その人に再会したのは、看板娘が可愛いと評判の立つ団子屋にふらりと立ち寄った時だった。 どうせ外に出たついでだ、と息抜きを知らぬ殿のために甘味のひとつでも買って帰ろうと品定めをしているのを背後から声をかけられた。 自分よりも背丈の低い男の黒いざんばら髪の間から鋭い眼光がこちらを伺っている。 「久しいな、左近殿」 その声を聞いて、ああ、と口をついては出たもののその名を口にするのに暫しの時間を要してしまった。 「ごんべ殿、久しぶりですねえ。会いたかったですよ」 「今の瞬間まで忘れていた奴が何を言う」 そう言って俺の肩を拳で叩くごんべ殿は目を細めて笑う。着物も着崩して髪も結わず、元来の目つきの悪さがあいまって傍からみれば賊の一味のようにも見えなくないこの男は、割と可愛い顔で笑うのだと記憶が蘇る。数年立ってもあまり変わりないなあと思うのはお互いに年のせいだろうか。 「なんとなく失礼なことを考えている気がするな」 「ごんべ殿は相変わらず読心術をお持ちか」 「そんな訳あるか、と言いたいがやっぱり考えてたのか」 お前は相変わらず腹の立つやつだ、と俺の足を踏みつける。すぐに手やら足が出るのも相変わらずだといっそ安心する。 なんやかんやして、いつまでもでかい男二人が店先でじゃれついているものだから、噂の看板娘が怯えた表情で店の中へ引っ込んでしまったらしい。周りの客と娘に詫びをいれながら、おすすめの団子を包んで貰い、俺達は酒場へ移動することにした。女は要らないのか、と聞かれたが今はごんべ殿と積もる話もしたいと思い、断ってから座敷へ落ち着いた。 酒を幾度か飲み交わした後でごんべ殿が切り出す。 「風の噂で聞いた。とうとう主を持ったらしいな」 「もうこんなところにまで話が伝わってるんですかい」 「なんでも主君の俸禄の半分で召抱えられたとか。噂にならん筈がない」 そしてその主君がなんといってもあの石田三成だという。言いながら俺の盃に酒をなみと注いでいく。少し機嫌の悪いようにも見えるのは気のせいだろうか。 「お前ほどの才ならなにも三成でなくとも二万石で召抱える大名もいるだろう」 「おや、ごんべ殿は殿がお嫌いか」 「そうではないが、散々他の誘いは断っていたのにどうしたんだ、という話だ」 お前がただ二万石で仕官を決めるような奴ではないと知っているぞ、とごんべ殿の置いた盃が膳の上で、かん、と音を立てた。空になった盃に今度は俺が酒を足してやる。 ごんべ殿は暑くなったのか、それまで顔の半分を覆っていた前髪をかき上げ後ろへと撫で付けた。その下の顔は細かな傷跡はあるものの鼻筋の通った美丈夫のそれで、やはり年の割りに若く見えるなあと話とは関係ないことを脳裏に浮かべてしまう。 「そうですねえ、強いていえば顔が綺麗だったからですかね」 「ふざけるな」 「ごんべ殿と似ているかも」 「ふざけるなと言っている」 けらけらと笑えば腹部に容赦ない拳が叩き込まれて、思わず畳に後ろ手をつく。 痛いですよ、と反論をしようと思ったのに、何故かそのまま畳へ押し倒されて俺の上へごんべ殿が乗り上げる。まったくそういう雰囲気では無かったと思うのだが、さすがの俺も思考がよく追いつかないまま、ごんべ殿を見返した。 「どうせ盗られるのなら爪痕のひとつでも残さなければ腹の虫が治まらん」 「一体なんの話を」 しているんだ、と言おうとした口はごんべ殿のそれによって塞がれてしまった。口吸いなんて甘いものじゃない、完全に獣に噛み付かれたと言っていいほどだった。油断した隙に、ぶち、という嫌な音がして痛みに任せて上に乗ったごんべ殿を加減なしに突き飛ばした。 それくらいは予想内だったのだろうごんべ殿は振り落とされながらも平静の表情を保ちながら、口元の赤色を袖で乱暴に拭っていた。その赤色は、確認したくもないが俺の血であろう。 噛み切られた下唇がじくじくと痛み、どくどくと熱を覚え、顎を血が伝っていく。 それを見たごんべ殿が自分の懐から手拭いを放って寄越したので遠慮なく使わせて貰う。使わせて貰う、というには当の加害者本人なのだから不適切な気もするが。 これがこの男のいう"爪痕"とでもいうつもりだろうか。俺は止まらない血を手拭いで押さえ付けながらごんべ殿の言葉を待ったが、次に口を開いたごんべ殿はあっけらかんとした声色で「女」と呟いた。 「は」 「女だ、やっぱり女を呼ぼう」 「ちょ、ちょっと待ってくださいよごんべ殿」 全く話が収まってない、と言う間もなくごんべ殿は番頭に女と酒の追加を頼みに席を立ってしまった。 完全にこっちの話に取り合う気がないと理解してしまえばもはや疑念は全て嚥下するしかなく、ただ噛み付かれた唇だけが熱い感情を持て余して、ああこれは暫く傷が消えないな、その前に女達に突っ込まれたらなんて言えばいい、なんて少し先の面倒に思考を移行させるしかなかった。 2015/12/14 |