至近距離
夕暮れが近づき、オレンジ色の光が差し込む放課後の訓練場。久しぶりに時間が合った悟に、私は呪術の練習を見てもらっていた。
「だいぶ強度は上がったけど、1級相手だと多分すぐ破られるな。ほら」
そう言うなり、悟は私が空間に練り上げた正方形の結界を、靴の裏で容赦なく踏み潰した。バリン、と軽い音を立てて私の結界が霧散する。
「密度のイメージは結構できてたんやけどなぁ……。難しいな」
「1層じゃなくてさ、何層にも重なった結界をイメージしてみろよ」
「……なるほど!1個の強度を上げるイメージばっかしてたわ」
悟のアドバイス通り、薄い膜を何枚も重ね合わせるように意識を集中させる。再び同じ場所に結界を構築すると、今度は悟が体重をかけて踏みつけても、5秒ほど形を保つことができた。
「すごい!ちょっとやけど時間伸びた!さすが悟、教えるん上手いなぁ」
「だろ?」
「前から思っとったけど、人に教えるん結構向いとると思うよ。将来、先生とかいいんじゃない?」
「は? 教師なんて柄じゃねーし。勘弁」
ひらひらと手を振って否定する悟だったが、案外面倒見の良い彼の性格を考えると、あながち間違っていない気がした。 ……私はといえば、卒業後も呪術師一本でやっていきたいと思っている。そして、厳しい任務が終わった後に、隣に悟がいてくれたら――。
(だめや、また不純な妄想をしてしまった……!)
自分の不甲斐なさに喝を入れるため、羽織っていたジャージの上着を勢いよく脱ぎ捨てる。そして、悟に向き直った。
「ねね!次は体術も見て欲しい!」
「いいけど、怪我すんなよ?」
「大丈夫!お手合わせお願いします!」
深く呼吸を整え、拳を構える。一気に踏み込んで、悟の胸元へ真っ直ぐに拳を突き出した。体術の訓練中、悟は無下限呪術を解いてくれているため、私の拳は確かに彼の掌へと届く。けれど、打ち込んだ手応えはまるで大木を叩いたかのようにビクともしない。
「前よりは力強くなってっけど、全然効かねーよ?」
「……ふふ、そっちはフェイクやから!」
「ん?……うわっ」
手元に意識を集中させていた悟の隙を突き、がら空きになった足元へ足を引っかけにいく。拳の力を抜き、瞬時に足元へ呪力を集中させた。膝をつかせてやる、そう思ったのに――。
「……なんで!? なんでビクともせんの!」
「残念。俺の目がいいの知ってるだろ? 呪力が足に集まってんの丸見えだって」
「え〜くっそ〜〜〜!」
軽やかに攻撃をかわされ、悔しさのあまりキッと彼を睨みつける。もうこうなればヤケクソだった。全体重を乗せて思いっきり悟の胸元にタックルを仕掛ける。当然それだけでは揺るぎもしないため、私は即座に術式を発動させ、悟の右足の下に小さな結界の箱を出現させて一気に持ち上げた。
「おまっ……!?」
「ぎゃっ!」
バランスを崩して後ろへ倒れ込む悟。しかし、瞬時に体勢を立て直そうとした彼に腕を掴まれ、私は可愛くもない悲鳴を上げながら一緒に床へ倒れ込んでしまった。
ドシン、と大きな音が響く。悟の頑丈な胸板がクッションになってくれたおかげで、私は全く痛くなかった。けれど、無防備に背中から落ちた悟は思いっきり腰を打ったはずだ。
「さ、悟……大丈夫!?」
心配になって顔を見上げると、すぐ至近距離に悟の顔があった。蒼い瞳が、まっすぐに私を映している。 こんなに至近距離で彼の顔を見るのは初めてだった。途端に、ドクンと胸が大きく跳ね上がる。悟も同じだったのか、いつも透き通るように白い彼の頬が、みるみるうちに朱に染まっていった。
好きな人が、すぐ目の前にいる。 この前「今は恋愛よりも強くなるのが先だから、暫く我慢する」と心に決めたばかりなのに、目の前の熱にタガが外れてしまいそうになる。
「……ご、ごめん! 今起き上がるから……っ」
必死に鼓動を落ち着かせ、彼の上から退こうとした。しかし、その体勢は悟の手によって遮られる。 背中に回された彼の長腕が、キュッと私を抱きよせたのだ。
「っ……悟……?」
加速する鼓動。緊張で胸が押しつぶされそうになる。しがみついた彼の胸からも、私と同じくらい激しい鼓動が伝わってきていた。
「なぁ、唯」
少し掠れた、低い声で名前を呼ばれる。 あの夏休みの花火大会の日、途切れさせてしまった言葉の続きを、彼は紡ごうとしているのだろうか。……聞きたい、悟の気持ちを。
彼の唇が動き、言葉が発せられようとした、まさにその時だった。
ガラガラッ、と訓練場の重い引き戸が遠慮なく開く。
「悟、課題提出しろって先生が……」
「……あ」
入ってきたのは傑だった。 部屋に入ってくるなり、床の上で抱き合っている私と悟に視線を向け――傑は数秒間フリーズしたあと、何事もなかったかのように静かにドアを閉めた。
「ちょっと待って傑!! 誤解やから!!」
「そ、そうだって! こいつが勢い余って倒れてきたから受け止めてやったんだよ!」
「……いや、私が悪かった。2人の大切な時間を邪魔してしまって申し訳ない」
「本当に違うから!!」
慌てて飛び起きた私と悟は、スタスタと教室へ向かって歩いていく傑の後ろを追いかけながら必死に弁明した。 確かに、あの時は妙な空気が流れていたと思う。でも、まだ何もしていないし完全に未遂だ。もしこのことが硝子の耳にでも入ったら、「恋愛は暫くお休みする」と宣言した舌の根も乾かぬうちに内緒でイチャついていたと思われて、軽蔑されてしまうかもしれない。
教室に着く頃には、なんとか傑の誤解を解くことができた。悟はそのまま「ったく、驚かせやがって……」と呟きながら傑と共に教室へと入っていった。
私は一人、散らかった訓練場の片付けをするために来た道を戻る。
夕暮れの静かな訓練場で、ポツンと立ち尽くす。 胸の奥に残る、あの温かい抱擁の感触。
(……思っとったよりも、私は悟のことが好きみたい)
このままじゃ、近いうちに自分から「好き」だと伝えてしまいそうだ。 でもダメだ。私にはまず、2級昇格という目標がある。
「……我慢、我慢」
赤くなった自分の頬を両手で叩き、私は心の中で何度も自分に言い聞かせた。