紅葉よりも赤く染めて
「11月の第2週、週末あけといて」
彼から暗号のようなメールが届いたのは先週初め。多忙な彼からこんな連絡が来るのはよくあること。今度はどっちの家で過ごすのかなぁとぼんやり思っただけだった。
彼の仕事柄、一緒にどこかへ出かけることはほとんど無い。もちろんそのことを寂しく思う気持ちはあるけれど、言っても仕方ないことだとどこかで諦めている。何かを得れば何かを犠牲にする。私にとって、それは彼で、外での自由だった。
夜道を歩くカップルを羨ましいと思う。手を繋いで買い物する夫婦を目で追ってしまう。それでも、私は彼といる方を選んでいる。
「泊る用意して、この旅館に来て。チェックインの名前は高橋で取ってるから」
またもや簡潔な連絡が届く。これまでと違うのは、メールだけでなく、ポストに届いた封筒。開けてみると新幹線のチケットが一枚。
旅館の名前や新幹線に記された地名。それらから察するに、一緒に旅行に行こうってことだろう。肝心なことが抜けている翔くんに、小さな笑いが込みあげる。
「ちゃんと誘ってくれたらいいのに」
断られるかもとか、きっとぐるぐる考えた末に、えい、送っちゃえとか勢いでここに届いたのだろうチケット。それを胸に抱いて彼に返事を送る。
「お誘い、ちゃんと届きました。あっちで待ってるね」
できるだけ可愛く書いて送信する。画面を見ながら真っ赤な顔をしているであろう翔くんを想像して、ふふふと笑ってしまった。
そして当日。指定された新幹線に乗り、旅館まではタクシーで。風情ある温泉街の一角が目的地だった。言われたとおりにチェックインすると、すぐさま部屋に案内される。
両脇に日本庭園のある渡り廊下を抜けると、一棟一棟が離れのように建てられていた。その一室へ招き入れられる。
「本日はようこそお越しいただきました。お食事はお部屋にお持ちしますので、それまでどうぞおくつろぎくださいませ」
案内してくださった仲居さんは一分の隙もない動作で、流れるようにお茶を入れ、部屋を後にした。この部屋はもちろん、彼女の仕草からも、この旅館が超一流のものだと分かる。飾られた掛け軸や調度品、そして窓から見える部屋付きの露天風呂。そこから見える紅葉で飾られた日本庭園。私は時が経つのも忘れてその景色に見とれた。
「ふぅ」
道中一緒で無いとはいえ、初めての翔くんとの外出に、知らず知らずのうちに気が張っていたのだろう。足を伸ばしてリラックスする。スマホを手に取り、到着した旨を連絡するとすぐ返事が届いた。どうやら到着は17時過ぎらしい。時計を見るとあと3時間くらいある。今の内に温泉街を散策してこよう。そう考えた私は、鞄を手に取り、早速行動に移した。
両手にお土産を抱えて旅館へ戻る。正直買いすぎた。それは認める。でも、目の前でお腹を抱えて笑い転げるのはどうかと思うんだ。
「はははは。あい、おのぼりさんみたい」
ひとしきり笑った翔くんは、目の端に浮かぶ涙を拭いながら私の荷物を受け取る。部屋の片隅にそれを固めると、優しい視線が注がれた。
「久しぶり。会いたかった」
正面からふわりと抱きしめられる。甘酸っぱい香りが漂い、本物の翔くんだと実感する。
「私も」
ゆっくり背中に腕を回し、胸に顔を寄せた。ゆっくり髪を撫でられ、あまりの気持ちよさに目を閉じた。その手が頬に添えられる。
「あい」
その温かさに顔を上げると視線が絡まる。目は口ほどにものを言うって、ホントなんだ。きっと言わなくても、私の気持ちが溢れてる。どうかこの想いが伝わりますようにと願いを込めて、私たちはどちらからともなく唇を重ねた。
美味しい夕食に舌鼓を打ち、普段はそれほど飲まないお酒もいただいた。ほどよく気持ちよくなり、翔くんと一緒にうたた寝をしてしまった。
ふと目覚めた時刻は10時。まだお風呂に入っていないことに気付く。
「露天風呂、入ろうかなぁ」
隣で気持ちよさそうに寝ている彼に聞こえないよう、小声で呟く。すっかり酔いも冷めたし、入浴しても問題ないだろう。あるとすれば、隣にいる人くらいだけど。
一度寝たらなかなか起きない翔くん。じっと観察しても身動きすらしない。おそらく深い眠りの中なのだろう。これならきっと大丈夫。そう判断して、私は静かに露天風呂へ向かった。
「あったまるなぁ」
肩までお湯につかり、足を伸ばす。乳白色のお湯は、肌にかけると滑るように流れる。硫黄の香りもそれほど強くなく、でもしっかり温泉に入っているという感じがして心地良い。
少し熱くなって、一段上に腰掛ける。お湯から出た上半身をタオルで覆う。と、静かにドアの開く音がした。
「抜け駆けずるい」
腰にタオルを巻いた翔くんが歩いてくる。その姿を見ていられなくて視線を逸らす。恥ずかしくてお湯につかろうとしたのに、腕を引っ張られ、その場に留められた。
「一緒に入ろ」
片手で私の腕を掴んだまま、器用にかけ湯をした彼がポチャンと隣に入ってきた。
「すげぇ。このお湯ツルツルだな」
はしゃぐ翔くんが可愛くて、クスッと笑ってしまう。意識してガチガチに固まっていた体が少し解れた。
「気持ちいいよね。翔くん、ありがとう」
笑顔を向けると、笑顔が返されて。
「俺があいと来たかったから」
途端に甘くなる空気が気恥ずかしくて話題を逸らす。
「ほら、紅葉がすごく綺麗なんだよ」
同時に見上げると、色鮮やかな紅。燃えるように朱色に染まる木々に、思わず息を呑む。
「……綺麗だね」
後ろから回された腕に囲い込まれる。翔くんの息が首筋にかかって、体温が上がるのが分かった。
「あいも、負けないくらい赤いよ」
耳元で囁かれると降参するしか無くて。全てを飲み込むような口づけに体の芯が熱くなる。明確な意志を持って私の肌を這い回る手が、さらに熱を上げる。絶え間なく落とされる唇が、肌に朱い印を残した。それはまるで真っ赤に色づく紅葉のよう。
「俺に染まって」
媚薬のような言葉を皮切りに、私は彼の全てで翻弄された。
瞼に浮かぶ紅葉よりも赤く染めて。貴方の手と唇と心で。
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