悪ふざけ
浮遊感と熱っぽさが、心地よく頭の芯を痺れさせていく。 ろくに回りもしない頭でテーブルの上のグラスを掴むと、私はそのまま一気に残りを喉へと流し込んだ。
事の始まりは1時間前。私の誕生日を祝うため、傑の部屋に集まったのが始まりだった。 皆で賑やかにご飯を食べ、ケーキを囲む。三人からは「教室の足元が寒いと言っていたから」とリラックマのブランケットを贈られた。個別にゆらゆらと揺れる美しいピアスをくれた硝子にも、何度も礼を言った。
そこまでは、いつもの温かい高専の日常だったのだ。 ――硝子が持参した、日本酒や缶チューハイの類をテーブルに並べるまでは。
「未成年だから」といつも通り断ろうとする私に、硝子は悪びれもせず微笑んだ。
「今日くらいいいじゃん。一歳大人になったんだし」
その一言にあっさりと流され、差し出された甘い缶チューハイに口をつけた。 思いのほか飲みやすく、アルコールの感覚すらないままスルスルと喉を滑り落ちていく。そして現在。見事に出来上がった私が完成したというわけだ。
「はい、革命」
「えー! 今それはダメやって!」
「硝子……また私の邪魔をしたね」
「だって揃ってたんだから仕方ないでしょ」
場に残された4枚の8のカードが流され、硝子が鮮やかに上がった。 残された私と傑の一騎打ち。けれど、酔いで正常な思考を失った私に勝算などあるはずもなく、あっけなく返り討ちに遭った。
「じゃあ唯、とりあえずそれ飲み干そっか」
「くっ……ほら、飲んだよ!」
「唯、大丈夫かい?」
「ぜーんぜん平気。傑だってまだ元気そうやじ」
「私は、たまに飲んでいたからね」
「ってかさ……悟が激弱でびっくりなんやけど」
ソファに背をもたせかけ、ぐったりと眠っている男に視線を向ける。 この中で誰よりもお酒に弱かったのは、他ならぬ悟だった。元はと言えば、私が「美味しいから一口飲んでみなよ」とグラスを渡したのが原因だ。ほんの少し口をつけただけでみるみる顔を真っ赤にし、あっという間に沈没してしまった。
普段は最強で、誰にも隙を見せない男がこうして弱っている姿。性格が悪いとは思いつつも、少しだけ胸が躍った。
「おつまみ無くなったから買いに行ってくる。夏油もついてきて」
「え、硝子ー! 私も行くー」
「唯は足元フラフラなんだからお留守番。分かった?」
「……はーい」
2人は並んで部屋を出て行った。 途端に静まり返る室内に、残されたのは私と酔い潰れた悟。急に訪れた静寂に暇を持て余した私は、ちょっとした悪戯心を起こして悟の正面に腰を下ろした。
まずは、彼の顔を覆うサングラスに手をかけ、そっと外す。
「……」
そこに眠っていたのは、息をのむほど長く、白いまつ毛だった。 改めて至近距離で見ると、悔しいくらいに整った顔立ちをしている。すっと通った鼻筋、透き通るような白い肌、そしてどこか艶やかな唇。まるで精巧に作られた人形のようだ。
「……悟ー?」
呼びかけてみても、ピクリとも動かない。どこまでやったら起きるだろうと好奇心が持ち上がり、そっとその白銀の髪に触れ、頭を撫でてみた。けれど反応はない。 ならばと頬をぺちぺちと叩き、柔らかい肉をつまんでみるが、やはり起きる気配はない。
少し面白くなくなって、私は滑らせた手を彼の耳元へと移動させた。 耳なら誰だってくすぐったいはずだ。少しは反応するだろうと、指先でその輪郭をなぞるように優しく触れる。
「……んっ」
――その瞬間、彼の口から甘い吐息が漏れた。
いつもなら絶対に聞けないような色っぽい声に、私の心拍数が跳ね上がる。 もっとその反応が見たくて、今度は指先で耳朶を軽く摘まんでみた。すると、彼の身体がピクッと小さく跳ねる。なんだろう、この可愛くて、もっと虐めたくなるような感覚は。
好奇心に抗えず、さらに手を伸ばそうとした、その時。
「……っあーー、もう限界!!」
「……えっ」
視界がぐらりと反転した。 目の前には、至近距離で私を見下ろす悟の瞳。背中には、冷たい床の感触。
(私……押し倒されとる……?)
「さ、悟……起きとったん……?」
「……人が大人しくしてりゃ次から次へと……。お前が先に仕掛けたんだから、この後何されても文句ないよな?」
「えっ、ちょっ――」
低く掠れた声とともに、彼の顔が急速に近づいてくる。 調子に乗りすぎたと後悔しても、もう遅い。逃げ場を失った私は、ギュッと強く目を瞑った。
「……ただいまー。って、五条、あんた何してんの」
「……悟。それはさすがに良くないな」
「…………あぁぁあああ!」
次の瞬間、耳を刺すような砕裂音が響き渡った。 目を開けると、部屋の窓ガラスにぽっかりと大きな穴が空き、冷たい夜風がヒューヒューと吹き込んできている。パニックになった悟が、無意識に術式をぶ放して窓を破壊したらしい。
私は咄嗟に悟の身体を押しのけて立ち上がり、救世主の元へ駆け寄った。
「硝子ーーー! 悟にちょっかいかけ過ぎたら怒られたーー!」
「……五条、お前最低」
「ち、ちげーよ! 俺何もしてねえし!」
「ところで悟。ここは私の部屋なんだが……どうしてくれるんだい?」
二人からの冷ややかな視線と責め立てる声に、完全に身の置き所を失った悟は、気まずそうに顔を背けるとそのまま自分の部屋へと逃げ帰っていった。
残された私たちは、夜風が吹きつける部屋で窓をどう塞ぐか頭を抱え、結局そのまま朝まで修復作業に追われるハメになった。
翌朝。アルコールが抜けて昨夜の記憶がほとんど吹っ飛んでいた私は、いつも通りの調子で悟に声をかけた。けれど彼は、どこか気まずそうに視線を泳がせるばかり。
ちなみに傑の部屋はあの日以来、しばらくの間、責任を取らされた悟の臨時の自室となっていた。