「空が高いな、半蔵」

 開け放した天守から天を見上げ地を見下ろす。この城の若き主が呟いた。その呟きは名を指してはいるものの響きは独り言に近かった。それを感じ取ってか、影は応えるでもなく、ただ部屋の片隅に在った。

「私の子守など、つまらぬであろう。父の元へ戻ってよいのだぞ」
「…そうは参りませぬ。若君の護衛が我の任。御父君の」
「そう、父の命令だ。お前の主は父・家康。私の戯言など聞くに値せぬ」

 外界を見据えたまま、振り向く事もなく空へと言葉を紡ぎそれを天は半蔵へと跳ね返す。半蔵が口を開けば若き城主・ごんべはその言葉を遮り、自嘲ともとれそうなそれをはっきりと言い放つ。いつも、そうなのだ。この若者は。
 特に、家康公の名が出た時には判る様に機嫌が悪くなる。親子仲が悪い訳ではなかった筈なのだが。家康公は長子・ごんべを蝶よ花よと可愛がり、現にこうして半蔵をごんべの元に寄越している。ごんべもまた、父に従順であり、会話・発言に陰は感じられなかった。

 半蔵は、この若者が少々苦手であった。
 嫌悪や恐怖ではなく、ただ何か冷えたものを感じた。幼い頃からみていた筈なのに全くそれの原因も正体も判らないのである。
 無色透明の氷の様に、ただ冷えて、それ以外は何も感じられなかった。

「半蔵、私が死んだらお前は困るか」

 その声も一定の音程を保ち、鋭い針の様に胸に刺さる。

「若君が身罷られれば、御父君も臣も民も皆三日三晩と泣き伏す事でしょう。じきに徳川の太平が成されます。次代の世を担うのはごんべ様しかおりませぬ」

 氷の花の様に感じられる若者も、事実統治の才があり、民に慕われ確実に次期当主としての信用を得ていた。そして半蔵も、ごんべの才知を認めていた。嘘は全く無い。その答えに、そうか、と一言返しごんべはまた口を開いた。

「では私が、今、ここで、死んだらお前は困るだろうか」
「若君に何かあれば、我の首が飛びまする」
「そうか」

 畳に伸びた影が、ふわりと飛んだ。

「っ、」

 飛んだ。落ちた。足元に青が広がり、天を踏み締めている気分だった。

 しかしそれは本当に一瞬の出来事であり、その次の思考に移る時には既に足元は地に着いていた。正確には、自分の下には半蔵がおり自身の足は着いていないのだが。面を着けていない半蔵の顔はいつも通りであったが、近くなった心音はいつもより乱れている気がした。

「わたしは」

 ごんべの手がするりと半蔵の頬に滑った。今まで感じた事が無いくらい熱を持っていた。ごんべの手が溶けてしまうかと思うほどに。

「お前を殺したいのだ、半蔵」


2010/07/24

and all...