傘とプリン
久しぶりのオフの日。 普段はめったに脱ぐことのない高専の制服を脱ぎ捨て、お気に入りの私服に身を包む。今日は自分以外の3人がまとめて任務に出かけていたため、校内は驚くほど静かだった。
せっかくだからと街へ繰り出し、授業で使う文房具や気になっていた小物を買い込んで、充実した時間を過ごす。しかし、高専の最寄り駅に降り立った瞬間、思わず足が止まった。
「うっわ、最悪……」
ぽつり、と頬を打った冷たい感触は、瞬く間に土砂降りの雨へと変わった。 天気予報では曇りのち雨と言っていたから、なんとか帰宅するまでは持ちこたえて欲しかったのだが、願いは呆気なく裏切られたらしい。
バッグの中には念のため折り畳み傘を入れてある。けれど、この激しい雨量だ。小さな傘1本では、足元から盛大に濡れてしまうのは目に見えている。
(仕方ない、少し勢いが弱まるまで待つか……)
観念した私は駅のホームにあるベンチに腰を下ろし、iPodを取り出してイヤホンを耳に押し込んだ。流れる音楽に身をゆだね、流れる雨をぼんやりと眺める。
──どのくらい時間が経っただろうか。雨音と音楽の重なりが心地よくて、いつの間にかまぶたが重くなっていた。
「──唯」
遠くで、聞き覚えのある低い声がする。
「………」
「おい、起きろって」
「……ん……あれ、悟……? 何でここに……」
そっと目を開けると、目の前には呆れたような、けれどどこか安心したような顔の悟が立っていた。 今日は奥地での任務だと聞いていたから、補助監督の車で出かけたはずだ。それに、一緒に行ったはずの硝子や傑の姿も見当たらない。
「それはこっちの台詞だっての、こんなとこで寝るなよ」
「ごめん、駅ついたら急に雨降ってきて、弱まるまで待っとろう思っとったら……いつの間にか寝とったみたいやわ。悟は? 硝子たちと任務やったはずやん」
目をこすりながら尋ねると、悟は頭の後ろで手を組みながら鼻を鳴らした。
「俺は任務帰り。あいつらは車で送って貰って、俺は寄りたいとこあったから電車で帰ってきた」
「なるほど……」
「もう雨もだいぶ弱まったから、早く帰るぞ」
「あ、うん!」
背を向けて歩き出す悟の背中を、慌てて追いかける。 確かに雨足は弱まっていたけれど、高専までの距離を傘なしで歩けば確実に濡れてしまう。私は急いでカバンから折り畳み傘を取り出し、バッと開いた。
しかし、前を行く悟は傘を取り出す気配もなく、そのまま雨の中へ踏み出そうとしている。
「……ちょっと、悟!」
私は慌てて駆け寄り、後ろから背伸びをして彼の頭上に傘を差し出した。
「……何してんの?」
ピタリと足を止めた悟が、首だけをこちらに向けて怪訝そうに眉をひそめる。
「いや、このまま外でたら悟濡れるやん。ちょい狭いけど、一緒に入ろ」
「いや、俺は──」
何かを言いかけた悟だったが、途中で口をつぐんだ。そして数秒ほど何かを思案するように目を泳がせると、私からスッと傘を取り上げた。
「……俺が持つ。お前じゃ身長小さいし、腕疲れるだろ」
「あ、確かに……ごめんやけどお願いしてもいい?」
「おう。じゃ、行くぞ」
そう言って、彼は私との距離を少しだけ詰めた。
2人並んで歩く、高専への帰り道。 折り畳み傘の小さな布地を叩く雨音が、ザーッと静かに響いている。肩が触れ合いそうなほど近い距離感と、雨の日の独特な匂い。この小さくて密閉された空間が、なんだか無性に心地よかった。
ふと、悟が腕にぶら下げている紙袋が視界に入る。
「それ、何の袋?」
「ん、あぁこれはプリン。なんか期間限定で売ってる有名なやつらしくって、唯にお土産。……と、俺が食いたかったから買ったの!」
語尾を少し強めて、照れ隠しのように早口で捲し立てる悟。 自分のために買ってきてくれたんだという事実がじんわりと胸に広がり、素直な嬉しさが込み上げてくる。 ……けれど、同時に笑いがこみ上げてきた。
「……何笑ってんの」
「いやぁ、実は私も、今日プリン買ってきてん。みんなで食べようと思って」
「まじかよ、被ってんじゃん」
「ね。以心伝心しとるね」
顔を見合わせると、どちらからともなく笑いがこぼれた。
高専に着き、扉を開ける。 教室には、すでに帰宅していた硝子と傑が椅子に腰掛けて寛いでいた。
「おかえりー。五条も一緒だったんだ」
「うん、駅でちょうど会ってん」
「おや、悟、左肩がびしょ濡れじゃないか。術式使──」
「余計なこと言わなくていいんだよ!」
言いかけた傑の言葉を遮るように、悟は彼の肩をガシッと掴むと、半ば強引に立たせた。そのまま2人で何やら言い合いながら教室を去っていく。呆気にとられる私を置いて去っていく背中は、相変わらず仲が良いのか悪いのかわからない。
「てか、悟の肩びしょ濡れにさせてしまったんかー……申し訳ないことしたなぁ」
「何、2人して相合傘でもして帰ってきたの?」
「相合傘……なのはそうなんやけど。悟が傘なかったから、私の折り畳み傘に一緒に入って帰ってきてん。そんなに濡れとったなら、途中のコンビニで傘もう1本買えばよかったわ」
ぽつりと呟いた私に、硝子はふっと目を細めた。
「……五条がそれで良かったんだから、気にしなくていいでしょ」
その時の硝子の顔が、どこか意味深で悪戯っぽい笑みを浮かべていた気がしたけれど。私はそれ以上深く考えず、買ってきたプリンを机の上に並べ始めた。