「綺麗だ」


 その呟きに、槍を振るっていた幸村が動きを止めた。
 ああ、綺麗だ。蒼白い月に血を散らしたような紅葉の中で幸村がこちらを伺い立っている。


「どうかしましたか」
「いいや、月に紅葉が綺麗だと思ったんだ」
「ああ、確かに」


 武一辺倒だと言う幸村は、今まで気付かなかったとでもいうようにくるりと辺りを見回した。
 こんな武骨な男だからこそ、しっとりとした空気に映えるのだろうか。そこにいたのが三成であったらまた違ったのだろうか。(幸村との引き合いに出すのはよろしくないと思いながら)


「幸村よ、こちらで少し休憩しよう」


 盃を掲げて呼べば、ほどほどにしてくださいと困った顔をしながらも素直に俺の隣に腰を下ろした。隣で見ても精悍な顔付きをしているなあ、と改めて真田幸村という人間の造りに興味が湧いてしまう。視線で横顔の輪郭をなぞれば、こくりと喉仏が動いて、視線を上げると不思議そうな顔をした幸村と目が合った。


「いい男だなあ、幸村」
「もう酔っていらっしゃる」
「いやいや」


 ふ、と笑った幸村が俺から盃を奪うと一口で中身を飲み干してしまう。なんてことするんだ、と文句を言おうとすれば、それから流れる様に唇を重ねられた。軽く触れるだけの口吸いであったが、酒を舐めた唇はしっとりと濡れていて、深く重ね合った後のような艶を感じる。


「お前から口吸いをしてくれるとは」
「驚きましたか」
「驚いたおどろいた」


 悪戯が成功した子供のようにくしゃりと幸村が笑った。とてもあの艶やかな唇の持ち主とは思えないような、穏やかな顔で笑うのが倒錯的で思わずその肩を掴み倒してしまった。枯れ落ちた楓が、かしゃりと砕けて風に舞う。幸村は驚きに少し目を見開きはしたものの、特に何を言うでも、抵抗するでもなく下からじつと俺を見つめている。


「可愛くねえなあ」
「あれだけ弄ばれれば今更恥じらいなど覚えようもないでしょう」
「弄ぶとは人聞きの悪い」
「ほんとうのことですよ」


 確かに、閨を共にし始めた頃の幸村は情事には疎く、ましてや己が抱かれる方であれば尚更、作法も知らぬと顔を覆っては恥ずかしいと溢していたもので、それが可愛くてかわいくて散々焦らして求めさせて泣かせたことはあった。けれど弄んだ、とは聞こえの良いものではないと不満を顔に出した。
 童子ではないのですから、と冷えた手の甲で頬を撫でられるのが不思議と気持ち良い。そのまま、ふわふわとした口吸いを重ねると、幸村に「外です」と額を打たれた。
 仕方なく顔を上げて再び幸村の顔を見つめる。その瞳に俺が映っていることに酷く心がざわついた。


「幸村、目を閉じてくれ」
「もう口吸いは十分ですよ」
「そうじゃないから、ほら」


 そっと指で目尻に触れると仕方なく幸村が目を閉じる。その瞳に俺を映さないでくれ。お前の往く先に俺はいなくていいから。いいと願うのに、ただ、それでも。


「お前が死ぬ時は、その最期を俺にくれ」


 そんなつもりは無かった筈なのに、音となって口を出た言葉は震えていた。幸村がゆっくりと目を開くのを見たくなくて、片手でそっと瞳を覆い隠した。幸村を見たくないのではなくて、ただ自分の顔を見せたくなかったからかも知れない。
 幸村はその手を払うでもなく、ただ静かだった。


「最期の一瞬まで、貴方に」


 酷い告白だった。じわりと顔が熱くなった気がして、それと同時に手を退けると、幸村もまた酷く赤い顔をしていた。


「ここで照れるのかよ」


 頬がじわじわと熱く疼くのをそのままに笑いを溢すと、恥ずかしそうに顔を背けて幸村も笑った。

 共に生まれることは出来なかった。共に戦う事は叶わなかった。きっと共に死ぬことは許されないんだろう。だったらせめて、一度きりの最期を欲しいと願うのは我侭だろうか。我侭だとしても、幸村は俺を受け入れてくれるのだから、誰が許さなくとも地の獄まで今生の思いを持っていくとしよう。


「ごんべ殿」


 幸村の瞳が俺を映す。黒々としたその瞳に、蒼白い月光に照らされた真っ白な顔の俺が。


「お慕いしております」


 閉じられた幸村の目蓋はもう開かない。戦場は轟々と音を立てて燃えているのにその瞬間だけはどこまでも静かだった。伏せた幸村の前に立つ俺は幸村で染まり上がっている。
 勝利の幕のひかれる戦場の中で、俺の心臓だけがいつまでもごろごろと音を立てていた。


2015/12/13

and all...