新しい生活 二人の話
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「では、失礼しまーす」
「ありがとうございました」

扉が閉まると、鍵を閉めて一段落の息をつく。
引っ越しは人生三度目のことだが、誰かと一緒にする引っ越しというのは初めてだ。それなりに長く暮らし愛着もある住まいだったので、荷物をまとめている時はわずかに寂しさも感じたものの、隣に朝比奈がいるのであれば、どこに住もうとそれだけで満たされる。

「すごいスムーズだったな」
「ほんとに。引っ越し業者さんも火野さんに紹介してもらってよかったですね」
「ああ。お礼メール入れとこう」

ずっと櫻井が世話になっている不動産屋の火野のことは、朝比奈もよく知っている。この度新しい住まいへの引っ越し希望を伝えると、彼は二人が思っていた以上に、存分に張り切ってサポートしてくれた。
朝比奈がそわそわとした様子で歩き出す。

「新築っていいですね。新築しか住めなくなっちゃいそう」

同意である。それに、新築の中でもなかなか良い部屋に違いなかった。八帖と七帖の洋室に、キッチンを含む十八帖のリビング。すべての部屋が南向きのバルコニーに面した、五階の明るい角部屋だ。
櫻井と朝比奈が引っ越しを考え、火野に相談したのが冬。急がないと言った二人に、火野が弾んだ声で電話を掛けてきたのが春のことだった。親しいオーナーが夏の完成予定で新築マンションを建てる、条件にぴったりの部屋があると言うので概要を見せてもらったところ、本当に希望に添った部屋だった。
柱だけと言っても過言ではない頃から足を運んでいただけに、改めて完成した内装を見ると、自分が造ったわけでなくとも感慨を覚える。なんだか既視感があると思えば、仕事でもそうなのだった。
数は多くないとはいえ、部屋やリビングに運んでもらった段ボールは、放っておけば面倒になるのがわかりきっている。気力のあるうちに片付けてしまうかと気合いを入れる櫻井だが、まだそわそわと家の中を歩き回っている朝比奈に思わず笑ってしまう。初めて引っ越しをした子どものような様子が微笑ましくて、違うとわかっていながら、リビングから声を掛けた。

「何か探してるのか、隼人」
「え? ふふ、違うんです。借りてるってわかってても、こんなにピカピカだと、俺と七生さんの部屋って感じがして、嬉しくて」

リビングに入ってきた朝比奈は、櫻井が片付けを始めようとしていることに気がついたらしく、話途中で床に座る。段ボールのガムテープにカッターで切れ目を入れ、堪えられないように笑みを溢した。

「前の部屋も大好きでしたけど、なんというか、二人で新しいこと始められるの嬉しいです」
「うん」

朝比奈が言わんとすることはよくわかる。そしてそんな風に思ってくれていることが、櫻井にとっては何より嬉しいことだった。
昼前とはいえ、夏の陽射しは燦々と。しかしエアコンという文明の利器をもって、快適な空間の中で作業を続けた。元々荷物の少ない二人なので、旅行の時もそうなのだが、荷ほどきには大して時間が掛からない。
昼時を少し過ぎた辺りで段ボールはすべてたたみ終え、ソファーに座って一息つく。火野にメールを打ち終えたところで、櫻井の肩に重みが掛かった。どうやら律儀に待っていたらしい。

「お腹空きませんか」
「そうだな……もう一時過ぎてるのか」

今の冷蔵庫には持ってきた飲み物しか入っていない。昼は外食にして、その足で買い物に行く予定になっている。

「何食べたい?」
「うーん。さっぱりしたものとか」
「そういえば、近くに蕎麦屋あったよな」
「あ、火野さんが教えてくれたところですね。行ってみたいです」

何から何まで火野の世話になりっぱなしのようだが、それだけ親身になってくれた証でもある。
カードキーをかざして鍵を閉めると、エレベーターで一階まで降りた。デザイン性のあるエントランスを抜け、オートロックの外に出ると途端に暑さが襲ってくる。蕎麦屋とスーパーが歩いて五分の距離でなければ、迷わず車に頼っていたことだろう。

「あっつい……帰ったらすぐシャワーですね」
「そうだな。帰りは荷物もあるし」

しゃわしゃわと蝉の声が降り注ぐ。落ち着いた住宅街ながら利便性は高く、引っ越し当日から住み心地の良さを予感させた。
『蕎麦処 玉乃井』と趣のある看板が出た店先、食事を終えたらしい主婦二人組と入れ違いで暖簾をくぐると、ちょうど先ほどの二人を見送ったらしい女性店員が腰を屈め、穏やかに尋ねた。

「いらっしゃいませ。何名様ですか」
「二人です」
「こちらのお席どうぞ」

ゆったりとした口調で、しかしてきぱきと席に通される。
大きくはない店だが、櫻井たちで満席だった。ちょうど入れ替わりの時間なのか、ちらほらテーブルが空くものの、すぐに客が入ってくる。

「昼のピークは混んでそうだな」
「いいタイミングで来たかもしれないですね。七生さん、何にしますか?」
「んー、鴨せいろ」
「いいですね。どうしようかなあ」

櫻井は目に入ったものでさっさと注文を決めてしまうのだが、朝比奈はメニューを一巡してから決めるのがお決まりだった。しかし悩む朝比奈を眺める時間に退屈などなく、むしろ楽しみの一つでさえある。

「よし。天ぷら御膳にします」
「美味そうだな」
「ふふ、天ぷら一緒に食べましょう。すみません、お願いします」
「はーい」

先ほどと同じ女性が手早く注文を取り、さほど待つこともなく蕎麦がやってきた。節々で感じられる手際の良さが心地好い。
手を合わせ、いざ蕎麦を口に入れると、ますます信頼感が増す。朝比奈も同じだったのか、向かいで顔を綻ばせていた。

「美味しいです」
「会社の近くにも欲しいくらいだ」
「わかります。天ぷらもさくさくですよ、食べてみてください」
「どれ?」
「好きなのどうぞ」

ふむ、と手近にあったなすの天ぷらをいただく。遠慮なく噛めば衣がいい音をたてて、なすの旨味が口に拡がった。

「ね」
「うん、美味い。ありがとう」
「ふふ、好きなの取ってください」
「あとは隼人が食べてくれ。俺は次来た時に頼むよ」
「そっか。また来られるんですもんね」

気がついて嬉しそうな朝比奈に、そうだよ、と櫻井も笑う。
綺麗に食べ終えると、会計を済ませて外に出た。まだまだ暑く、むしろ強さを増したような陽射しだが、次の目的地であるスーパーはすぐそこである。こちらはそこそこに大きなスーパーで、中に入るとさらに広い感じがした。

「充実してそうですね」
「ありがたいな。さて、夕飯なんにしようか」
「俺作りますよ。何食べたいですか」
「今満たされてるからな……何がいいかな。隼人に任せる」
「じゃあ、カレーとかどうですか?」
「お。いいな、さすが」

カート係を櫻井が引き受け、夕飯の材料以外にも、必要なものを二人でかごへ入れていく。大の男が二人いれば、多少の荷物では車要らずである。二つのかごが埋まったあたりでレジに向かい、荷物を二分してスーパーを出た。

「うー、暑い……」
「今年も見事に猛暑だな」
「アイス買えばよかったかも」
「食べたくなったらすぐ買いに行けるだろ」
「たしかに」

他愛ない話をするうち、五分もせず一際新しいマンションが見えてくる。エントランスに入るとそれだけで涼しい気がした。エレベーターを待っている間に大学生風の青年が後ろに並び、どちらともなく会釈する。
青年を四階で降ろし、二人は五階で降りた。部屋の鍵を開け、中に入るなり涼しさにほうと息を漏らす。外の暑さを警戒して、クーラーを付けたままリビングの扉を開けておいた甲斐があった。
洗面所で手を洗いながら、朝比奈がふと浴室のほうを見て嬉しそうにする。

「ふふ。お風呂広い」
「ああ。いいよな、一坪風呂」
「シャワーじゃなくて、もうお風呂入っちゃいますか?」
「一緒に入るのか?」
「そのために引っ越したんじゃないですか」

そういうわけではないはずだが、理由の一つではある、かもしれない。たしかに二人で浴室を使う度に引っ越しの話は挙がっていた。
朝比奈が手伝いの代わりにご褒美をねだる子どものように言う。

「俺が掃除しますから、一緒に入りましょう」
「いや、いいよ。夕飯任せるんだから、風呂掃除くらい俺がする」
「ええ……」

しょんぼり、という表現がこれほどしっくりくることもない。思わず笑ってその頬を撫でた。

「一緒に入らないとは言ってないだろ」
「七生さん……」
「わ、待て。汗かいてるから、ん」

ささやかな抵抗むなしく、遠慮なく抱きしめられた途端優しく唇を塞がれる。これが付き合ったばかりの頃ならば、朝比奈はいったんやめていたに違いない。しかし今や朝比奈には、櫻井の照れ隠しと本気の抵抗を見分けられる自負があるのだろうし、事実それは今日まで百発百中を記録している。
否、本気の抵抗をしなければならないようなことを、朝比奈はしないのだ。

「ん……は、んん……」

てっきり軽く終わるものだと思っていたが、舌が入ってきて少し焦る。朝比奈の服を掴んでいた指から力が抜けた頃、ようやく名残惜しげに唇が離れていく。

「……お風呂つかるの、やっぱり後でもいいですか? 自分で言っておいて恥ずかしいですけど」
「ん……いいよ」


引っ越して初めての浴室を、まさか昼間に、こんな淫らな気持ちで使うことになろうとは。
入る時は一緒に。シャワーを済ませ、出る時は朝比奈が先に。一人残った櫻井は簡単に準備をして、タオル一枚で廊下に出た。寝室に決めた部屋の扉はおあつらえ向きに浴室を出た真正面にあるが、そういう意図はない。
扉が開いたままの寝室に入ると、カーテンは閉められていた。五階では誰に見られることもないが、開いていても櫻井が閉めただろう。ついでにエアコンも起動しており、リビングと続いているほうの扉は既に閉まっていた。櫻井が部屋に入って扉を閉めてしまえば、カーテンの隙間から漏れる陽射しが明るいくらいで、さして夜と変わりない。
涼しい部屋で、素肌のまま布団に潜る朝比奈がなんだか可愛く見えた。

「なんの笑いですか」
「なんだと思う」
「たぶん、俺がやる気まんまんに見えて面白いのかなあと」
「それ言ったら、俺もだろ」

その言葉に笑った朝比奈が布団をめくる。腕の中へと誘われ、櫻井はしばし目を閉じた。平均身長を優に超える男二人を乗せてもベッドは軋まず、以前のように身を寄せ合わずとも広さに余裕がある。
まさか、キングサイズのベッドを自宅に置く日が来るとは思わなかった。そして夜眠る前に使うことになるとも。
慣れた肌の香りが、まだ慣れない場所で身体を交えることへの緊張を和らげる。どちらともなく口づけて、互いの肌を確かめるように優しく触れあう。

「あ」

不意に胸の尖りを唇が食み、舌先がくすぐった。最初に触れられた頃には感じ得なかった快感が、じわりと身体を疼かせる。濡れた先を指先で擦り、転がされると、勝手に切ない声が漏れる。朝比奈は何やら嬉しそうにするだけで、それがかえって恥ずかしかった。

「なんの笑いだ……」
「ふふ。なんだと思いますか」

悪戯っぽいのに柔らかな笑みが、心地好くて愛おしい。

「実験に成功して、嬉しいんだろ」
「実験なんて言わないでください。開発です」
「おんなじだ」

余計に生々しい言い方をされて羞恥心が甦る。朝比奈はやはり小さく笑うと、櫻井の腰回りに手を滑らせた。

「七生さんの身体全部、気持ちいいところにするのが目標ですから」
「それは……ちょっと困るというか……そう、言おうと思ってたんだ」
「何をですか?」
「……いや、その」

ちら、と己の胸元に目をやる。少しこねられただけでつんと勃ちあがって主張するそこは、このところやや敏感になっていた。生活に支障が出るほどではないにしろ、最近熱心に愛撫してくるところを見るとそれも時間の問題に思える。朝比奈の好意を拒否するつもりは毛頭ないが、言うなら今、と決意して口を開いた。

「最近、なんというか……擦れる時があって……」
「……」
「……」
「……感じちゃうんですか?」

表現に困って言えなくなった続きを、まさかと代わりに口にした朝比奈に頷く。無意識に意外そうな口ぶりが櫻井の羞恥を煽る。つられたのか、朝比奈も少し恥ずかしそうに視線を逸らした。

「それは……気づけなくてすみません」
「いや……」
「絆創膏とか貼れば大丈夫でしょうか」
「それは嫌だ」

冗談です、と頬に口づける朝比奈は、三分の一くらいは本気で言ったに違いない。
実のところ、朝比奈は情事に対して淡白なほうなのではないかと思っていた。例えば、ソファーで隣に座り、身体をくっつけるだけでも満足してしまうのではないかと。
それが思い違いだったのか、知らずと我慢させていたのか、はたまた一緒に過ごすうちに変化したのかはわからないが、意外となかなか、積極的なところがある。二人で暮らすようになってからは特にだった。
朝比奈に求められる度、この上なく幸せな気持ちになる。そして櫻井もまた、朝比奈を不安なく求めるようになっていた。
唇を重ねながら丁寧に中をほぐされる。何回しようと何年経とうと、初めてした時とさして変わらないほどの丁寧さがもどかしくも嬉しくもあり、結局急かすこともできず、絶頂寸前まで前戯が続くことも珍しくない。
いつも整えられた爪。ささくれもない滑らかで、けれどたしかに男らしい指。
三本咥えても物足りなそうに吸い付くようになると、先に限界を迎えたのはやはり櫻井のほうだった。

「隼人、」

訴えかければみなまで言わせるようなことはせず、朝比奈は優しく微笑んでゆっくりと指を引き抜く。望んだにも関わらず、いくなとばかりに指を締め付けるのを意思では止められない。朝比奈の笑みが愛しげに深められるのには赤面せざるを得なかった。
焦らすことなくぺニスの先端が宛がわれる。

「あ……はぁ、ッあ……っ」

挿入だけで得られるようになってしまった快感を逃がすようにして、枕に横顔を押し付けた。半分も入ったところで朝比奈の手が頬を掬い、舌が唇を開かせる。

「んう、ン、っんん、んー……!」

口づけながら突かれるのがすっかり癖になっていることに、朝比奈が気づかないはずもなかった。
朝比奈と唇を重ねるのは、もはや食事をするのと同じくらいに当たり前のことになっている。それなのに、いつまで経っても特別な気持ちになるのは不思議だった。喜びを全部詰め込んだような、なんとも言えない幸せな心地。
心も気持ち良いままに、ぐずぐずになった中の弱いところを擦られ、一度も触らないまま固くなったぺニスをここにきて扱かれ、呆気なく腰が跳ねて射精する。

「んあっ、はぁっあっ、あっ」

達する寸前で唇を離されたおかげで、上擦った声が無防備にあがる。わざとだ、と若干恨みがましく朝比奈を見ると、満足そうな顔をしてまた唇を塞がれた。たまにこういう意地悪をするのだ。

「ん、ん……は、あ」
「可愛い、七生さん」

これを果たして何歳まで言われるのだろうか。朝比奈の中で愛の言葉と同義に扱われていることを知っている身としては嬉しいものの、三十半ばに近づいた男として手放しに喜ぶのもどうかと思われる。

「はや、とっぁ、」
「ん、七生さん」

反論をこさえる前に耳を食べられた。舌先が窪みを確かめるように辿り、濡れた音が、吐息が、甘い声が鼓膜を揺する。ぺニスを咥えたままで、絶頂を味わったばかりの腹が疼いた。

「ひっうぅ、ぁは……っ、あ」
「っはあ、あ……っふふ、すごい、中気持ちい……、七生さん、可愛い」

ぴったりと唇を耳に寄せた朝比奈が言葉を紡ぐ度、快感にぞくぞくとした腰が浮き上がる。その度にぺニスを締め付けていると、朝比奈の声にも余裕がなくなってきた。ゆっくりと中を掻き回していた動きが規則的な律動に変わっていく。

「ぁっあっあっ、っん、くふッ……っ」
「声、ちょっとくらい出しても、んッ聞こえない、ですよ、」
「っん、ん、わ、か……っな、だろ、っふ」

朝比奈は興味本意で言っているわけではなく、実際防音性の高さは魅力の一つとして挙げられていた。そうでなければ朝比奈とて先のような意地悪はしないだろう。火野が言うには、隣り合った部屋でテレビの音量をこれでもかというほどに上げても聞こえなかったそうだが、そう聞かされたところで、羞恥心というものは簡単に消えたりしないのだ。

「ここなら、んッ七生さんの声、たくさん……っはあ、聞けるかなと、思ったん、ですけど」
「は、ぁっあ、待っ、隼人っ」

片足を朝比奈の肩に乗せられ、より深くまでぺニスが埋まる。同時に、すっかり熱のこもった布団の中にひんやりとした空気が入り込んで気持ちいい。朝比奈が腰を動かすと、あまり慣れていない場所にぺニスが当たった。

「ぁ、う、ぁあっ……ッ」

開いた唇から声と共に唾液が溢れるのを抑えられなかった。しかし別のものでもシーツは濡れてしまっているし、どうせ交換しなければならないのだとぼんやり思う。
律動が速くなり、朝比奈の腕を握る。

「はあっイく、もっ、イ、く、ぁ、あっ」
「七生さ、っん、んッ俺も、イく、」

目を合わせて、唇を寄せあい舌を絡めて、ほとんど同時に身体を震わせた。朝比奈の射精を薄皮越しに感じ、触られることのなかった櫻井のぺニスからも白濁が飛ぶ。

「んん、んっ……ん、んっん……んん、ん……」

口づけながら、絶頂の間もゆっくりと中を愛撫するぺニスに堪らず身悶える。それを甘えているように感じたのか、朝比奈の嬉しそうな笑い声が重ねた唇の隙間から小さく漏れた。

「はあ……あっ……っあ……」
「ん、……前触らなかったから、深いのきちゃいましたね」
「ッ」

心なしか膨れた乳首を悪戯に転がされ、ひくと喉が鳴る。

「だめ、隼人、も……」
「ふふ、すみません……大丈夫ですよ。ちゃんと終わりにします」

ほ、と息をつくと共に少し拍子抜けして、一瞬期待を寄せた自分がいたことに思い至り、じわじわと顔が熱くなる。

「……やっぱりしますか?」
「し、しない」
「ふふふ」

楽しそうで何よりなことだ。

向かい合って夏野菜カレーを食べる頃には、特有の疲労感も抜けていたし、やはり自分がやると言う朝比奈を制して宣言通り風呂掃除もした。とはいえ、元よりピカピカではあるのだが。
あんな時間を過ごした後でも、何故か改めて脱衣所で裸を見られるのには毎度恥ずかしさがある。明るいせいだろうか。

「やっぱり広いですー」
「ふっふ」

あまりに嬉しそうな声に、裸の恥じらいも忘れておかしな笑い声が出た。シャワーを出しながら朝比奈もつられたように笑う。

「なんですか、変ですか」
「いやそんなに、広い風呂を欲してたとは思わなかった」

二人で湯に浸かると、やはりそれなりに狭い。が、向かい合えるという点で、以前の狭さとは比べ物にならない。
契約を一日で三本とってもはにかむ程度の朝比奈が、珍しく得意顔で言った。

「七生さんには利便性と、設備条件と、動線の良さが響いたかもしれないですけど。俺がここに決めたポイントは、広いお風呂、大きいベッドが置ける部屋、そして防音性です」
「……なるほど」
「七生さんとイチャイチャするのに最適な部屋を選びました」
「はっきり言ったな」
「ふふ」

愛しそうに目を細め、湯の中で櫻井の左手に触れる。指輪の感触を楽しむようにして、それから指を絡めた。

「本当は、七生さんにくっついてるだけで幸せなんですよ」
「……うん」
「でも、もっとくっつきたい欲が出ると、服も邪魔に思えてくるんです」

そんな風に言うのを初めて聞いた。そして何故か腑に落ちた。
そういうことか。
水音をたてて掬った手の甲に、朝比奈はおとぎ話の王子の如く、優しく唇を落とす。

「許されるなら俺は、ずーっと、七生さんとくっついてたいんです。くっつくだけで何もしなくたっていいから、ずっと傍にいたいんです。おじいちゃんになってもくっついてると思いますけど、許してくださいね」

許すも何もないだろう。
のぼせるには早すぎるというのに、なんだか眩めいたような気がした。朝比奈の腕をとり、その身体を抱き寄せる。すぐに抱き返される。
温かく濡れた肌が触れあう心地好さ。目を閉じて静かに呼吸する。

「……こんなに幸せでいいのかな」

思わず口に出すと、少しばかり朝比奈の腕に力が入り、それから柔らかく頬を包まれた。

「幸せでいちゃいけない理由なんか、ないですよ。誰だって」

朝比奈隼人に巡り会えたことこそが、人生最大の幸福に違いない。
誰かもそんなことを言っていた。他でもない、目の前の男だった。
誓いなどなくとも、もう手放すことは考えられない。いらないことを口走った償いに、櫻井から口づける。髪に触れ、これ以上なく身を寄せて、唇を甘く啄んだ。

「ありがとう」
「……今、幸せすぎてびっくりしてます」
「それは、何よりだな」

また二人の、新しい生活が始まるのだ。
変化を恐れていたこともある。きっとこの先も、何かを変えたり、何かが変わることはあるだろう。
けれどその度、今ある幸せを確かめて、新しい幸せを見つけられるのだと思うと、少し楽しみな気持ちさえ芽生えるのだった。



*END*

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