去り際の言葉
目を覚ますと、見慣れた高専の医務室の天井が広がっていた。
(私、確かあのとき呪霊にやられて死にかけたはず……)
しかし、お腹に手をやると、皮膚は滑らかで傷が塞がっていた。
体を起こそうと上半身を傾けると、部屋の奥にいた硝子とバチッと目が合った。
「おはよう唯」
「おはよう……、硝子が治してくれたん?」
「そうだよ。ひっどい傷で担ぎ込まれた時は、さすがに焦ったけど。まだ貧血気味だろうから無理に起き上がらないでよ」
淡々と語る硝子は静かにこちらへ歩み寄ると、そのまま私の体をぎゅっと抱きしめた。
普段のクールな彼女からは考えられない行動に、私の心臓が跳ね上がり、声が派手にひっくり返る。
「しょ、硝子!?どしたん、なんかあった?」
「……あんまり心配かけさせないでよね」
耳元で聞こえた声はどこか掠れていて、彼女の腕が微かに震えていることに気づく。あぁ、きっとすごく心配してくれてたんだ。私にとって硝子はとても大切な存在だけど、硝子も同じように思ってくれてたんだと、胸がギュッと締め付けられた。
私は大好きな友達の背中にそっと手を回し、優しくさすった。
「ごめんね、心配かけて。もう無茶はせんから」
「……元気になったら、タバコ奢って」
「未成年はダメやからね、ほんとは」
離れた硝子の顔を覗き込むと、いつもの少し意地悪で愛おしい笑顔が戻っていた。私もつられてクスッと笑う。
「ってか、私どんくらい寝とった?2時間くらい?」
「丸二日」
「え、まじ!?」
「そりゃあそうだよ、お腹にぽっかり穴開けられてんだもん」
「そっか……あ、そう言えば五条くんは校内におる?迷惑かけたし謝りたくて」
「別に謝る必要はないと思うけど。まあ、あっちも目覚ましたら連絡寄越せってうるさかったから、さっきメールしといたしもう来るはず。じゃ、私行くね」
硝子はヒラヒラと手を振って、医務室を後にした。
一人になると、私はもう一度お腹の傷を確認するために服の裾を捲り上げた。反転術式で塞がっているとはいえ、肉が引きちぎれたような痕が痛々しく残っている。
(これは……残るなぁ。お腹が出るような服とか、水着を着るのは難しそう)
けれど、これはあの場で無茶をした自分への戒めだ。そう無理やり自分を納得させ、服を元に戻した。
ガラッ――
静寂を破って重いドアが開く。
「……起きたか」
「あ、五条くん……」
部屋に入ってきた五条くんは、ベッドの脇まで歩いてくる。気まずいような、苛立っているような、複雑な表情で私を見下ろしていた。
「……気分は」
「うーん、貧血で、ちょっと頭がふわふわするくらい。でも、もう痛くないよ」
なるべく元気に振る舞おうとポンポンとお腹を叩いてみせた。けれど、五条くんの表情は硬いままだった。
五条くんは近くの椅子にどかっと腰を下ろすと、長い脚と腕を組み、不機嫌さを隠そうともせずに私を射抜いた。
「……お前、バカなの?」
低い声が、静かな室内に落ちる。
「あの状況で俺を庇うとか、意味分かんねぇ。俺には無下限があって攻撃が当たらないことなんて知ってんだろ。無駄に大怪我して、……ホント、自己満足もいい加減にしろよ」
畳みかけるような矢継ぎ早の言葉。
刺さるような視線に胸が痛む。やっぱり、怒らせてしまった。もう足手まといにはならないって決めていたのに、余計なことをして、彼の足を引っ張ってしまったんだ。
「……ごめん」
ギュッと布団を握りしめ、視線を落とす。
「分かっとったはずなんに、身体が勝手に動いとって……。五条くんを、守らんなんって……」
静まり返る医務室。
自分の愚かさに消えてしまいたくなっていると、頭上から大きなため息が聞こえた。
「……ハァー……」
ガシガシと乱暴に頭を掻く音が聞こえる。
恐る恐る顔を上げると、五条くんは片手で顔全体を覆いながら、天を仰いでいた。
「……お前、なんなんだよほんと」
「何って、中島唯やけど……」
「そうじゃねぇよ!」
被せて叫んだ五条くんは、顔を覆っていた手を離すと、どこか参ったような顔でぽつりと呟いた。
「お前といると調子狂うわ」
「……え?」
「……とにかく!今後は勝手な行動すんな、分かったな」
「はい……」
吐き捨てるようにそう言うと、彼は勢いよく立ち上がり、出口に向かって歩き出した。
大きな声を出されて体を縮こませたけれど、去り際にちらりと見えた彼の横顔は、先ほどのような怒りの色ではなかったように見えた。
そして、ドアを閉める直前――。
「……ありがとな」
ボソリと落ちた、あまりにも小さな声。
カチャン、とドアが閉まる音だけが響く。
私を残して去っていった彼のその言葉が、一体何に対する感謝なのか――私には、分からなかった。