さんの姿もあった。

虹色の水溜まりが、風もないのに揺れ始める。

「…紅涙、」

波紋の隙間で目が合った。
途端、水溜まりがキラッと光る。
目を焼くようなこの光は、あの時にも感じた光だ。

私、戻るんだ…。

「紅涙、」

土方さんの声が聞こえる。

「寂しいのは、お前だけじゃねーからな。」

土方さん…
土方さん……
私、土方さんのことが大好きでした。

「言っておけば、良かった…っ。」

そう思ったことが声になっていたのか分からない。
目を開けているのか、閉じているのかすらも分からない空間に放り出され、意識は途切れた。

次に目を開いた時、

「あ……、」

私は自分の部屋に戻っていた。
見慣れた天井に寝慣れたベッドで、パジャマ姿。

「なんで…?」

カーテンの隙間から射し込む眩しそうな光に気付き、時計を見た。

「8時……。」

朝だ。
いつの8時?
スマホを取り出す。
日付はチョコレートバイキングの翌日になっていた。
つまり向こうへ行っていた約1日分、私はこの現実世界にいなかったことになる。

「どうなってたんだろう…。」

一時的な行方不明にでもなってた?
だけどパジャマに着替えてたのはなぜ?
私、戻ってから着替えた記憶なんて……

「もしかして……、……夢?」

土方さんと一緒に過ごした時間は夢だった?
1日分の記憶がないと思っているのは、単に混乱しているだけの…思い込み?

それなら全て、つじつまが合う。

「…そんな…、……。」

あの温もりも、
あの胸の痛みも、

「夢だったの…?」

私の脳が見せた、幻。

「……、」

言いようのない喪失感に襲われた。
はたから見れば「夢に決まってる」と鼻先で笑われて終わるような話だろう。

でも私には、

「あれが夢だったなんて…」

とても思えない。
今この瞬間の方がよっぽど夢のように思う。

…もう一度眠ったら目が覚める?
その時こそが本当の世界なんじゃ……

「……はぁ、」

やめよう。
ベッドから出た。
途端、何か固い物を踏みつける。

「痛っ…、っあ!」

銀魂の単行本だ。
42巻だけが出しっぱなしになっている。
土方さんに見せた、42巻が。

「夢じゃ…ない…、っ。」

今度はクローゼットを開けた。
あの時に探した場所と同じ場所を探す。

「ない…、」

土方さんに貸したグレーのパーカーがない。

「夢じゃないっ!」

思っていたよりも大きな独り言になる。

「よかった…っ!」

わけの分からない涙が出た。

現実だった。
あの特異な世界で起きたことは、夢じゃなかった。
嬉しい。
土方さんに会えないことに変わりはないけど、

それでも、

「土方さんっ、…っ、」

あの時間が夢じゃなくて、本当に嬉しかった。


- -

*前次#