食堂
「……疲れた」
高専初日。午前に詰め込まれた座学の授業と、午後に待っていた容赦のない基礎体力訓練。私の体はすでに悲鳴を上げていた。 呪術に関する未知の知識は頭をパンクさせそうだったし、もとより非力な私にとって、午後の運動量は文字通り目眩がするほどしんどかった。
けれど、そんな私の疲労困憊ぶりを余所に、同級生である3人は涼しい顔で一日を終えていた。 特に印象的だったのは、五条くんと夏油くんの圧倒的な運動量だ。どれだけグランドを走り込んでも息一つ乱さず、筋力も桁違い。男女の骨格差という言葉だけでは到底埋めきれない、圧倒的な差をまざまざと見せつけられた気がした。
(……でも、私には術式がある)
体力で劣るなら、そこを自分の力で補えばいい。そう自分に言い聞かせ、重い足取りで食堂へと向かった。
「あっ」
「おつかれ」
食堂のドアをくぐると、硝子ちゃんがすでに席について食事をとっていた。今日一日、慌ただしくてあまり話せていなかったからちょうどいい。 私は寮母さんから温かい夕食の盆を受け取ると、吸い寄せられるように彼女のテーブルへと向かった。
「ここ、座ってもいい?」
「どうぞ」
黙々と箸を動かしていた硝子ちゃんの向かいに腰を下ろし、軽く手を合わせる。
「硝子ちゃんもご飯作ってもらったん?」
「私は昨日買った残り。てか、硝子でいいよ」
「じゃあ……硝子! 同級生の女の子がいてくれて、ほんと心強いわぁ」
「私も。女子が来てくれて嬉しいよ」
ふっと目元を緩めて笑う顔が、やっぱりすごく可愛くて。もっと仲良くなりたいな、と素直に思う。
「硝子は、上京組?」
「うん。と言っても、そんなに遠くないけどね。唯は石川だっけ」
「そう、夜行バスで8時間。めっちゃ遠いげん」
「ふーん。その語尾は、石川の方言なの?」
「そやよー。東京に来たらみんな標準語やから、ちょっと恥ずかしいんやけど……」
「いいじゃん。可愛いと思うけど」
そんな他愛もない会話で話が盛り上がった。硝子は、話がとてもしやすくて、昨日の五条くんとの出来事とそれによる苦手意識をついつい話してしまった。
そこに、食堂の入口から聞き覚えのある声が近づいてきた。
「おや、硝子たちも来てたのか」
「よー、クズども」
「傑はクズだけど俺はクズじゃねぇから」
「いや、私より悟の方が色々酷いよ」
買い込んできたらしいコンビニの袋をテーブルにトンと置くと、2人——夏油くんと五条くんが、ごく自然に私たちの隣へ腰掛けた。 硝子の隣に夏油くん。そして、私のすぐ隣には五条くん。 途端にさっきまでの和やかな空気が一変して私の全身に緊張が走る。
「中島さんは作ってもらったのかい?」
「あ、うん。お昼の時に寮母さんにお願いしてたの」
固くなっている私に気づいたのか、夏油くんが柔らかい声で問いかけてくれた。 ……そう言えば、二人ともお互いや硝子のことを下の名前で呼び合っている。この2ヶ月間で、すっかり距離を縮めたのだろうか。そんなことを考えて余計によそよそしく答えてしまう私を見て、硝子がニヤリと口端を上げた。
「唯がさ、あんたら二人のこと怖いんだって。特に五条」
「ちょ、硝子……!?」
唐突な暴露に、思わず声が裏返る。失礼なことを言ってしまったと青ざめながら恐る恐る夏油くんを見ると、彼は困ったように苦笑いを浮かべていた。
「怖がらせていたのならすまない。でも、クラスメイトとして、できればそのイメージは払拭したいな」
「別に俺、怖がらせたつもりねーし」
「悟は初対面の人に対して素っ気ないんだよ。そんなんだから怖がられるんだ」
「怖いと思うかどうかは、こいつ次第だろ」
2人の間に流れ始めた不穏な空気に、心臓が跳ね上がる。自分の発言のせいで険悪になってしまうのが耐えきれず、私は弾かれたように立ち上がった。
「こ、怖いっていうか! まだどんな人かよく分からんだけで……! だから、二人のことも色々知りたいから教えてほしいんげん! そんで、できたら……仲良くしたい、んやけど……っ」
勢い余って叫んでしまった声は、広い食堂に大きく響き渡った。 周りの席にいた先輩たちが一斉に振り返るのを感じ、一気に顔へ血が上っていく。耳まで熱くなるのを感じながら、私は恥ずかしさのあまり小さくなって椅子に縮こまった。
すると、向かいからクスクスと控えめな笑い声が漏れた。
「私らとは違う、真面目でいい子ちゃんでしょ?」 「そうだね。私もぜひ仲良くしたいのだけど……何から知りたい?」
「……えーっと。いざ何を知りたいかって言われるとパっと思い浮かばんのやけど……とりあえず、身長が何センチか知りたい、かな」
「ふ、最初が身長かい? ……唯は面白いね」
サラリと、夏油くんの口から私の名前が零れ落ちる。 男の子に下の名前で呼ばれるのは初めてで、胸が跳ねた。けれどそれと同時に、かたく閉ざされていた距離が、少しだけ縮まったような気がした。
「悟もほら、身長聞かれてるよ」
「……185センチ」
しかし隣の五条くんだけは、相変わらずツンとすました態度を変えなかった。結局、私の名前を呼んでくれることもなかった。
けれど、彼が持ち込んだ袋から見えた大量の甘味。 あんなに背が高くて生意気そうなのに、甘いものが好き——。 人は見かけによらないものだなと、私は胸の中でそっと笑った。