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「なんで…私が?」

私はここにいるのに?
それにあの猫みたいな尻尾や耳は?

「あれは天人の紅涙だ。」

土方さんが言う。
私はポカンと口を開けたまま、「なんで?」と繰り返した。

「俺にも分からねェよ。…ただ、」
「ただ?」
「紅涙と出会う前、俺も自分の天人を見た。」
「え!?」
「顔こそ突き合わせてねェが、あれは間違いなく俺だった。」
“まさか紅涙の天人までいるとはな”

眉間に皺を寄せ、うんざりした様子で溜め息を吐く。

「夢だと思いたいお前の気持ちも分かるよ。」
「…そんなものを見ても、まだここが現実だと?」
「現実だ。」
「……、」
「おそらく街の全域が他の星の菌に感染しちまったか何かだろ。」
「そんな話ありましたね…。」

『銀魂』に。

「でも私は銀魂の世界の人間じゃないんですよ?なのになぜ私まで天人に…」
「それ。」
「え?」
「先にその『銀魂の世界』ってやつを見せてくれ。」
“ここに来る当初の目的だったろ?”

あ……

「そう…ですね。」

混乱する頭でスマホを取り出す。
家の向かいとはいえ、この距離では自宅のWi-Fiを拾えていなかった。

やっぱり家の前まで行かなきゃダメか…。
いや、その前に拾えるの?
あの家は私の家にそっくりでも、住んでいるのは天人の私。
ここは私が知っている世界じゃないなら……

「どうした。」
「…いえ、」

確認するしかないか。

「移動します。さっきの…天人の私が帰ってこないうちに。」
「あの様子ならすぐには戻ってこねェよ。」
「どうして?」
「見てただろ、慌てて走って行く様子。」

土方さんは話しながら煙草に火をつける。

「アイツは走りながら時計を見ていた。これから予定がある証拠だ。」
「なるほど…。」
「少なくとも30分は大丈夫じゃねェか?」

アゴで家の方をさした。

「入るなら今しかない。」

…うん、土方さんが言うなら大丈夫な気がする。

「わかりました、じゃあ土方さんもついて来てください。」
「心配しなくても家の前で見張っててやるよ。」
「そうじゃなくて、『銀魂の世界』を見せますので。」
「?…漫画を持ってきてくれればいい話だろ。」
「もっと簡単な方法で見せます。」

不思議そうな顔をする。
私は土方さんと共に家の前へ移動し、改めてスマホを見た。

「あ…」

Wi-Fiは拾えていない。

「…すみません、やっぱり単行本を持ってきます。」
「お、おう。」

相変わらず土方さんは不思議そうな様子で頷く。

あーもう。
『もしかしたらWi-Fi使えるかも』って、
ちょっと期待しちゃってただけにガッカリ感が半端ないんですけど。

「家の中は散らかさねェようにな。紅涙の家であって、紅涙の家じゃねェんだからな。」
「…わかってます。」

そもそもなんで家の形が全く同じなわけ?
ここが違う世界なら、
違う世界らしく家も街も全く違う物にしてくれればいいのに。
それなら私だって割り切って楽しめたのに…。

心の中でグチを漏らしながら、

――カチャッ

玄関の鍵を開ける。

「…あれ?」

待って、鍵で開いたの?
私が持ってた鍵で?

「Wi-Fiはダメでも鍵は一緒ってこと…?」
「何かあったのか?」

土方さんの声がする。
私は振り返って首を振り、「待っててくださいね」と家の中へ入った。

「う、わぁ…」

家の中も隅から隅まで同じ作り。
試しに引き出しを開けてみたが、中身どころか並び方まで同じだった。

「なんか…混乱する。」

シンクの横で乾かしたままになっているグラスは、私が家を出る前に使った物だ。

「さっきまで居た部屋みたい…。」

ここに住んでるのは"私"じゃないのに。
……変な感じ。

「っ、しまった、早くしないと。」

ぼんやりする思考を振り切り、銀魂の単行本を1冊取り出す。
どの巻にするか悩んだけど、バラガキ編がある42巻にした。

「この365訓の扉絵、すごくカッコイイんだよねー。」

少し傷を負った土方さんが、左肩に隊服のジャケットを持って煙草を咥える姿。

「この人と一緒にいるなんて…ほんと信じられない。」

漫画の土方さんを指でなぞる。
やば…、なんかドキドキしてきた。

って、それどころじゃないのに!

「帽子はー…っと。」

クローゼットを開ける。
当然ながらレディースしかない。
土方さんが使えそうな物もなく、これではかぶると逆に目立ちそうだ。

「私は帽子でいいとして、土方さんが頭を隠せる物って………あ。」

グレーのパーカーを取り出した。
大きめサイズ、フード付き。

「これにしよう!」

私は単行本をバッグに入れ、帽子とパーカーを手に外へ出る。
もちろん元通りを意識して玄関は忘れず施錠した。

「お待たせしました。」

土方さんにパーカーを差し出す。

「メンズの帽子がなかったので、これを使ってください。」
「おう、サンキュ。助かる。」

受け取って早々ジャケットを脱いだ。
パーカーを着て、フードをかぶる。
隊服のジャケットはパーカーの上から羽織った。

「ふふ、なんだか学生みたいですね。」
「笑うな。紅涙はどうするんだ?」
「私は帽子です。」

当たり障りないデザインの物を選んできた。
かぶって、お互いの状態を確認する。

「これで頭の防護は完璧だな。」

満足そうな様子で、土方さんが私の帽子の上をポンポンと叩いた。

「う、っ、」

ぐはっ…!
そういう不意打ちは心臓に悪い!!

「どうかしたか?」
「い、え…、…し、尻尾を確認されたらアウトだなと…思いまして。」

とっさの状況に、最もらしい返し。
心の中で自分に拍手した。

「腰周りはどう隠しますか?」
「このままでいいだろ。『出すのは趣味じゃねェ』とか適当なことを言う。」
「大丈夫かな…。」
「さすがにアイツらも女相手に『ケツを触らせろ』なんて言わねェよ。」
「…誰かさんは何も言わずに触りましたけどね、"ケツ"。」
「おっ、俺は貴重な同志を見つけるための……、……悪かったよ。」

視線を外して謝る。
私は小さく笑い、「気にしてませんよ」と言った。

「…だったら言うな。」
「ふふ、ですね。あそうだ、持ってきましたよ『銀魂』。」

バッグから単行本を取り出し、ページを捲る。
あの365訓の扉絵を開いて、土方さんの目の前に出した。

「これが銀魂に出てくる土方さんです。」
「!!」

"息を呑む"、"目を丸くする"とはこのことだろう。
土方さんは瞬きも忘れて、扉絵を凝視した。

「どうです?そっくりでしょ、土方さんに。」
「これが……銀魂に出てくる……俺?」
「そうですよ。口調も役職も煙草の銘柄も、何もかもがそのままです。」
「……、」

開いたままになっていた瞼を一度閉じる。
そして、

「…いや、俺じゃねェな。」

目を開けた。

「これは俺じゃない。」
「えっ、でも本当に生き写しのように...」
「俺は今まで生きてきてこんな恥ずかしいポーズをとったことがない。」

それは…まぁそうかもしれませんけど。

「じゃ、じゃあ内容はどうです?こういうシーン、記憶にあるはずです。」

バラガキ編の一部を見せる。
土方さんはまた目を見開いた。

「コイツらも銀魂にいるのか…。」
「え?ああ、皆さんいますよ。土方さんが出会ってきた人達みんな。」
「……そうか、そういうことになるよな。」

絵を見つめたまま、独り言のように呟く。

「俺が知ってる世界は…漫画として描かれた世界……、」

困惑する横顔を見て、自分は余計なことをしたかもしれないと思った。

お互いの現状を把握するためには、
これから元の世界へ戻ることを目指すためには、
自分達がいた世界を知るのは大切なことだと思っていた。

けれど…

「すみません、私…余計なことをしましたね。」

自分が架空の世界に生きてるなんて知っても、容易に受け入れられるものじゃない。

「…お前が謝る必要はねェよ。」
「でも…」
「確かに、ここに描いてある内容は俺が体験してきたものだった。」

懐から煙草を取り出し、火をつける。

「『銀魂』に出てくる"土方"も、俺そのものに違いない。」

険しい顔をしながら煙を吐き出し、

「だが、」

力強い眼差しで私を見る。

「俺は今お前の前で生きてる。そこは変わらねェ。」

土方さん…

「だろ?」
「…そう思います。」

すごいな…。
事実を受け入れた上で、前を向いてる。
こういう捉え方が出来るから、皆ついてくるんだろうな。

「まァまだ紅涙の生きる世界が『現実』とは限らねェしな。」
「…と言いますと?」
「お前もお前で、俺とは別の漫画の登場人物って可能性が残ってる。」
「ふふ、そうなるとややこしくなってきますね。」

だけど…

「だけどもし私も漫画の登場人物なら、…銀魂がいいな。」
「物好きだな。」
「…だって、」

土方さんがいるから。

「…楽しそうじゃないですか。銀さんにも会ってみたいし。」
「やめとけ。あんなヤツに会うだけ時間の無駄だ。」
「またまたー。そんなこと言って仲が良いのは知ってますよ?」
「仲良くねェよ!どこ見て言ってんだ、その巻持ってこい!」
「ちょっ、土方さん、声が大きい!」

私は土方さんの背中を押して、先程まで隠れていた民家の隙間に身を潜める。

「目立つ行動は厳禁です。どこで誰が見ているか分からないんですから。」
「わ、悪い…。」

辺りを窺う。
取り立てて私達を探してるような人はいないようだ。

「とりあえずこれからどうします?」
「自分の世界へ戻る方法を探す、…しかないだろうな。」
「じゃあ私達がコンビニで出会う前までの道のりを辿ってみますか?」
“無くし物をした時は直前の行動を辿れって言いますし”

普通に考えれば、原因は私と土方さんが出会う前にある。
二人で歩けば気付くこともあるかもしれない。

「いい考えだ。」
「それなら私の道のりから辿りましょう。家の前で丁度いいので。」
「?」

土方さんが首を傾げた。

「紅涙が生きてるのは『現実』だろ?この世界の人間じゃねェのか。」
「ここは微妙に『現実』じゃありませんよ。現実には天人も大江戸マートも存在しません。」
「…つまり何か?ここは俺が生きてる世界でも、紅涙が生きてる世界でもないってのか。」
「そうです。」
「……。」
「……。」

二人で沈黙する。

「なんつーか…」
「はい。」
「とんでもねェことになってんじゃねーか。」
「ですよ。一体どうすればこんなことになるのやら…。」
「……夢だからだな。」

え。

「これは夢だ。そうに違いねェ。」
「今さらそれ言います?」
「だが夢だとしても、何もしないまま起きるのを待つってのは退屈だ。」

夢で押し通す気か…。

「よし、紅涙の道のりから辿るぞ。」

土方さんが先に歩き始めた。

「家を出てどっちに向かったんだ?」
「…こっちです。駅へ向かったので。」
「ああそういえば言ってたな。チョコレートバイキングだっけ?」
「そうですよ。食べたかったなー、チョコレート。」
「起きたら食えるじゃねェか。」

もう完全に夢扱いしてる…。
あれだけ『現実』にこだわってたのが嘘みたい。

「紅涙、歩く時は堂々としろよ?辺りを警戒しすぎると怪しまれる。」
「はーい。」

まぁいいけどね。

二人で駅までの道のりを歩く。
コンビニからの道同様、特に変わりはない。

「今のところ何もおかしなところはないみたいです。」
「駅の中には入ったのか?」
「入りました。中に原因があるのかな…。あ、そう言えば――」

「それは良くねェな。」

「「?」」

土方さんと顔を見合わせる。
今、私たち以外の声がした。

「その服は良くねェ。」

後ろ?
振り返る。
そこには黒いパーカーを着た男性が立っていた。

「目立ちたくねェなら、即刻その服を脱げ。」

フードを目深にかぶる男性が土方さんを指さす。
土方さんは明らかに不機嫌な顔をして、「誰だテメェ」と言った。

「名乗る者の程でもねェよ。だがまァ、」

男性は口元をニヤッと歪ませ、

「お前らが話してェんなら、付き合ってやってもいいけど?」

目深にかぶっていたフードを外す。

「あっ!」
「お前は…!」

その姿に、私と土方さんは正反対の表情を浮かべた。


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