呪術師


今日は、朝からずっと気合いが入っていた。 なんてったって、今日は二級への昇格査定となる任務だからだ。
向かう先は、都内の廃ビル。 昔、悟と傑の2人と一緒に別の廃ビルへ行った時のことを思い出す。あの頃の私は、目の前で人が呪いに襲われているのに、恐怖で竦んで何も出来なかった。 だが、今は違う。 幾多の現場で経験を積み、術式も磨き、力も付けた。 今の私はもう、あの頃の弱くて守られるだけの存在じゃない。

「じゃ、行こうか」
「はい!」

今日同行するのは、準一級術師の篝さん。 本日初めて顔を合わせたお人だったが、非常に人当たりが良く、柔らかい物腰からいい人であることがすぐに伝わってきた。 そして、今回のターゲットである呪霊は二級。 無事に私がこれを祓うことができれば、晴れて二級昇格が決まる。
二級以上の呪霊といえば、これまでは悟や傑たちに同行した時にしか対峙したことがなかった。しかもその大半は彼らのサポートであり、自分の力だけで実戦として祓うのはこれが初めてだ。 胸の奥で小さな緊張が鼓動を早める。けれど、私は小さく息を吐き出し、自分を信じることにした。

「中島さんは、なんで呪術師になったの?」

薄暗いビル内に足を踏み入れ、隣を並んで歩く篝さんが不意に尋ねてきた。 呪術師を目指した理由。それは、今も昔も変わらない。

「困っている人を助けたいから……ですかね。まあ、そんな甘ちゃんみたいな考えで高専に入ったせいですから、最初は本当ダメダメでしたけど」
「そうなんだ。俺も似たような感じだったよ。……キツくなったりしない?」
「凄惨な現場とかを見ると、やっぱり嫌な気持ちにはなります。でも、呪術師をやめようとは思いません」
「女の子なのに、強いんだね」
「そうですかね? 同級生が規格外に強い人たちばかりなんで、揉まれているうちに心も鍛えられたのかもしれないです」
「ああ、なるほどね。六眼に、呪霊操術に、反転術式……希少な人材の宝庫だからなぁ」

他愛もない会話を交わしながら、静かに上の階へと足を進める。 呪いの反応が確認されたのは4階付近。確かに上階へ向かうにつれ、肌を刺すような粘着質な呪気の気配が濃くなっていくのが分かった。私は呼吸を整え、改めて気を引き締める。
4階にたどり着き、荒れ果てたフロアを探索する。廃ビル独特の埃っぽさと湿り気のある空気が足元にまとわりつき、嫌な気分を煽る。 そして——奴はいた。

「……いましたね」
「ああ」

呪霊は背を向けており、まだこちらに気づいていない。 だが、その足元には、行方不明者と思われる人間の靴や衣類の破片が、無残に散らばっていた。
許せない。 残された家族の無念と絶望を思うと、胸の奥から激しい怒りが沸き上がってくる。こいつは絶対に今日ここで仕留める。負の連鎖は、私が断ち切る。
一歩、強く踏み出した瞬間、呪霊が気配を察知して振り返った。 すかさず呪力の結界を展開し、敵を閉じ込める。しかし、奴の暴威によってものの数秒で結界が内部から砕け散った。やはり、二級となると一筋縄ではいかない。 それなら——。

「キェッ」
「潰れろ……!」

呪霊の左右にそれぞれ結界を2つ生成し、同時に急拡大させて挟み込むように圧殺を図る。私の結界は、内側よりも外側からの圧力に対する強度が高い。挟み込む形なら、容易には割られない。
ジリジリと肉が潰れる不快な音が響く。だが呪霊は間一髪、上方へ跳躍して拘束を抜け出すと、こちらを見下ろしてニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。

「……それもお見通しやよ」
「グェッ……!?」

間髪入れず、跳躍した呪霊の『頭部のみ』を最小限の結界で捉え、一気に圧縮して頭蓋を潰す。 頭部を失い、首から下だけになった呪霊は、それでもなお肉塊となってこちらへ襲いかかろうとした。私はその首の断面へ極小の結界を忍び込ませると、内部から一気にサイズを膨張させ、呪霊の肉体を爆発させた。
弾け飛んだ黒い瘴気が、空気中で霧散していく。

「……ふぅ」
「……いやぁ、中島さん、すごいよ。俺の手助けなんて必要ないくらいサクッと祓っちゃうなんて。これなら近い将来、一級だって夢じゃないね」
「本当ですか! ありがとうございます、これからも練習頑張ります!」
「うんうん、ぜひ頑張って——」

言葉の途中で、篝さんの表情が凍りついた。

『……アレ? ナンデイキテルニンゲンイル?』

廃ビルの中に響くには、あまりに異質で、ねっとりとした不気味な声。 バッと2人で声のした方へ振り向く。そこには、事前に共有されていた報告には存在しない——もう一頭の呪霊が立っていた。
言葉を理解し、人語を話している。 つまり、最低でも一級以上。先ほど倒した二級よりも、明らかに2つは格が上のバケモノだ。 瞬時に室内の空気が跳ね上がり、胸を押し潰すような緊張感が走る。

「……中島さん、ここは俺が引き受ける。君は逃げろ」
「で、でもっ!」
「正直、俺ですら勝てるかどうか怪しい相手だ」

篝さんの額から、一筋の冷や汗が伝い落ちる。それほどまでの強敵。 正直なところ、今の私では足手まといにしかならないのかもしれない。けれど、この惨状を前にして一人で逃げ出すことなんて、絶対にできなかった。

「……それならせめて、少し離れた場所からサポートさせてください。絶対に足を引っ張りませんから!」

まっすぐに見つめ返すと、篝さんは観念したように小さく息を吐き、絶対に前へ出ないことを条件に共闘を許可してくれた。

「よし……それじゃあ、行こうか」
「はいっ!」

こうして、格上である一級呪霊との死闘が始まった。
篝さんの術式は、高密度の呪力をロープ状に操るものだった。 それは刃のように呪霊の肉体を鋭く切り裂くこともできれば、頑丈な縄として敵の動きを拘束することもできる。 篝さんが巧みに間合いを保ちながら敵を追い詰め、私が隙を見て結界を貼り、一時的に動きを封じる。初めて組んだとは思えないほど、息の合ったコンビネーションが成立していた。
篝さんが隙を突いて、呪霊へ魂を込めた鋭い一撃を放つ。 激しい衝撃とともに呪霊は奥へと吹き飛び、分厚いコンクリートの壁を破砕しながら砂煙の中へと消えた。

「……た、倒せましたか……!?」
「いや、まだ分からない」

視界を阻む砂煙を見つめ、慎重に様子を探ろうとした——その瞬間。

「危ない!!」

砂煙の奥から紫色の怪しい液体が射出された。篝さんが私を庇うようにして前に躍り出、その毒液を正面から浴びてしまう。 直後、篝さんは苦悶の声を上げてその場に崩れ落ちた。

「うぁぁっ……!?」
「か、篝さん!!」
「……くっ……逃げ、ろ……!」
「ソレ、毒ダカラ……モウ動ケナイデショ?」

砂煙を押し分けて姿を現した呪霊が、ゆっくりと歩み寄り、崩れ落ちた篝さんの前に立つ。 篝さんは必死に呪力を練り上げ、術式を発動しようとした。しかし呪霊はあざ笑うかのように腕を巨大な鎌の形へと変形させると——容赦なく、肩から腰にかけて篝さんの身体を真っ二つに切り裂いた。
ドサリ、と音を立てて崩れ落ちる上半身。 舞い散る鮮血。
目の前で起きた光景が、脳内で処理しきれなかった。 ほんの数分前まで優しく笑いかけてくれていた篝さんが、あまりにも呆気なく、無慈悲に殺された。

「あ……あ……」

私は腰を抜かしたまま、必死に尻餅をついて後ずさる。 呪霊が凶悪な笑みを浮かべ、ゆっくりと私へ歩み寄ってくる。 死という概念のイメージが、これほど強烈に、生々しく脳裏を支配したのは人生で初めてだった。 ああ、もうダメだ。これで、私の人生は終わる——。

『ギッ? マダ、生キテルノカ』
「……か、篝さん……!?」
「……中島……さ……に……げ、ろ……!」

胴体を切断されたはずの篝さんが、最期の力を振り絞り、自身の術式で呪霊の足を強く縛り上げていた。 即死してもおかしくない致命傷のはずなのに。……私を、逃がすために。
鬱陶しそうに篝さんへ振り返り、トドメの一撃を振り下ろそうとする呪霊。 その瞬間、私の頭の中で何かが弾けた。
腹の底からありったけの呪力を絞り出し、呪霊の全身を強固な結界で包み込む。篝さんの命がけの拘束のおかげで、呪霊も容易には結界を打ち破れない。

「……ぁぁああああああああッ!!!!」

喉がちぎれんばかりの叫びとともに、結界を急速に圧縮していく。 あと少し、あと少しで潰せるというところで、ふと篝さんと目が合った。 篝さんは、血を吐き出しながらも、穏やかで優しい笑みを私に向けてくれた。

——バシュッ!!

爆ぜる音とともに呪霊が消滅し、私は弾かれたように篝さんの元へ駆け寄った。

「篝さん! 篝さんっ!! 死なんといて、お願いやから死なんといて!! いま、いま助けを呼ぶから!!」

どれだけ叫んでも、どれだけ名前を呼んでも、冷たくなっていく口から返事が返ってくることは二度となかった。
——それからの記憶は、酷く曖昧だ。
駆けつけた補助監督さんの姿が見えたあたりで私の意識は途切れ、再び目を覚ました時には、高専の静まり返った医務室のベッドの上にいた。 部屋には誰もいなかった。もちろん、篝さんの姿も。
窓から差し込む夕日の中、私はただ一人、冷たくなった身体を小さく丸めて泣き続けることしかできなかった。