カレット
エピローグ
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六月も終わる日曜日、昼下がり。
二人寛ぐリビングに、軽快なインターホンの音が鳴り響いた。

『櫻井、朝比奈、来てやったぞー』
「はーい、今開けます」

応えた朝比奈が玄関まで迎えに行く。
しばらくすると段ボールを抱えて戻ってきた朝比奈の後ろから、ニヤニヤとした三国がついてきた。

「よ。お疲れ」
「わざわざありがとうございます」
「ここがお前らの愛の巣か」
「そういう言い方はやめてください」
「なんだよ、美味いコーヒーが飲みたくねえのか」
「え?」
「見てください七生さん、これ」

ほら、と朝比奈が段ボールを開けて見せる。
遠慮していたのだが、三国から結婚祝いに何が欲しいかと何度も聞かれ、冗談半分、希望半分でエスプレッソマシンと答えたのは櫻井だった。

「しかもこれすごい良いやつ……いいんですかこんな」
「これでも俺はお前らを可愛いと思ってんだからな。思い知れ。毎日思い知りながら飲め、コーヒーを」
「ありがとうございます、嬉しいです」
「おう。楽しかったか、ハワイ」
「おかげさまで。すみません、こんなに長く休みいただいて」
「いいんだよ、たまには池谷と福本に気合い入れさせろ。新見もそろそろ朝比奈離れさせねえとな」

意地の悪い顔で笑う三国は、六花営業所の中で、部長の相沢よりも先に二人の関係を打ち明けた人だった。きっとわかってくれると意見が一致してのことだったが、三国の反応はその通りで、打ち明けてからこの一年は随分と助けられてきた。

「でも……本当に、皆わかってくれて。感謝しかありません」

結果的に、六花営業所員は今、全員が櫻井と朝比奈の関係を知っている。最初に事情を知った三国や相沢、筧、日下、湖山とも何度か話し合って、一人ひとりにゆっくりと伝えていった。
驚かれたり、何故か納得されたり、感動されたり、応援されたりと、反応は人それぞれだったが、誰一人として嫌な顔はしなかった。それは今も変わらない。
三国が「そりゃあ」と笑って言った。

「付き合って……丸二年、三年? 周りになんの詮索もさせず真面目に仕事して、稼ぎ頭やってる奴らが弾かれてたまるかよ。んな会社なら俺も辞めてやるわ」
「三国さん……」
「お前らがちゃんとやってきたことの結果だろ、今の環境は」
「……ありがとうございます」
「いーっつの。じゃ、疲れてるとこ邪魔したな。また明日」
「あ、ちょっと待ってください、お土産が……七生さんどこに置きましたっけ?」
「部屋にある」
「持ってきますね」

朝比奈が寝室に取りに行き、三国が腕を組んで櫻井を見た。

「土産いいっつったのに」
「俺もお祝い遠慮したんですけど」
「確かに。そういや家族はどうよ、喜んでたろ」

婚約からおよそ一年、互いの家に挨拶は済ませ、共に生きていくことに理解を得ていた。
挙式は初め二人だけで行おうか悩んでいたところ、あちらから望んでくれたことを受けて、両家の親族を招待した。親族とはいえ、本当に互いの両親と理香だけ。
二人が並ぶ姿に涙を流して喜んでくれたことを思い出して目を細める。

「……はい。すごく」
「そうか。よかったな」
「お待たせしました」

リビングに戻った朝比奈に、七生さんから、と差し出された袋を預かって三国に手渡す。

「これは三国さんだけなので、すみませんが内密に……皆には明日配ります」
「地酒かよ。何が目的だ」
「純粋な日頃の感謝です」
「あと、今後とももよろしくお願いいたしますのお酒です」
「真面目カップルめ」

それでも嬉しそうに礼を言って受け取る三国に微笑み、二人で玄関まで見送った。
外に出た三国が、歩き出したところで「あ」と振り返る。

「指輪、そのまま付けてこいよ。営業に箔が付くからな」
「……はい。ありがとうございます」

何かにつけてすぐ茶化す、口の悪い適当な先輩だが、なんやかんやで一番面倒見が良いのだから憎めない。
三国がエレベーターに乗るところまで見届けると、リビングに戻って早速キッチンにエスプレッソマシンを設置した。

「まあ、この辺かな……いや本当すごいなこれ」
「明日俺三国さんの雑務全部引き受けますね……」
「俺も半分やる」
「ふふ。使ってみたいですね、コーヒー豆買ってきましょうか」
「じゃあ一緒に行こう、ついでにスーパーも」

昨日はしっかりと休養したおかげで、揃って旅疲れは取れている。
じわりと蒸す中、近所のコーヒーショップまで歩いて、あれやこれやと選ぶうちにやたらと買ってしまった。
スーパーでの買い物も済ませて帰る途中、夕日を滲ませた青空を見上げる。

「いい色してる」
「ほんとだ。綺麗ですね、グラデーション」

感嘆の声を上げた朝比奈が櫻井に笑いかける。

「ハワイもすごく良かったですけど、こうやって七生さんと一緒に見られるなら、それが一番綺麗な空ですね」
「……そうだな……」

朝比奈の殺し文句には未だ耐性が不十分である。それどころか日に日に攻撃力が高まっている気がするのは、果たしてどちらのせいなのだろうか。
赤くなった顔を朝比奈に向けずにいると、不意に隣り合った手を繋がれ、結局目を合わせることになった。

「おま」
「あ。旅行の名残でつい」

わざとらしく笑う朝比奈は爽やかで、末恐ろしい男だと息をつく。
繋いだ朝比奈の左手にも指輪が光っているのにこっそり満たされながら、出会った頃の朝比奈はどんなだったろうかと思い出した。基本的には変わらないが、もう少しポヤポヤしていたような気がする。

「……最近隼人の印象少し変わってきたんだよな」
「そうですか? 最初からこんな風だと思いますけど……七生さんこそちょっと違います」
「俺?」
「そうですよ。最初はすごく頼りになって、優しくてカッコ良くて、褒め上手で隙がなくて、こんな人になりたいなっていう、尊敬してやまない理想の先輩だったのに……」

そう言って櫻井を見つめる顔は、とても甘くて見ていられない。

「今は相変わらず優しくてカッコ良くて頼りになるけど、俺の前だと隙だらけで可愛くて、こんな人と毎日一緒にいられるなんて世界で一番幸せだなって思える大好きな旦那さんですからね。全然違いますね」
「なんか怒らせたか俺……」
「なんでそうなるんですか」
「もういい、早く帰ろう」

マンションまではあと少し、これ以上張り切られると櫻井の心臓が限界を迎えてしまう。
楽しそうな朝比奈を連れてようやく部屋に辿り着くと、中に入るなり口づけられた。

「……七生さんが照れてるの可愛くて、ちょっと意地悪しました。すみません」
「ん……別に怒ってないよ」
「それもわかってます」

にこにことして言う朝比奈に半眼になる。
本当に最初から朝比奈はこんなだったろうか。いや確かに、と思い出すのはいくつか、主に食べ物を与えてくる朝比奈の嬉しそうな顔。あれは故意だったのか。
まったく、とリビングで買い物袋を空にし、櫻井はお先にどうぞとすすめられた風呂の支度をしてふと立ち止まった。
おもむろに、ダイニングテーブルでエスプレッソマシンの説明書を読んでいる朝比奈の傍に寄る。

「隼人、さっき言ってたこと少し間違えてる」
「え?」
「世界で一番幸せなのは俺のほう」

このところやられっぱなしで、たまには格好つけても許されるだろうと口づける。

「……だから隼人は二番目。俺の努力不足で」
「……なんでそんな可愛いこと言うんですか」
「それじゃ、ちゃんと説明書読んでおいてくれ」
「嫌です。一緒にお風呂入ります」
「一緒は狭いって前わかっただろ」
「狭いのがいいんです」
「もう、好きにしろ」

朝比奈のおかげで毎日笑っていられる。

もらったものを数え始めたらキリがないが、一つひとつゆっくりと返していけばいい。
一生かけて大切にしてくれるらしい朝比奈に、一生かけて恩返しすることが、櫻井の誓いなのだから。

「……やっぱり、もう少しお風呂広いところ探しましょうか」
「ふふ。そうだな」



カレット・END


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