キスを最後の絆にして
title by 確かに恋だった



 彼と付き合って丸三年。知り合ったのは私の会社。営業で来ていた彼にお茶を出したのが私だ。その時「ありがとう」と言ってくれた顔がとても印象的だった。取引先のただのお茶を出した人に出さえ、惜しみなく笑顔を向けるんだなぁと思ったことを今でも覚えている。
 それから契約が進み、提携先として彼の勤める会社との繋がりが強くなった。親睦を目的にした飲み会という名の合コンが頻繁に開かれる程度に。入社五年目までは全員参加! という意味不明なルールを突きつけられて参加させられたその食事会で、彼と再会した。

「お茶出してくれた方でしょ?」

 偶然隣になった彼がそう話しかけてくれたのが嬉しいと思うほどには、彼のことが気になっていた。そして連絡先を交換し、距離を縮めて付き合うようになって丸三年。私たちに転機が訪れた。


「海外に行くことになった」

 週末私の家に来た和くんが、いささか緊張した面持ちで告げる。瞬時には理解できなくて言葉が出ない。

「期間は未定。一ヶ月かもしれないし、五年かもしれない。向こうの目処がついたら帰れるって」

 事実を淡々と述べる彼。そこに感情は見つけられなくて、あぁなんとか折り合いをつけているのだろうなとぼんやり考えた。
 付き合う出す前から営業のホープとして活躍していた和くんが、海外派遣されるのは必然だったのかもしれない。ここ何年かはプロジェクトのリーダーを務めることもあったし、支社への長期出張もよくあった。でも、今回は海外。おいそれと会いに行ける距離じゃない。

「付いてきてとは言えない。待っていてとも言えない」

 彼の瞳が揺れる。私のことを考えてくれた末の言葉。今の仕事が好きで離れたくないと知っているからこそ、彼はこう言ってくれたのだろう。

「でも、あいのことずっと想ってるよ」

 彼の手が頬に添えられる。伝えたい言葉はあるはずなのに、何も口から出てこない。和くんの目が切なげに細められた。自惚れでもいいから、そこに宿るのは私を好きだって気持ちだと思わせて。

「待ってるから……ずっと」

 やっと告げられた一言に、彼の眉尻が下がる。優しい彼のことだ。自分の都合で私の未来を狭めてしまうことに、罪悪感を感じているのかもしれない。そんなこと気にしないで欲しい。縛ってくれたらいいのに。待ってろって言ってくれたらいいのに。でも、無責任なことは言わないのが和くんだから。

「あい……」

 その声にそっと目を閉じた。涙が出るほど優しいキスを最後の絆にして、彼は遠い国へ旅立った。


 あれから二年が経つ。仕事の合間を縫ってメールをくれた。時差があるからなかなか電話は出来ないけれど、時折聞ける受話器越しの彼の声は、体温が感じられない分切なさが増す。
 会えない寂しさに涙を流したこともある。泣き言をメールに書いて何度も消した。異国の地で結果を出そうと奮闘している彼に、伝えたいのはこんなことじゃない。ありふれた毎日の出来事を、報告するような内容のメールに書き換える。どうしようもなくなったときに思い出すのは、あの日唇に触れた温もり。お互いの未来を願って重ねた想いを頼りに、毎日をやり過ごしていた。

 だから、夕食の最中に玄関の鍵が開いて、大きなスーツケースを持った彼が入って来た時には心底驚いた。人間って本当にビックリしたときには声が出ないんだなって、ぼんやり思う。

「……ただいま」

 靴を履いたままの彼が小さな声で呟く。夢を見ているのかもしれないと、ゆっくりと近づいた。

「この鍵、まだ有効かな?」

 そう言う彼が手に持つのは私の家の合い鍵。旅立つ前、返すと言った彼に持ってて欲しいとワガママを言ったのは私だ。待てなかったら引っ越す、待っていたらこの家に住んでるからと。

「あい」

 両手を広げた和くんの胸に、恐る恐る飛び込む。消えたりしない? 幻じゃない? もし夢なら立ち直れない自信がある。
 けれどふわりと回された腕の温もりも、頭に触れる唇も、懐かしい香りも。全てが彼のもので、これが私の求めていた人だと感じさせた。

「お帰り……」

 溢れる涙を拭いもせずに、彼を見上げて伝える。うれし涙なら流してもいいでしょ?

「会いたかったよ。狂いそうなほどに」

 零れる涙を和くんの唇が吸い取る。愛おしそうに落とされる温もりに、熱が集まるのを感じた。

「もう、離さない。ずっと一緒にいて」

 離れていた二年間を取り戻すように強く抱きしめられる。性急に落ちてきたキスに支配され、熱も呼吸も彼の思うがままに操られる。手も唇も入り込んできた舌も、全てが熱くて体が蕩けた。


 キスを最後の絆にして離れた彼。

 強く結び直した絆は、もう離れることはない。

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