モヤモヤ
休日に硝子と久しぶりに出かけた渋谷の街は、いつもより少し賑やかに見えた。高専での忙しない日々を忘れるように、カフェでお喋りをしたりウィンドウショッピングを楽しんだり。普段は悟と傑を含めた4人で過ごすことが多いけれど、たまにはこうして女子だけで羽を伸ばす時間も悪くない。
「あ、見てみて硝子! このマスコット可愛くない? しかもちょうど4体あるし、2人にもお土産で買ってこっかなー」
雑貨屋の棚の上にちょこんと乗っていた、5センチほどの小さなマスコット。犬と猫がそれぞれ2種類ずつ並んでいて、4人でお揃いにするにはうってつけだった。
「へー、いいじゃん。誰にどれ渡すの?」
「まず硝子は黒猫。気品が高いイメージやし、あとはツンデレやから」
「ツンデレはよく分かんないけど」
「それは私だけが知っとるからいいげん。ほんで、悟は白猫。見た目それっぽいのと、自由奔放なところが似とるかなぁ。傑は大っきいからこっちの黒い犬で、私は犬好きやから柴犬」
「夏油の大型犬は、完全見た目じゃん」
「でも、傑って好きな人には犬みたいに忠実に懐きそうやん?」
「……たしかに」
そんな他愛もないやり取りをして、4つの動物マスコットを買い求めた。黒猫はその場で硝子の手に渡し、残りのふたつは高専に帰ってから渡すことにする。
買い物を存分に満喫した私たちは、電車で帰ろうと駅へ向かった。乗車前に硝子がトイレへ寄ったため、改札の近くで1人待っていると、人混みの向こうに見覚えのある姿が目に入る。
「あれ、悟……?」
人一倍高い身長と鮮やかな白い髪。遠目からでも一目で彼だと分かった。トレードマークのサングラスは、今日は着けていないらしい。
「一緒に帰ろう」と声をかけにいこうと足を踏み出しかけたが、悟のすぐ隣にいる人影に気づき、私は咄嗟に足を止めた。
「お待たせ。何見てるの?」
「……何でもない。はよ帰ろ」
「おっと」
戻ってきた硝子の腕を強めに掴み、そそくさとその場を後にした。
背後で見た、悟と綺麗な女性のツーショット。腕を密着させ、あまりにも親密そうに寄り添うあの光景を、一刻も早く頭から消し去りたくて必死だった。
高専に戻り食堂へ向かうと、傑が1人で夕飯を食べようとしているところだった。私と硝子も買ってきたお弁当を温め、傑の向かいの席に腰を下ろす。
「おかえり。目ぼしいものは見つかったかい?」
「うん、色々買えたよー。あ、傑にもお土産あげる」
カバンに入れていた大型犬のマスコットを机に置くと、傑は目を丸くしてパチパチと瞬きをした。
「これ、私に?」
「そ! 可愛いなーと思って。4種類あったからお揃いで買ってきてん!」
「私は黒猫貰ったよ」
私と硝子も自分のマスコットをテーブルに並べた。並べて見ると、やっぱり愛着が湧いてくる。
「ありがとう。部屋に飾っておくよ」
「そう言えば、五条は?」
「悟は急遽任務でね。都内の方に出かけていったけれど、もうすぐ帰ってくるんじゃないかな」
「悟」という名前を耳にした瞬間、ご飯を食べていた手がぴたりと止まった。脳裏に、先ほど渋谷の駅で見かけた光景が嫌でも蘇ってくる。 あの女性は、悟の腕にぴっちりと自分の腕を絡めていた。そんなの、特別な関係じゃなきゃ絶対にしない。……でも、もし彼女ができたのなら、どうして私たちに教えてくれなかったんだろう。いや、言わないことよりも、そもそも2人であんな風に——。
ぐるぐると渦巻く思考を断ち切るように、今一番顔を合わせたくない声が食堂に響いた。
「ただいまー。お前らも帰ってたんだ」
「おかえり、悟。唯たちもさっき帰ってきたところだよ」
「あー、俺も腹減ったー。飯食お」
悟は当たり前のように傑の隣へ腰掛け、コンビニの弁当を広げ始める。気まずさに固まっていると、悟が私の目の前にあるオムライスに目を留め、「うまそー、一口くれよ」とスプーンを伸ばしてきた。
「な、なんかお腹急に膨れちゃったし、これ全部あげるわ! 要らなかったら捨てていいし! じゃ!」
反射的に立ち上がり、オムライスを悟の前に押し付けると、荷物をひったくるように抱えて食堂を飛び出した。早く自分の部屋へ逃げ込もうと廊下を早足で歩いていると、背後から荒々しい足音が追いかけてくる。
「おい、唯! 何で避けるんだよ!」
「避けてない! もう私、部屋戻るし!」
「じゃあこっち見て話せよ!」
「疲れたから無理!」
「待てって!」
足の長い悟に追いつかれるのは時間の問題だった。ぐっと強い力で腕を掴まれる。頑なに後ろを振り返ろうとしない私の前に悟が回り込み、強引に顔を覗き込んできた。
「……なんつー顔してんの」
「……っ」
今の自分がどんな顔をしているかくらい、容易に想像がついた。眉間にシワを寄せ、唇を噛み締め、目は充血している。1番見られたくなかった無様で酷い顔。 溢れ出しそうな涙を必死で堪えていると、廊下の奥から足音が近づいてくるのが聞こえた。悟は舌打ちを1つ漏らすと、目の前にあった空き部屋のドアを開け、私の腕を引いて中へと入った
使われていない寮の一室。ベッドと机しか置かれていない静かな空間で、悟が私に向き直る。
「それで、何で避けたのか言ってみ。怒んねぇから」
「……言いたくない」
「何で?」
「……自分の気持ちの問題やから」
「……ったく。理由分からずに避けられる俺の気持ちにもなってみろよ。可哀想だと思わねぇ?」
「……それも、一理ある」
「じゃあ教えろって。ちゃんと聞くし」
悟は少し屈んで、私の目線に合わせるように覗き込んでくる。その声音があまりにも優しくて、もう誤魔化しきれなくなった私は、小さな声で打ち明けた。
「……今日、渋谷駅で悟を見かけてん」
「そう言えば、お前ら2人で渋谷に行くって言ってたな」
「そう。そんで、声かけようと思ったら……悟の横に女の人がおって。その、腕絡めてたから、妙に親密そうで……」
「……あー、確かに絡まれてたわ」
「その光景見てから、何かモヤモヤして……悟と話したくなくなって避けた」
「……え? それにモヤモヤしたってこと?」
「……はい、そうです」
言い切った時には、もう悟の顔を見ることができず視線を床に落としていた。呆れられるか、ウザがられるか。返ってくる反応が怖かった。 だが、静まり返った室内で聞こえてきたのは、漏れ出るような小さな笑い声だった。顔を上げると、悟が片手で目元を覆いながら可笑しそうに肩を揺らしている。
「……なんで笑うん?」
「いやー、そこにモヤモヤすんのかと思って」
「……だ、だって、悟に彼女おるなんて聞いとらんし! 友達なんやから、隠さず教えてくれてもよかったやん!」
「あ、そっち?」
「そっちとは?」
「………。まあいいや。今日絡んできてたのは、男な」
「……ん?」
予想外の言葉に、思考が完全にフリーズする。確かにスラッとしていて、髪が長くて綺麗だったけれど——。
「今日サングラス忘れたんだけどさ、そういう時っていっつも女装してる男にナンパされんだよな。まじで迷惑」
「女装、ですか……」
「そんで、腕絡められてたって言ってるけど、無下限あるから実際には触れられてもいない。はい、これでモヤモヤは無くなったか?」
事情を全て理解した瞬間、勝手に勘違いして1人で暴走していた自分が途端に恥ずかしくなった。それと同時に、胸の奥を塞いでいた重苦しい塊が、すうっと溶けていくような強い安堵感が押し寄せる。 この安堵の理由、そして胸の奥が甘く痛む感情の正体に、私は気づかないふりをした。
「うん……ごめん、勘違いして勝手に避けて」
「あーあ、悟くん傷付いちゃったなー。どうしよっかなー」
わざとらしく意地悪く笑う彼に、私は思い出してポケットから白猫のマスコットを取り出した。
「これ、今日渋谷で買ってきてん。4人でお揃いなんやけど、良かったら貰って」
「これ何のキャラ?」
「何のかは分からんけど、白猫が悟っぽかったのと、一番見た目可愛かったから悟にあげる」
「ふーん。お前は何にしたの?」
「私は柴犬」
「はい」と手のひらに乗せて差し出すと、悟はひょいとそれを奪い取り、代わりに私が渡したはずの白猫を私の手の中に包み込ませた。
「じゃあ、こっちを俺だと思って大事にしといて。気の抜けた表情の柴犬はお前だと思って、俺の部屋に置いとくわ。ありがとな」
「気の抜けた表情は否めんけど……」
手のひらに残された小さな白猫を見つめる。手のひらから伝わるぬくもりに、まるで目の前にいる悟がいつでも寄り添ってくれているような気がして、胸の奥が温かく満たされていった。