星になるための仮眠
燃えるような茜色だった。何もかもが焼き消えてもまだ足りないというようにとろけてくすんだ陽が、明るい翠の双眸を煌々と照らし出していた。眩さに瞼を伏せると、開け放した窓から入り込んだ生ぬるい風が髪や頬を撫でつけた。微熱のような燻りをいくつも灯して、瞬きの間に消えていく。
何処に停泊したのだったろう。考えると頭の中でジジジ、と嫌な音がする。いつからこの移動艦が動かなくなったかと思い起こすのも億劫でやめた。ここで何があったかを改めて思い出す必要はない。きっともう意味だってないだろう。
静寂の中でか細い息遣いだけが聞こえる。あれだけ賑やかだっただったロドス・アイランドは今や見る影もなかった。在りし日々は無邪気にまなうらにちらつくだけだ。
取っ手の欠けた愛用のマグカップが視界に入る。そういえばコーヒーが切れたとどうでも良いことを考えながら、ケルシーは投げ出された手を取った。細い指と指を絡めて、冷たくなった肌に体温を分け与えるように。握り返されることは無くなったが、半狂乱で振り払われるよりはずっと良かった。
ペンのインクも補充し忘れていた気がする。腕時計は電池が切れていた。電気も、水も。後から後からそんな取り留めもないことが浮かんでは水泡のように弾ける。もう動かない針を見つめて息を吐いた。
まあ、もういいか。
「……寒いな」
気温は低くない。風も光もあたたかい。あやふやだがきっと今は夏の終わりだ。草木の濃い香りが時々風に紛れて運ばれてくる。それなのに、どうしてか体が震えた。ほつれと穴だらけになったドクターのコートを手繰り寄せて互いの膝にかける。
いつかの彼女の姿がふと脳裏に過った。どう考えてもサイズの合わない不格好な制服を身に纏って、得意げに笑っている。もうすっかりボロボロになってしまった。
こんなのでも無いよりマシだろう、とケルシーが呟くもドクターは睫毛を瞬かせるだけだったけれど。彼女はもう忘れてしまっただろうか。
肩を寄せた。目を閉じて耳を澄ませると彼女の鼓動の音まで聞こえるような気がして、この瞬間だけはケルシーの険しい表情が少しだけ緩む。幸福を形にしたらきっとこの瞬間になるのだろうとすら。
ずっとこんな日々を過ごせたらと、そう思いもするけれど。
「……君が笑ってくれないのなら意味がないな」
心残りはもうない。彼女を殺したあの日にきっと残す心も消え去った。それでもこうして蛇足のような日々を望んだのは、夢見ていたからだ。
自由すら許されないほど色んな物を背負い過ぎていた。両腕では抱えきれなくてたくさん取りこぼした。拾う余裕などなく、涙も嗚咽も垂れ流して前に進むしかなかった。その道が絶えたいま、あとはもう残ったいのちを指折り数えるだけの運命ならせめて、と。
誰の命を奪うことも奪われることもないような日常を過ごしたかった。日がな一日身を寄せ合って、ただ傍にいるだけの時間が欲しかった。叶えられなかった願いの残滓を掬い取るような真似をしててでも。
あの日の君なら、こんな私を馬鹿だと叱ってくれただろうか。それとも、優しく微笑んでくれただろうか。もう私にはそれすらわからなくなってしまった。私を君を笑わせるより泣かせる事のほうが多かったから。
ただ、どうせ後は死ぬだけなら、静かなこの部屋の片隅で終焉へと身を委ねたい。こうして、君と手を重ねながら。
「カルディア」
「………」
「私の我儘に付き合わせてすまなかった」
「………」
「もう、終わりにしようか」
「………」
答えはなかった。
ケルシーはしばらく彼女の頬を撫でて、ぼんやりと虚空を眺める瞳を見つめた。夜空を流し込んだような煌めく光は永遠に失われてしまったけれど、それでもなおいっとう美しいと思う。
こつんと額をくっつける。出会った頃、今よりずっと幼かった彼女が甘えたいときによくしてきたそれを真似て。大きくなったらケルシーみたいになれるかな、とあどけないドクターの声がこだまする。目の奥がつきんと痛んだ。結局、なれるなんて言ったくせに大人にもしてやれなかった。
長い睫毛を透かす整った影をなぞって、白い鼻先を辿った。そうしてずいぶんと血色の悪くなった唇へと柔らかく口づける。ほんの一瞬触れ合うだけの口づけ。募らせた想いにはきっと釣り合わない。けれどケルシーにとってはその一瞬だけで良かった。
ポケットをまさぐる。回復剤も栄養剤もすべて使い切った。残る注射器は、あと二本。
一本を取り出して、まずは彼女の手首に宛がった。自分の死に顔を晒すわけにはいかないし、彼女を置いていくと寂しがるだろうから。平気で人を置いていくくせに、勝手なことだとケルシーは呆れたように、それでもどこか穏やかに肩を竦めた。
指先にほんの少し力を込めればずぶずぶと簡単に針を飲み込んでいく。中身を押し出して流し込み、同じことをもう一度自分の腕に繰り返して空になった注射器を床に適当に転がす。呆気なさに少しだけ笑えた。
「…… カルディア」
二度と彼女の声を聞くことはないとわかっている。言葉を交わすこともないと。その目に自分を映して笑うことも泣くこともなくなった彼女の眼は深い虚のように一片の光も受け入れない。
守ると誓った。例えすべてを奪ってでも。それが間違いだったとは思わない。後悔もしていない。ケルシーのその想いはもはや恋とも愛とも言えないものだったけれど。
ただ息をするだけの存在になっても、その存在が不要になっても、例え世界が終わろうとも彼女を手放さない。どんな姿になっても、繋いだ手は離さない。地獄の底まで共にいると告げた約束は絶対に違えないとその手を握りしめる。
枯れ枝のような手を震える指でぐっと引き寄せて、そっと小さな背に腕を回した。痩せ細り、もう肉の柔らかさも感じない。触れた胸の奥深くに彼女の心臓が埋まっているなんて信じられないほど薄くなってしまった体を壊さないようにと包み込む。
『ケルシー』
吐息に紛れた声が囁く。遠いあの日の君が私の手を引いて笑う。
大丈夫。その声も、笑顔も、君のことならちゃんと覚えている。
ずいぶん遅くなってしまったが膝を抱えて泣いていたいつかの君を、今度こそ救えるだろうか。君が逃げ出したかったのは一体どこまでなのだろう。どこまで行けば君は笑ってくれるのだろう。何処だって連れ出そう。
私は、君がいるならそれだけでいいんだ。
「どこまで行こうか、カルディア」
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