夏祭り
季節は夏へと移り変わり、今日は夏の風物詩である花火大会の当日だった。
去年の今頃はまだ互いの距離感も掴めておらず、こうして一緒に夏祭りへ行くことなど想像もしていなかった。けれど今年は、後輩のふたりを含めた6人で会場に足を運んでいる。それも、全員が浴衣姿で。もちろん、これを言い出した張本人は悟だ。
さかのぼること1週間前――。
「はい! この日みんな空いてるよな! 夏といえばのアレの日な!」
「急にどしたん」
「忙しい俺が何とか作った時間なんだから、必ず来いよ」
「まず何行くか言ってないじゃん」
「硝子も分かってんだろ? 夏祭り! 花火大会! 灰原たちも誘って行くから空けとけよ」
「相変わらず急だね」
「あと、全員浴衣な。雰囲気作りが一番重要だから」
そんな強引なやり取りを経て、私たちは熱気に包まれた夏祭り会場にいた。
いざ集まってみると、皆の浴衣姿は驚くほど様になっている。傑はすっきりとした顔立ちに和服がしっくりと馴染んでいるし、硝子はもともとの美しさがより一層際立っていた。
そして一番意外だったのは、悟だ。
洋風な容姿ゆえに浴衣が似合うのか疑問だったのだが、実際に目の当たりにすると、独特の風格と大人の色気が醸し出されていた。不覚にも一瞬見とれてしまったのは、誰にも言えない秘密だ。
「自分、たこ焼き食べたいっす!」
「いいね! 行こいこ!」
賑やかな人波の先頭を灰原くんと七海くんが歩き、続いて私と硝子、その後ろを悟と傑が並んで歩く。私はさっき買ったばかりのいちご飴を口に運び、甘酸っぱい風味と祭りの喧騒を楽しんでいた。
「お、射的あんじゃん。やってこーぜ」
「じゃあ五条さん、勝負しましょう!」
「いいぜ灰原」
「七海も一緒にやろう!」
「いいですよ」
通り沿いに見つけた射的の屋台に吸い寄せられるように、悟、灰原くん、七海くんの3人が身を乗り出した。勝負を始めた彼らを、私と傑、硝子の3人は少し後ろから見守る。
ふと隣に立つ傑の横顔を見上げ、声をかけた。
「ん? どうかしたかい?」
「傑、最近疲れてそうな様子やったから、元気出たかなーと思って」
「すまない、気を使わせてしまって。大丈夫だよ」
「そっか。じゃあ、今日は全部忘れて楽しも!」
バシッとその広い背中を少し強めに叩くと、傑は「力強くなったね」とどこか困ったように笑った。
傑は6月のあの任務以来、どこか深い疲労を抱えているように見えた。何かあったのか尋ねても「何でもない」と受け流されてしまう。だからこそ今日くらいは日頃の重圧を忘れ、心から楽しんでほしいと願っていた。
「それじゃ、1番当てられたやつが勝ちな」
「りょーかいです! 負けませんよー」
「……何でもいいんで始めていいですか」
鉄砲を構えた3人が、それぞれの狙いを定めて撃ち始める。
最初は軽めのお菓子を順調に落としていったものの、次第に欲が出て大きめの景品に狙いを変え始めた。だが、巨大な景品はプラスチックの弾くらいでは到底びくともしない。最終的には3人が一斉に「大当たり」と書かれた一番大きな箱へ弾を打ち込むことになった。
箱は派手に倒れたものの、台の端で引っかかり、ついに地面へ落ちることはなかった。
「くそっ、絶対あの中に重りでも入ってんだろ!」 「お祭りの露店の大半は回収目的なんだから、客が得をしないよう対策されているのは当然さ」
「でもお菓子は沢山取れたやん! 1番多かったのは……七海くんか! すごいじ」
「別に、あれくらいなら誰でも取れます」
「いや、七海はうまいよ! 僕なんて大箱狙いすぎちゃって全然ダメだったもん」
屋台の喧騒から少し離れた場所で、取れた成果を見せ合う。結果は七海くんが最多で、次点で悟、そして灰原くんという順番だった。戦利品のお菓子は高専に戻ってから分け合うことになり、花火が打ち上がるまでしばしの休憩を取ることにした。
花火の打ち上げ時間は20分ほどだと聞き、私は早めに用を済ませておこうと立ち上がった。
「私、トイレ行ってくるね」
「じゃあ俺も」
「自分も行きます」
「私たちはここで待ってるよ」
私と悟、灰原くんの3人で公衆トイレに向かう。
予想通り女子トイレには長蛇の列ができており、私がようやく順番を迎えたタイミングで、先に用を済ませた悟と灰原くんが出てきた。「ごめん、ちょっと待ってて」と2人に声をかけて個室に入ったものの、着慣れない浴衣のせいで思いのほか時間がかかってしまう。
「ごめんお待たせ……って、灰原くんは?」
外へ出ると、そこにいたのは携帯を弄っている悟ひとりだけだった。
「あー……灰原なら先に戻った。俺たちも行こうぜ」
「うん」
歩き出した悟の隣に並び、みんなが待つ場所へと引き返す。
花火の開始時刻が近づくにつれ、人の波は勢いを増していた。周囲の誰もが同じ方向を目指して押し寄せるため、思い通りに前へ進めない。少し気を抜けば、あっという間に悟の姿を見失ってしまいそうだった。
歩きづらさに苦戦していた、まさにその時――。
「……えっ」
「……」
何も言わず、左手を強く握られた。
そのまま迷いのない足取りで、皆のいる場所とはまったく違う方向へ歩き出す悟。私はその予想外の行動に息を呑み、引かれる手に身をまかせることしかできなかった。繋がれた手のひらの熱を感じながら。
少し歩いた先には、小高い丘になった開けた場所があった。人の姿はほとんどない。
足を止めた悟はパッと手を離したものの、なぜか頑なにこちらを見ようとしなかった。私は乱れた心拍数を整えるように深く息を吐き、問いかける。
「悟、どしたん? もうすぐ花火始まるし、みんなのとこ戻らんなんよ」
「……あいつらには連絡したから大丈夫。それに、人混みで見るよりこっちの方が見やすい」
「それは……まぁ分かったけど、何でずっとこっち見んの? ねぇって……」
そっと浴衣の袖を引っ張って振り向かせると――そこには、耳まで真っ赤に染めた男の子が立っていた。その表情を見た瞬間、まるで熱が伝染したかのように自分の顔が一気に熱くなっていくのが分かった。
男女が花火大会の夜にふたりきりで抜け出す――まるで少女漫画に出てくるようなシチュエーション。そして、その男の子が向ける眼差し。
その意味を自覚した途端、さっきまで落ち着こうとしていた鼓動が信じられない速さで跳ね上がった。胸の奥がギュッと締め付けられる。サングラスの奥にある熱を帯びた青い瞳が、私を捕らえて離さない。
「……なぁ」
掠れた低い声が、夜風に混じって耳朶を打つ。
「俺さ」
彼の唇から紡ぎ出される言葉。
「お前のこと――」
その先に続く言葉を、期待せずにはいられない。
『――只今より、平成18年度、〇〇花火大会を開始いたします』
突如として響き渡った無機質なアナウンスの声。
直後、けたたましい音とともに大きな大輪の花が夜空に打ち上がり、暗闇を色鮮やかに染め上げた。
思わず一瞬だけ視線を奪われ、慌てて悟の方へ向き直る。しかし彼はすでにその場にしゃがみ込み、深く大きなため息を吐いていた。
「……マジでタイミング悪」
「さ、悟? さっきの話って……」
「何でもねぇから忘れろ。……花火見よーぜ」
スッと立ち上がった悟は、強引に気持ちを切り替えたかのように空を見上げ始める。
私は胸の中に残った熱を抑えきれないまま、次々と打ち上がる大輪の光に照らされる彼の横顔を、盗み見るように見つめていた。
――もう、この胸の高鳴りに嘘はつけない。
私は、悟のことが好きなんだ。
夜空を彩る光と音の渦の中で、私は自分の中に芽生えていた恋心を、はっきりと自覚したのだった。