Andesine6.5


東北の話

東北の端。アストン農村を始めとした辺り一帯から、彼女は国を創りあげた。

「聞いたかいエル。あのカルディア配下のアストン地方がとうとう独立したらしい」
「既に聞き及んでおります。元々カルディアは侵略に長け支配はすれど統治など無理な性格ですから、自明の理というやつかもしれませんね」

書類の山を投げ出して休憩をとるジルベルトと、そんな彼に無言の威圧をかけるエリス。
遠い地での変革はけれど他人事ではいられない。

「彼女の性格からして奪い返すのに躍起になることだろう」

眼前に出された報告書から顔を逸らして笑う。

「アストンを独立に導いたのは若き指導者、アンナ・グランマン。あのカルディアを出し抜くなんて、やるねえ」
「笑い事ではないでしょう」

再度報告書を突きつけるエリス。

「まあねえ。うちも大概厄介事は抱えてるものだしね。北と東はなるべく穏便な関係に留めておきたいんだけど……さて、アンナ嬢はどう出るかな」

指を組んで目を瞑る。思慮深く見せてはいるが、単純に彼は書類という文官作業が嫌いなのだ。エリスがいなければ簡単な報告書ですら読もうとしないだろう。
すっかりお目付役が板についてきた騎士、エリスは呆れてため息をつく。今日はもう頑として譲らないだろう。動く時は動くのだが、逆もまた然りだ。恐らくアストンの独立についてのみ反応するに違いない。

「アンナ、か。何か情報はあるかな」
「元々はアストンの大地主の家だとか。カルディア配下になって剥奪されたのですが……なかなか強かな娘のようですね。領民からの支持が凄まじいもので、一種の信仰になっているようです」
「俺の見たところ彼女は強かというより天然だな。お嬢様育ちだけど苦労も知っている。志はあるけど少し危なっかしいところが人気みたいだね。守りたくなる領主というのかな」

まるで見てきたかのように話すジルベルトに、エリスは眉をしかめる。

「……訊ねておきながら、貴方様自身で既に見聞なさっているのではないですか」
「まあ、ちょっとした好奇心さ」
「ほう」

ゆらりとエリスの影が揺れる。三日月を描く口元。それを見た瞬間、ジルベルトはしまったと身を引いた。地雷を踏んだ、気付いたが既に遅い。

「その、ちょっとした好奇心を満たす為に貴方は一体何日間の仕事をサボりやがったのでしょうかね……?」
「え、エル! 別に私用だけであちらに行ったんじゃないからねっ」

慌てて立ち上がる。チラッと退路を確認しつつ彼は必死に弁解にかかる。でなければ彼女の握り拳が即座に脳天に振り下ろされていたであろう。
眼前に出された手のひらを鬱陶しそうに払うと、エリスは腕を組んで聞く態勢に入った。
そのことにホッと息をついて呼吸を整える。

「ちょうど交易関係で出向いてたんだ。えっと……ほらあったこれだよ」

書類の山から自信の潔白を示す一枚を探し当てる。エリスは端から疑ってかかっている目つきでそれをじっくり読む。

「……ふむ、確かに。また小麦の輸出ですか?」
「いやそれはおまけ程度だ。アストンは数は少ないが割合上等な小麦を作るからね。肥料も十二分にあるらしいし、こちらからは石を出そうかと思ったんだ」
「はあ。石とはまた」

アストン地方は農村の集まりで拓けている。土壌は豊かなのだがいかんせん防壁となる材料が少ない。木々は閑散としており、今後カルディア領との避けられない戦いになった時の備えが不安となる。

「バシェラール産物は食料だけじゃあないってことさ。岩山がゴロッゴロしているだろう」
「やたら硬くて重い白石ですね」

バシェラールの強みは自然の立地だ。北から東にかけて聳える山々は切り立っており、拓くのも容易ではない。そこから採れる鉱物は少ないが住居や壁に使うには適している。切り出して形を調えればそれなりの値段で輸出できる。
ジルベルトが直接赴いたのは、確かに新しい領主への興味はあったのだが、それ以上に取引先となる土地を見たかったのだ。彼は大国の元首であるが同時に商業国家の総元締めともいえる。交易には積極的に意見もする。その心眼は確かなもので、エリスなどは「いっそ商人に転向すればいい」などと思うこともあるほどである。実際口に出してしまえば、本人が意気揚々と乗って商人国主などという唯一の職業を作り出してしまうのが目に見えているので思うだけに留めているのだが。

「なるほど、アナタが石を売りつける為に視察したついでに、アンナをストーカーしたのは本当だったようですね」
「言い方が気になるけど、分かってくれたようで何よりだ」

散らかった書類を整理する。あくまでも整理するだけで読みも書きもしない。
山と積まれた紙の束は目にするのも嫌になるだろう。事実、ジルベルトは指を組んで天井を仰いでいる。
隅から隅まで報告書を読み終わったエリスはもはや呆れる様子もない。ただ柔らかい色合いの瞳が冷たく凍えるような温度を湛えているだけだ。

「人はそれなりに集まるだろう。東はカルディアの完全な支配領を除くとほぼ反乱分子の集まりばかりだ。アンナをある程度は支えてくれるはずだ」
「では当面は石だけでの支援に留めるわけですね」
「カルディア女史をあまり刺激したくはないからねえ」

他国からは日和見だなんだと言われる、このジルベルトらしいのらりくらりとした部分であるが案外エリスは気に入っている。
――無闇に敵を増やさない。日和見? 大いに結構だ。
エリスは大事なところではきちんと働く国主をちらと窺う。
相変わらず机の上から目を逸らしている。

「……アナタが仕事をしないということはそれだけ平和ということか」

それに、と意地悪い笑みを浮かべる。

「ジルベルト様が処理しなければいけないものばかりですし、ね」

サボったツケはきちんと戻ってくるのだ。きっとまた頭を抱えながら書類と格闘するのだろう。
起こりうる先の事を想像して、エリスは笑いながら部屋をあとにしたのだった。