此方へ来て幾日が過ぎただろうか。
 ふらりと出た城下町で酒を呑み、ついその美味さに杯が進みすぎてしまった。蒸し暑さの残っていた夜はもうなく、火照った頬を涼やかな風が撫でていく。それがあまりにも心地よくて、少し、と城門まで辿り着いたところで腰を下ろし、目を閉じた。
 いくら己の腕に自信があろうと、酒を飲み、いつもの得物はこの手に無い。それなのに、慣れない土地の城の一角で穏やかに眠りこけてしまうのはいささか警戒心が薄すぎるのではないか、と今では思う。

 どれほどその体を夜風に晒していたのだろうか、目が覚めた頃にはすっかり酔いも体もさめていた。さすがにこんなところを見られたら孫市に怒られそうだ、そう思って宛がわれた部屋へ戻ろうと立ち上がった時、すいと耳が音を捉えた。
 清涼な笛の音がいずこからか空気を浅く揺らし此処へ届く。

 外か、いや中か。で、あれば伊達のお家の誰かだろう。雑賀の鉄砲衆にかように笛を扱える者はいない。

 良い音だな。
 そういった教養の無い俺にもわかる。むしろそういうものが巧いということなんだろう。
中々良い気持ちのまま眠ることが出来そうだ。そう感じて夢心地のまま自室へ足を向ける。笛の音の主は気になるが、邪魔をするのは忍びない。ここには少し長く滞在することになりそうであるし、お目にかかる機会もあるだろう。明朝、孫市か政宗公に訊ねてみるのもいいか。

 よし、そうしよう。と決めてさあ寝るぞ、と思った途端に気づく。
 はて、自室はどちらの方であっただろうか。

 まずいぞ、元々地理は苦手なのだ。が、さすがに城内で迷子になろうとは、雑賀の名の恥だ。どうにかして脳内に城内の見取り図を思い浮かべる。ええと今ここが大手門で、その先が二ノ丸で、三ノ丸が……

 歩きながら辺りを見渡すが篝火の明かりがあれど、地理の揮わない人間には足元を照らしてくれるだけでなんの目印にもならない。
 参ったな、というか大手門に見張り役がいなかったのは何故だ。無用心な。とは言っても突っ立っていても仕方ない、二ノ丸でもなんでも辿り着けば誰かいる。そう思って一歩踏み出した瞬間、首筋にひたりと冷たいものが当てられた。


「……おや、誰かと思えば雑賀のごんべ様ではございませんか」


 首筋の冷たいもの、もとい声の主の短刀がすぐに離れていく。


「これはご無礼を。どうか平にご容赦くださいませ」
「いや、こんな時分にうろついている俺が悪い」


 篝火の揺らめく赤がきらりと目の前の人物の持つ特徴的な顔の飾りに反射する。


「まあ、それは最もでございますね」


 いや確かにそうだ、そうなんだが随分と切り返しが早いなこの男。丁寧な口調と裏腹にこちらを小馬鹿にするような物言いと視線が突き刺さる。


「ええと、片倉さん、だったよな」
「はい、伊達政宗様の側近を務めさせて頂いております、片倉小十郎でございます」


 覚えておいてくださいまして大変光栄でございます。
 にっこりと笑う片倉小十郎はそれはもう本当に、何も知らなきゃ簡単に騙されただろう。俺は予め孫市から「伊達にゃ食えない腹黒眼鏡がいるから気をつけろよ」と言われていたのだ。なるほどなるほど、確かになあと一人で納得したそぶりを見ると片倉小十郎は怪訝な面持ちになった。


「して、ごんべ様。こんな時分にこんな場所で一体何をなさっておられたので」


 素直に迷子、と言っていいものか若干迷った。が、今はこの男に頼るのが最も最善である考え付く。多少馬鹿にはされるだろうけどもまあそれは仕方のないことだ。


「いや、城下で呑んだはいいが戻る前に寝てしまって、そんで目が覚めたはいいが自室がどっちの方だかわからなくなってな」
「つまり、迷子、でございますね」
「あ、はい、そうです」


 とてもわかりやすく溜息を吐かれた。仕方ないだろう、まだ来て一月も経っていないのだ。まあ、酒を飲んで眠くて外で寝こけたという点については何の弁明もしようがないので言わないで欲しい。


「ごんべ様の部屋はあちらでございます。ご案内致しますから覚えてくださいませ」


 あちら、と言われてみれば元来た道を少し戻ることになった。なるほど、来すぎていたか。


「すまないな」
「いえ、政宗様の客人の世話を焼くのも私の役目でございますれば」
「二度目は無いって顔に書いてあるぞ」
「当然でございます」


 そう言ってさっさと先を歩いていく片倉小十郎の背を見ながらふと気づく。


「笛が聞こえない」
「笛、ですか」
「ああ、さっき目が覚めた時に聴こえた。とても良い音だった」
「ごんべ様に楽を解する才があったとは驚きでございます」
「馬鹿にしてるな?そんなもの無いが、良い、と思ったそれだけだ」


 左様でございますか。それだけ言って、少しこちらに向けた顔をまた前に戻してしまった。笛の音の主を尋ねようかと思ったが、きっとこの男に聞いても答えは返ってこないだろう、そんな気がしたので俺はもう黙って男の後をついていくだけにした。

 翌朝、政宗公にお会いした際に笛の達者な者がいるかと尋ねたが「きっと見目麗しい天女のような方が吹いていらっしゃるのでしょう」と話したところでなぜか腹を抱えて笑い出したので結局正体を聞き出すことは叶わなかった。



2015/12/09

and all...