幸福の図
食事券を貰った。なぜ私に。知っているだろうに、食事嫌いだということを。
嫌がらせか、そうだ、嫌がらせに違いない。なにせくれた相手というのがノラだからだ。これがアマネちゃんからなら、100%の善意だと分かるが、ノラなら100%の悪意だ。そもそも奴のせいでこうなったのだし……ああ、いや、思い出すのは良くない。
それで、問題はこの食事券だ。
捨てるには勿体ない。いくら嫌いな相手からの嫌がらせの品物だとしても、せっかくあるのなら使うべきだろう。とは言え自分は食べられないし、あの無職野郎がどうやって調達したか知らないが券は十食分もあって、簡単には消費できそうにない。
「よし。シスイ、食え」
わざわざ北西部に行ってシスイを浚って食事券が使える店に来た。
候補者として南部のディックスもあったが残念なことに仕事で事務所にはいなかった。奴が来ていたらあの犬も必然的について来るから、この大量の食事券もあっという間に消費できただろうに。
まあ言っても仕方ない。今は目の前の彼がじゃんじゃん食べてくれることを期待しよう。
ひとまず適当にメニューにあるものを頼んでシスイの方にずいと寄せる。
「急に来て連れ出したかと思えば、何。これ全部いいの?」
「そうだ。嫌がらせで食事券を貰ったからな」
「捻くれてるなあ。心配してのことなんじゃないの」
「いらん世話だ」
「そ? まあ僕は頂けるものは何でも有り難く頂戴するけどね」
正直なところ、ご飯や肉の匂いが間近にあって徐々に気持ち悪くなってきた。早いところ片付けてほしいものだ。
「よしよし。たらふく食えよ」
「見てて平気なの?」
「考え方を変えて、他人がたんまり食事をして幸せそうなら、私も幸福感のお裾分けをされるのではないかと思ったんだ。見てるだけで腹が膨れる、そんな気がする」
「君たまに訳分からないよね。まあ、じゃあ吐かないで見ててよ」
「……がんばる」
「なんで食べる前からちょっと自信なさそうなのさ」
だって匂いだけでもダメージはくるのだ。吐くかどうかはシスイの早食い力にかかっている。自分としても店先でみっともなく吐くだなんて真似はしたくないから、最大限努力はするが。
いや、いや。これは幸せな光景なのだ。友人がタダでこんなにもの食料を腹に収められるなんて。空腹は人を歪ませる。だから彼が満腹になって豊かになればイコール自分の幸せに繋がる。はず。
無理矢理納得させながら、せっかくなのでパフェを頼む。意外なほどこの店はまともな料理があって、見る限りおかしなところもない。値段もそれなりにするだろう。普段なら別に金額など気にしないが、ここの食事券を持って来たのがあのノラだから余計にあちこち見てしまう。本当に、一体どういう人脈なのだか。
さて現実に戻ろう。幸福の図、とは言え、それでもやっぱり。
「……うわぁ、よくそんな、食えるな」
「ねえそのドン引いた顔やめてくんない?!」
普通の人間が見ても確実に引くような量を前にして意欲満々な彼は、絶対おかしい。もはや吐き気とは別の気持ち悪さがおそってくる。用意したのは自分ではあるが、実際大食らいを目の前に見てしまうと異次元の世界かと思ってしまう。
シスイは「何が変なんだ」と唇を尖らせ不満そうである。
「僕の量は普通……ちょっと多いくらいだし。君がおかしいんだよ」
「足して割りたいなあ」
「僕は割る必要ないって」
テーブルいっぱいに並べられた皿を次々空にするのが「ちょっと多い」とは。世の中大食漢ばかりなのか。
こちらの言い分に納得のいかない彼は逆にパフェを示して眉を顰める。
「君こそそんなクリームだけで大丈夫なの」
「だけじゃない。ちゃんとフルーツとアイスとクッキーもある」
「うっわぁ、胃もたれしそう」
肉やらの方がよほど胃にきそうだが、価値観はそれぞれだ。デザート類は特に嗜好が別れるものだし仕方ない。
甘くて冷たくておいしい。腹にはたまらないが満足感は得られる。栄養は別で補給すれば良いだけの話だ。私は食事をそこまで重要だと思っていない。
確かによくフラついたりはするけど病気ではない。他人が心配するほど管理出来ていないわけではないのだ。
(ノラのは絶対嫌がらせだけど)
仮に心配しての事だとしよう。
ノラが? 食事嫌いのトラウマを作った張本人のくせに?
(どの面さげて心配だなんて言うんだ)
それとも罪滅ぼしだとでも言うのだろうか。それこそ何様だという気がする。体験したことはしていないことにはできない、記憶はそうそう簡単になくならない、屈辱ならなおのこと。謝罪もなく、きっと奴には念頭に「キタが悪い」という考えがあるからそもそも悪いことをしたとも思っていないだろう。そういう男だ。
全部自分が一番で中心で、思い通りにならなければいっそ壊す。その癖飽きやすくて、矛盾する気持ちばかり抱えている。中途半端な男。それがノラだ。
今更、奴を改心させようなんて気はない。人のことを言えない程度には自分自身、悪に堕ちすぎている。
同じ土俵に立ってわかったことは、奴はすごく不自由だということ。無職で適当なことばかりに見えるけど、その実、情を捨てきれないしプライドなんてものがあるせいで体裁を気にする。暗黒街の外で生きるには不良だが、中で生きるには普通。どちらにせよあれにとっては生き辛い世界だろう。
いっそ何もかも割り切ってしまえばいいのに。私のように。
「難しい顔して食べてたらせっかくのデザートの味も楽しめないんじゃない?」
いつの間にかノラのことばかり考えていた。きっと眉間に皺でも寄っていたのだろう。なんてことだ。
シスイの指摘にハッと顔を上げれば、彼は既に三分の二ほども皿を空にしてなお余裕の表情でいた。……これだけ食べても痩せ体質には勝てないだなんて、なんだか可哀想である。
「そうだな……今はこれに集中しよう」
「それが良いよ。あ、ねえ」
「ん?」
「まだ頼んでもいい?」
どうやら今日一日で大量の食事券は消費完了しそうだ。