三太夫に遇った、と懐かしい名前を聞かされて数日。夢見は悪くなるし、夕餉の芋の煮っ転がしを取り落とすし、俺も木から落ちるし、あいつの呪いかと思うほど散々だった。

 もう十数年、奴らとは関わりを絶っていた。里を抜けてから数年は追っ手こそかかったが、三太夫に遇う事は無かった。
 武士嫌いの三太夫。それが今は織田家に出入りしていると聞く。


(絶対に何か企んでる……)


 廚からくすねてきた饅頭を食らいながら思案する。
 今まさに勢力を広げんとしている織田家はどう考えても武士嫌いの三太夫が最も嫌がりそうな相手だ。俺は織田信長について詳しくはないので、どんな理想を以て勢力拡大を目論んでいるのか定かではないが。家康様を見ている限り、単なる野心家という訳でも無いのかも知れない。
 とはいえ、三太夫の武士嫌いの度合いを知っている身としては、何を思って織田信長に近付いているのか、その腹の内はきっと三太夫本人に聞かない限り分からないだろう。
 聞いたところで、わかるかどうかも怪しいが。


「昔っから食えない奴だったからなあ」
「なら、代わりに食ってやろうか」
「おいそれは俺が一番楽しみにしていたヨモギ饅頭だ」


 三太夫、と気配の濃くなった枝葉の間を睨めば、その男が姿を現す。
 俺のヨモギ饅頭をぱくりと一口で平らげた男・百地三太夫は記憶と変わらない、嫌らしい笑みを浮かべていた。


「相変わらず、嫌な奴だ」
「おいおいおい、久しぶりに同郷の士に会ったというのに随分と冷てえじゃねえか」


 なあ、ごんべ?
 そう問う三太夫の顔はずっと変わらぬ表情で、その本心を微塵も見せない。


「一体何しに来たんだ。里を抜けた俺達を討ちに来たのか?」
「半蔵と同じ事を言いやがる。そんな昔の事を今更蒸し返す気はねえよ」
「どうだか。お前の執拗さを俺達はよく知っているからな」
「……へえ、そうかい」


 言って、音も無く傍らに寄ろうとしたのを避ける。殺気とは違うが、なんだか嫌な気配がする。


「久し振りの再会に、肩のひとつも組ませちゃくれねえのか」
「俺とお前はもうそんな仲じゃないだろう」
「……じゃあどんな仲なら許されるってンだ? 同郷のよしみからも俺を切り捨てるのか」


 お前が伊賀を抜けた時と同じ様に。
 不透明だった感情は剣呑さを帯びて、やがて明確な殺意に変わる。再び音も無く動き出した三太夫を、五感と三太夫を知る全ての感覚で追いかける。
 聞き慣れた耳につく羽音に目掛けて苦無を放つと、一匹、また一匹とスズメバチが散って行く。それなのに減るどころかどんどんと増える羽音に回り込まれると、スズメバチの大群が渦を描いてパチリと瞬いたかと思うやいなや、その中心から三太夫の鎖鎌が己の首を目掛けて放たれる。腰に据えた二本の忍者刀で受け止めるが、単純に力負けすれば本気で頭を割りに来るだろう。


「ごんべ、昔の事は不問とすると言ったが、お前が俺を再び切り捨てるというのなら許さねえ」
「なんだと?」
「俺ァ! 今でもお前を愛してる!」


 柄にもなく動揺して、隙を突かれる。咄嗟に弾いた奴の切っ先が左肩を掠めていくが、幸いにもまだ繋がっている。刃に毒なんかが盛られていなければ良いが。


「三太夫、その話は」
「終わっちゃいねえだろうが。お前は俺ではなく半蔵を選んだ。半蔵を愛してるんだってなァ!」


 絶え間無く繰り出される攻撃をなんとか受け流し、三太夫と距離を取る。怒りに混ざる悲しさを殺そうとして酷く歪になった笑みが、伊賀を抜けた時に最後に見た、置いてけぼりにされたと訴える三太夫の顔とよく似ていた。


「三太夫、伊賀の全てをお前に押し付けて出て行ったのは悪かったと思っている。だが」
「そんなこたァどうでもいい! 俺が腸煮え繰り返してんのは、今、お前が俺を拒絶した事だ!」


 伊賀を抜けても許した。それはまたいつか里の外でまみえた時、何事も無く、また昔のようにただ同郷の者として共に戦える時が来るかも知れないと思ったからだ。それなのに。


「それすらも拒絶するなら、お前を骸としてでも伊賀に連れ帰る」
「……お前の愛は重いな」


 一体、俺の何がここまでの執着を生んでしまったのだろうか。一人で考えても詮無き事だが、いつかそれをこいつに聞く事があるだろうか。

 再び動き出した二つの影は細い木々の間を風の様に抜けていく。およそ常人の目には見えぬ、聞こえぬ戦いは、静かにはげしく永遠の時間を切り刻むように進む。
 このままどちらかが消耗しきって根を上げるまで続くかも知れない。そう考え始めた時、空気を震わせる音ならぬ音を拾った。
 それは三太夫にも聞こえたようで、一瞬だが気が逸れた事により膠着状態から脱する事が出来た。


「半蔵の笛だ。もう行かないと」
「待て! そんなこと許すかよ!」


 更に激昂して突っ込んでくる三太夫は先程までと違い隙だらけだ。これは避けない。その攻撃を受け流して懐に潜り込む。


「三太夫、いいこだから。な?」
「っ!」


 その唇に触れるだけの、だが確かに自分のそれを押し付けて、三太夫が驚きに目を剥いたのを確認して。
 その身体を地に蹴り落とした。


「ぐっ……!」
「お前、織田家に出入りしてるんだろう? 何を企んでるか知らないが、お前が織田についている限りまた会う事もあるだろう」
「ごんべ!」
「またな、三太夫」


 悔しげに声を上げる三太夫を、一度も振り返らなかった。またあの顔を見せられたら今度こそ心が乱されてしまいそうだと思った。


(ダメだな、我ながらまだあいつに甘い)


 まだ伊賀にいた頃の事を思い出してしまう。みんな、確かにみんな大切な仲間だった。三太夫は生意気な奴だったが、目をかけてやればとてもよく懐き素直な所もあったものだ。
 じくじくと左肩からは血が流れ続けて、少し眩暈が生じ始めたせいか、過去の思い出に取り込まれてしまいそうになる。血が固まらない。やはり毒が塗ってあったようだ。


「ごんべ、今まで一体どこに……その傷は」
「はは……ごめん半蔵、あとは任せた」


 鉛のようになった身体を半蔵に投げ出して、俺はそのまま意識を失った。次に意識が戻るまで、再び悪夢にうなされたのは言うまでもない。


2021/06/30


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