彼の始まり
「やってやれないことはない」
ヒイラギ・イーレクスがこれまでの人生で最も信条としてきた言葉だ。
やってやれないことはない。確かに、その通りできないことはなかった。
最悪とも呼べる下層での生活から抜けだせたことも、それから生きていく為に盗みを働いた時も、冬の山で遭難した時も。幾度もなくおとずれた危機に、自身の機転と行動力と意地と気力で乗り切れた。
どんなに困難でも挑戦する覚悟と力さえあれば、なんとかなる。ヒイラギは深く考えずそう思ってきた。
けれど今、目の前にある「困難」は果たしてどうだろうか。
「少し、無理があるかなあ」
ヒイラギは未知のものが好きだ。先の見えない人生、幾千幾万と綴られる物語の展開、自身の及ばぬ他人の思考、踏破されていないダンジョン。ありとあらゆる可能性が残された未知のものというのは、非常に不可解で不思議でたまらなく面白い。たとえ既に人の手が入っていようダンジョンでも、自分がまだ経験していないことなのだから、それは「未知」だ。つまりヒイラギにとって、この世の中の多くは新しい世界と同じであり、毎日が楽しいものなのである。
だが、そんな彼にだって経験はしていないが分かるものだってある。
それは「死」だ。
死とは無になることだ。世界から消え、何も知ることができなくなる。それはつまらない。下層にいた頃日常のように目にしてきた死に、こうはなりたくないと思っていた。
死はいつ、どんな時にその身にふりかかるか分からない。分からないものだが、回避できる状況があるのも確かだ。
目の前に極上の不思議が置かれていても、それを得るには確実に死が待ち受けている。ならば無理に取ろうとする必要はない。ただご褒美を諦めればいいだけの話だ。
ヒイラギの現状はつまりそういう類のもので、強制でもなんでもなく避けて通れるのである。
(けど、どんな未知なのか知らないままでいるには惜しい物件なんだよね)
悩みどころはそこだ。
辺境の山奥にひっそりと佇む古びた石碑。なんとか解読して得られた情報は、とうの昔に打ち捨てられた集落の場所と付近の、魔物はびこる深層の洞穴の二つ。
洞穴は奥に進むにつれ、入り口の清涼さを失い澱んだ空気が濃くなっていく。息苦しさに慣れる頃にはすっかり光は届かぬ暗く複雑な道を歩いており、出現する魔物の少なさも相まって非常に不気味な様相である。
通常のダンジョンであれば、人間が行動しにくい場所ほど比例して魔物は多い。ましてやこれだけ人里からも離れた辺境でおそらく未踏の地だ。大量にいて然るべきである。にもかかわらず、ヒイラギが倒した魔物は入り口にほど近い場所で出てきたバット数匹程度だ。
――これはおかしい。
確信するのだが、同時にその不可解さに口端が緩んでしまう。謎が大きければ大きいほどヒイラギの欲望は膨れ上がる。
おそらくは洞穴の奥にとんでもない強力な魔物がいるのだろう。山の主と呼ぶに相応しい力を持つ魔物の多くは群れをなさない。その威圧感といえば、たとえ知能のない魔物だとしても敬遠するほどのものだ。まさしくこの洞穴の静けさのように。
ヒイラギには今まで愚直ですらあるほどに信じてきた言葉がある。
やってやれないことはない。
奥に何が待ち受けているのか、知らずにすごすごと帰るのは消化不良もいいところだ。だけれど、今回ばかりはそれでも諦めなければいけないほどの難題であるに違いない。
近接の、それも打撃重視の戦闘スタイルの彼では大型の魔物に勝つのは難しい。というよりも、はっきり言ってしまえば無理だ。
ここまでなんとかやれてきたのはひとえに小回りの利く柔軟な身体能力と機転、それから運の良さがあってだ。純粋な戦闘能力はそれほど高くはない。
知りたい気持ちと、明確な死。
ヒイラギだとて何が大事なのかは理解している。ここで衝動のまま行動したところで、呆気なく「死」に阻まれ今後の人生で得られたかもしれない未知をみすみす逃してしまう事くらい。
「一人じゃあ、無理なんだよね」
潮時だと悟る。
小さなダンジョンや森ならまだなんとかなる。だがそこで得られる未知なんてものではとうてい満足できないほどに、今のヒイラギの欲求は高まりすぎている。それに見合うだけのものは、やはり他人の力を借りて打開していくことでしか得られないのだろう。
これ以上は、手が届かない。
「けど、それでも欲しい」
諦める気はない。
常に貪欲であるべし、でなければ生きていくことの難しい世の中だ。大きな夢は未来へ繋がる。
ヒイラギはいつかこの山の主と相対できるほどの力を、仲間を得ることを決意してその場をあとにした。
それからしばらくは森や洞窟に行くのではなく、今まで避けていた他人とのコミュニケーションをはかることに専念した。
仲間を見つけるにはどうしたって必要なことで、自由気ままにやってきた彼にとってはひどく難題のように思えた。
いきなり話しかけることでさえ、まずはどういう言葉をかけるべきなのか。分からない。何せ下層では他人に声をかけるというのは脅迫、強要、因縁をつける時などであり、挨拶なんてせいぜいそれらから逃げる際に口にするくらいだ。ヒイラギは世間一般的な挨拶を知らないで生きてきた。
そんな状況からなので、まず観察に徹することにした。
人が多くいる場所、適当に露店の側でも歩けば善良な市民は馴染みの商人に「おはよう」「こんにちは」「良い天気ですね」なんて声をかけるところから話が始まる。
なるほど、とある程度の文句を覚えた次は情報収集だ。挨拶や軽快な会話が上手くいくかどうかは特に気にしない。彼は別に人見知りというわけではない。ただ慣れていないだけなのだ。そしてヒイラギは慣れへの順応力が高いと自負している。根拠があるわけでもないが、コミュニケーションは大丈夫だろうと変な自信を持って彼は酒場に赴いた。
情報が集まるといわれる酒場。酔った勢いで口を滑らすこともあったり旅人が寄るちょうどいい羽休めであったり、とにもかくにも酒場では下手な情報屋より雑多な情報が得られる可能性がある。
期待しつつ初めて入ったが、充満する酒の匂いと騒がしい声に、頭の中がぐわんぐわんと揺れる感覚が耐えられず半刻と保たず外に出てしまう結果に終わる。
(無理、むり!)
思わず何の状態異常だと叫んでしまいそうだった。
酒場は圧倒的に自分に向いていない。魔物がいるのかと疑ってしまったし、もし仮に紛れていてもあんな中では太刀打ちもできないだろうと消沈するにまで至った。そのくらい強烈な場所だ。
情報も人も難しい。
なんだかかつてない疲労に、冒険で戦闘するよりも大変かもしれないと思い始めてしまう。そんな時だった。
ようやく初めてまともに話しかけられたのは、武具を扱う古く小さな店の主人。ヒイラギはこれまでそうした店に世話になることはなく、色々な種類の武器が並ぶ様に目を輝かせた。気付いた店主が近づいてきたのであれやこれやと説明を求めているうちに、自分の現状を相談してみることにしたのだ。
フォルトゥナ騎士団。
その名を耳にしたことは幾度かあった。けれど当時はさほど興味がなく、一人でやっていけると高をくくっていたので詳しいことは記憶にない。店主から話を聞くに、今の自分にぴったりではないか! ヒイラギは途端に道が開けたように視界がクリアになって、すぐにでも彼らの一員となりたくなった。けれど肝心の騎士団は方々を移動し続けその明確な所在は分からないらしい。再び視界が混濁。どうにもこうにも上手くは進まない。
分からないからといって諦めるのは性分ではない。希望は常に心に。どんな道にだって思いもかけない廻り合わせは存在する。
前向きに考えて、彼らを見つける為にもヒイラギは少しずつ自己を高めていった。
そうして半年。転機は訪れる。立ち寄った小さな農村で、隣町に騎士団がやって来たという噂が飛び込んできた。またとない好機に思わず勢いよく立ち上がり椅子を倒してしまう。穏やかな村でしばしの休憩をと考えていたが、予定は変更だ。ヒイラギは急いで隣町に走った。
テントがいくつも並ぶ。小さな町だから、宿泊施設には入りきらなかったのだろうか。この大人数にもかかわらずそれで無理に入ったり騒がしくしたりしていないところに、統制がとれているだろう事が窺える。
じいっとその群れを眺めて、ふと一人の男が目に入る。相手もこちらに気がついたようで、ゆっくりながら大股で近付いてくる。
遠目からでもはっきり判別できそうな偉丈夫だ。背丈も並よりずいぶん大きいが、それ以上に目を惹くのはなんといっても無駄のない筋肉だろう。ヒイラギは自身にはないその逞しさに、数瞬見惚れた。男はかくあるべき、そんな強い意思さえ感じられる見事な体は格別である。
ただ、見た目から得られる印象からしてその人物は豪傑そうで積極的な性格に思える。ヒイラギが苦手とするタイプかもしれない。自分から行動するのはそこそこ慣れてきたが、ヒイラギはまだ相手からアクションされることに抵抗がある。しかしそうは言っても目の前の人物はお目当ての騎士団の一員なのだからなんとか話さなければいけない。
意を決して、偉丈夫を見上げる。
「ここがフォルトゥナ騎士団?」
「おお、そうだが。お前さんはもしやと思うが入団希望者か」
「うん。冒険する心意気があるなら入れるって聞いて」
「ふむ」
ずい、と顔を覗き込まれる。それから腕や体、足と視線が動く。一睨みだけで魔物も威圧してしまいそうな男に全身を観察されるのはどうにも居心地が悪い。
入団の条件は厳しくないと聞いた。冒険心があり死をおそれないこと、その二つさえあればいいのだと。
男が入団を審査する者だというのなら、今ヒイラギはつぶさにその合否を見定められているのだろうか。いつになく鼓動が早まる。魔物と相対した時以上かもしれない。
「そんな緊張するな。まあちいとばかし筋肉が物足りないのが俺としては残念だが……お前さん、やる気はあるんだろうな?」
「当たり前なのよ」
「おう、よしよし! じゃあ一発俺を殴ってみろ!」
「……変態?」
「なんてこと言うんだ。試験だよ試験。言葉だけじゃねえ、お前の本気ってやつを力でみせてみろ」
そういうことか。ヒイラギは分かりやすいその内容に肩の力が抜ける。無駄にあれこれ聞かれるよりよほど楽だ。
殴れとは言われたがヒイラギの戦闘スタイルは拳より足を使う。こういう場合、得意な方でいくのが良いだろう。
どこを狙うか。魔物と対峙した時のように意識を切り替えて判断する。
(うーん、この筋肉だとどこ狙ってもダメっぽいけど)
意気込みを試すものだから威力は問われないのかもしれない。しかし戦う者として実力はみせたいのが心情だ。ヒイラギは五、六歩後退し僅かに勢いをつけて地を蹴る。
男に向かって体を回転、その遠心力のまま右足で横腹に打ちつける。
「……ほう」
防御する素振りすら見せず、男はヒイラギの回し蹴りの威力を鍛え上げた筋肉で吸収。頑強すぎる。腹に力を入れていたようにも見えなかったというのに、彼は全く微動だにしなかった。期待していたわけではないがこうも容易く受け止められてしまったことに、若干の不満がもれる。
「むう、筋肉おばけ」
「褒め言葉だな! お前さんももう少し体重を増やせ。せっかくの技も軽いんじゃあもったいないぞ」
「でも身軽でいられるのなんて若いうちだけだと思うのよ。……まあ確かに、威力に欠けるとは思っていたけど」
重量級の魔物を相手に出来ない理由の一つだ。これまでの冒険は一人でやってきていたから、いざという時の為に逃げ足が必要だったのだ。パワーとスピード、両立できることが最善だろうが今のヒイラギでは中途半端にしかならないに違いない。仕方ないとは思いつつもこうも目の前の人物の肉体美を見せ付けられてしまえば、やはり鍛えておくに越したことはないのだろうと考えを改めざるをえない。
唇を尖らせてうなるヒイラギに、男は豪快に笑って頭を撫でてくる。
「だが筋はいい。うちで経験を積めばもっと強くなるだろうよ」
「んん? あれ、入っていいの?」
「冒険、好きだろ?」
「うん。だからここに来たんだけど」
「なら歓迎するぜ」
頭を解放した男は簡単に言って、背中を勢いよく叩く。
「今日からお前さんもフォルトゥナ騎士団の一員だ。よろしくな」
こうしてヒイラギ・イーレクスは新たな場所で、新たな未知を求めることになった。