電話
冬の深まりを告げる澄んだ空気が、自室の窓ガラス越しにも伝わってくるようだった。 金沢にいた頃なら、そろそろ積雪の心配をし始める季節。東京の冬は、果たして雪が降るのだろうか——そんなとり止めのない思考に、ぼんやりと身を委ねていた。
「……あと、1分」
時計の針が指すのは23時59分。 12月7日を迎えるまで、残された時間はわずかだった。
12月7日は、悟の誕生日。 彼は今日から傑と共に数日間の出張に出ており、高専にはいない。硝子の時のように顔を合わせて「おめでとう」を言うことも、賑やかにパーティーを開くことも叶わない。だから私は、メール画面を開き、0時ぴったりになるのをじっと待っていたのだった。
(まあ、傑と2人で深夜のノリを楽しんでる最中かもしれないけれど)
「あ、変わった」
デジタル時計の数字が切り替わると同時に、送信ボタンをタップした。
確認するのは明日の朝になるかもしれない。けれど、日付が変わった瞬間に届くお祝いは、やっぱり少し特別なはずだ。私自身がそうであるように、彼もきっと喜んでくれると信じて。
メッセージの送信完了を見届け、パジャマの袖を引っ張りながら部屋の明かりを消そうとした、その時だった。
ヴーッ、ヴーッ——
ベッドの上に転がした携帯電話が、低い振動音を立てた。 短文の受信音ではない。長々と空間を揺らすそれは、間違いなく着信を知らせる音だった。
(一体こんな深夜に誰だろう……)
首をかしげながら端末を拾い上げ、液晶画面を覗き込む。 そこに映っていたのは、思いがけない名前だった。
——五条悟。
送信したばかりの相手からの着信に、思わず「えっ」と声が漏れた。 何か緊急のトラブルでもあったのだろうか。それとも、私が送った文章に変なところでもあったのだろうか。早まる鼓動を悟られぬよう小さな息を吐き、慌てて通話ボタンを押した。
「も、もしもし」
「悪い遅くに」
「ううん。どしたん急に」
「いや、何となくかけた」
「そっか。傑は?」
「もう寝てる。隣で熟睡」
「寝とるんね。2人で出張やから、絶対夜更かししとると思った」
「いや、普通に疲れた。範囲が無駄に広い上に、建物の損壊は極力抑えろとか言われてさ。余計な気遣わなきゃいけねーし」
「あはは、悟のいちばん苦手なやつやん」
「おい、どういう意味だよ」
受話器の向こうで、悟が心外そうに声を漏らす。 電話越しに聴く彼の声は普段より少し低く、鼓膜を心地よく揺らした。任務の合間の連絡とは違う、あてのない雑談。高専生という特殊な立場を忘れて、まるでごく普通の高校生に戻ったような錯覚に陥る。
「あっ、そうや。悟、誕生日おめでとう。メールも送ったけど、直接言えてよかった」
「……ありがとな。わざわざ0時ちょうどに送ってくるとか、相変わらず律儀だよな」
「0時ぴったりにお祝い来たら、悟だって嬉しいやろ?」
少しからかうような口調で尋ねてみる。どうせ「別に?」なんて生意気な返信が来るのだろうと思っていた。けれど、スピーカーから返ってきたのは、予想を大きく裏切る静かなトーンだった。
「……お前からのだったから、嬉しかったよ」
「……っ」
ストレートすぎる言葉の熱量に、一瞬で思考がフリーズする。 頬へと一気に集まってきた熱をどうにか逃がそうと、空いた方の手でパタパタと顔を扇いだ。
「や、やっぱし? 愛情たっぷり込めて書いた甲斐があったわ〜」
「その割には、たったの2文だったけどな」
「そんな細かいところは気にせんの!」
ケタケタとおどけて笑ってみせると、釣られたように悟も柔らかく笑った。
ふと壁の時計に目をやると、長針はすでに30分の数字を刻んでいる。気づけば話し込んでしまっていたらしい。私は明日も朝から授業があるし、彼もまた任務の続きがあるはずだ。
「そろそろ寝んなんね」
「あぁ、遅くまで付き合ってくれてありがとな」
「全然。私も楽しかったし」
「じゃあ、おやすみ」と言って通話を終了しようとした、その刹那――。
「……今日、最初に聞けた声がお前で良かった」
受話器の向こうで、彼がぽつりと呟いた。
「おやすみ」
そのまま一方的に通話を切られ、画面は暗転した。
いつもと違っていた悟の様子。電話越しという距離感が、彼を少しだけ素直にさせたのだろうか。 そして何より、その言葉に激しく胸を突かれてしまった自分がいる。
冷えたベッドに潜り込んだ後も、跳ね上がった心拍数は一向に静まってくれず、なかなか眠りにつくことができなかった。