ピアス
緊張で胸が破裂しそうだった。 それでも、自分でやると決めたのだから、いまさら逃げ出すわけにはいかない。
「唯、準備はいいかい?」
「うん、大丈夫。全部、傑に任せるから」
覚悟を決めて頷くと、傑がそっと私の耳たぶに触れた。その指先の手つきがあまりに丁寧で、思わず息を呑む。――まさに、その時だった。
「なぁー傑ー。この間言ってた漫画……」
ガチャリと無遠慮にドアが開き、視線を向けると、そこに立っていた悟が呆然と立ち尽くしていた。 そして、みるみるうちにその白い顔が真っ赤に染まってゆく。
遅れて振り向いた傑が、いつも通りの落ち着いた声で「どうしたんだい、悟」と声をかけた。
「お、お前ら……っ! そんな関係だったのかよ!」
「……そんな関係?」
「その……ふたりで部屋に閉じこもって、キ、キス……しようとしてんじゃねーかよ!」
「キス!?」
突拍子もない言葉に、素で声が裏返った。何をどうどう解釈したら、私と傑がそんな雰囲気に見えるというのか。 対照的に、傑はすぐに悟の脳内を理解したらしい。腹を抱えて大きな声をあげて笑いながら、机の上を指さした。
「違うよ、悟。これを見てごらん」
「……あ? 何だこれ」
「ピアッサー。耳に穴を開けるための道具だよ。唯に頼まれて、今から開けるところだったんだ」
とんだ大勘違いをしていたことに気づいた悟は、先ほどとはまったく別の意味で顔を真っ赤にした。 私もようやく、悟が混乱した理由を理解する。 向かい合って座り、傑が私の耳元に顔を近づけて手を添えていたのだ。確かに、扉を開けた角度によっては、今にも唇を重ねようとしている男女に見えなくも……ない、かもしれない。
「……なんだよ、紛らわしい真似すんじゃねぇよ」
「勘違いしたのは君のほうだろう? 私たちは何もやましいことなんてしていないさ」
「そうやよー。傑とキスなんて、絶対に有り得んから」
「……ふん」
バツの悪そうな顔をした悟は、結局そのまま部屋に上がり込み、どかっと傑の隣に腰掛けた。
「ところで、なんで急にピアスなんて開ける気になったんだよ」
「前からちょっと興味あってん。今日、傑と任務に行った帰りに寄った雑貨屋で可愛いピアス見つけてさ。それで傑に頼んで開けてもらうことにしたんよ」
「ふーん……」
悟はテーブルの上のピアッサーを拾い上げ、興味深そうにまじまじと見つめている。 そろそろ耳たぶの麻痺が切れてしまいそうだったので、早く開けてほしいと傑に促そうとした――その時だった。
「……俺がやる」
唐突に、悟がそう名乗り出た。
「……え、悟が?」
「んだよ、文句あんの?」
「いや、だって悟、ピアス開いてないやん」
ファーストピアスだからこそ、扱い慣れている傑にお願いしたのだ。傑も当然断るだろうと思っていたのだが。
「じゃあ、私が先に右耳を開けるから、悟は左耳を担当するかい?」
「……えっ、傑、大丈夫なん?」
「耳たぶだしね。位置を決めてまっすぐ押し込めば、悟でも失敗しないよ」
意外にも傑はあっさりと悟の提案を受け入れた。 傑がそう言うなら大丈夫か、と少し不安を抱えつつも、彼らに任せることにした。
「じゃあ、いくよ」
「……うん」
右の耳たぶに冷たい機械の感触が当たる。ぎゅっと目を瞑った瞬間、バチンと室内を引き裂くような大きな音が響き、遅れてジンジンとした熱い痛みが走った。
「はい、綺麗に開いたよ」
傑から小さな手鏡を受け取り、右耳を覗き込む。そこには、小さなクリアストーンがちょこんと収まっていた。角度を変えるたびに部屋の光を反射して、キラキラと輝いている。
「ありがとう傑! 思っとったより痛くなかった」
「そうだね。感覚が戻ったらもう少し痛むかもしれないけれど。……じゃあ、左耳も開けようか。はい、悟」
「お、おう」
ピアッサーを押し付けられた悟は、心なしか緊張した面持ちだ。集中するためか、愛用のサングラスを外してテーブルに置くと、私の左耳へと顔を近づけてくる。
至近距離で見る、素顔の悟。 吸い込まれそうな青い瞳と、整いすぎた顔立ちに、なぜか急に心拍数が跳ね上がった。傑のときは何ともなかったのに。 その動揺が伝わってしまったのか、視線がぶつかった瞬間、悟は気まずそうにバッと目を逸らした。
「……じゃあ、開けるからな」
「う、うん。一思いにお願い」
再び瞼を閉じ、穴が開く瞬間を待つ。 けれど、傑の時のようにすぐには音が鳴らない。静寂の中で、悟の吐息だけが耳元に聞こえる。
「悟。見すぎだよ」
「……うるせぇ」
呆れたような傑の声と、少し掠れた悟の声。 何の話だろうと不思議に思い、目を開けようとした瞬間――バチンと勢いよくピアスが貫通した。
「……ほらよ」
乱暴に差し出された鏡を覗くと、左耳にも右と同じ水色の小さな石が光っていた。
「わ、すごい……! ありがとう悟、めっちゃ可愛い!」
「2ヶ月ほどは固定のためにそのままにしておくんだよ。その後なら、今日買ったピアスに付け替えても大丈夫だからね」
「うん! はぁー、なんか嬉しくて何度も鏡見てしまうなぁ」
「……ってか、ピアスなんて普通病院で開けるもんじゃねぇの?」
呆れたように言いながらも、悟の視線は私の左耳に固定されている。
「んー、病院でも開けられるけどさ。折角開けるなら、自分が信頼してる人にお願いしたかってん。それに……ピアスを開けてくれた人のことって、ずっと覚えとるって言うやん? そういう意味では、悟にも開けてもらえてよかったかも」
そう言ってふたりを見上げて笑うと、傑は目を細め、悟はどこか照くさそうに明後日の方向を向いた。
自分が大切に思っている人たちにつけてもらった、小さな穴。 もし遠く離れる日が来たとしても、この耳たぶに触れれば、いつでもふたりを傍に感じられる気がした。
(――3つ目のピアスは、今の穴が安定してから硝子に開けてもらおっと)