独り言
悟に告白されてから、2週間が経っていた。
あの日以来、私と悟の関係はギクシャクしてしまっている。すれ違えば挨拶くらいは交わすが、どこか余計な距離感があり、お互いにまともに目すら合わせられない。 それもそのはずだ。告白の返事を、私がずっと保留にし続けているから。
12月7日。悟の誕生日の夜に突然伝えられた言葉に、「少し考えさせてほしい」と返すのが精一杯だった。
悟のことが好きなのは事実だし、想いを伝えられた瞬間は飛び上がるほど嬉しかった。けれど、「恋人として付き合う」という現実的な未来を想像したとき、どうしても引っかかる大きな問題があった。その答えが出せないまま、私はずっと出口のない暗闇を迷走していた。
「はぁ……」
冷え込む高専寮の自動販売機前。ベンチにポツリと腰掛け、私は重い溜め息とともに自分の靴先を見つめていた。
悟はここ最近、出張任務で多忙を極めている。皮肉にも顔を殆ど合わせずに済んでいるおかげで、今のところ硝子や傑にはこの異常な気まずさを察せられずにいた。
けれど、これはどこまでも自分自身の心の問題だ。誰かに相談したところで根本的な解決にはならないし、何より悟から告白されたなんて話を軽々と誰かに話すのも気が引けた。結局、誰にも言えないまま部屋で一人頭を抱えることになり、少しでも気分を変えようと飲み物を買いに出てきたところだった。
「どうしたんだい、そんな溜め息をついて」
耳に馴染んだ柔らかい声が静寂を破る。驚いて顔を上げると、お風呂上がりと思われる傑が立っていた。意識を自分の内側ばかりに向けていたせいで、すぐ近くに来るまでまったく気づかなかった。
「あ、傑……。別に、なんでもないよ」
努めて平気なフリをして見せたが、傑は静かに私の横へ腰を下ろすと、隠す気もないストレートな言葉をぶつけてきた。
「悟に告白されて、返事を保留にしたんだってね。何か理由があるのかい?」
「……えっ、悟から聞いたん?」
「ああ。告白したその夜に電話があってね。『返事保留にされたんだけど、多分振られるよな』って、驚くくらい暗い声で相談されたよ。『まだ返事を聞いたわけじゃないから分からないだろう』とは言っておいたけれど、相当落ち込んでいたよ」
「……そうねん。返事、待ってもらっとる」
「差し支えなければ、理由を聞かせてくれないか? もちろん、悟には口が裂けても言わないから」
秘密を探るような嫌らしさはなく、ただ親身な響きを帯びた声。けれど、私は拒絶するように再び視線を伏せた。
「理由は……私の気持ちの問題やし。傑に言ってもどうしようもないことやから……」
小さく縮こまる私を見て、傑はフッと鼻を鳴らして笑った。
「別に、説得しようと思って聞くわけじゃないさ。ただ、一人で抱え込んで思い悩んでいるなら、吐き出すだけ吐き出した方が楽になるんじゃないかな」
「それは……そうかもなんやけど」
「まあ、そこら辺にある地蔵にでも話しかけていると思ったらどうだい?」
そう言うと、傑は右手を広げて左手を下に添え、すっと目を閉じて見事な地蔵のポーズを決めて見せた。あまりにもシュールなその姿に、重かった胸の奥から不意に笑いが込み上げる。
「ぶっ……なにそれっ、ふふっ」
「結構似てないかい?」
「似てる! 特にその……表情が……っ」
「ひどいな、糸目だなんて」
「いや、言ってないし!」
視線が合わさると、自然と二人で声を合わせて笑ってしまった。傑のどこまでも優しい気遣いのおかげで、ガチガチに固まっていた心が少しずつ解けていく。私は意を決して、ぽつりぽつりと胸の内を吐き出し始めた。
「……この間さ、二級の昇格査定任務で人が亡くなったって言ったやん? しばらく人が死ぬことに対するトラウマみたいになってたんやけど……それ自体は、少しずつ気持ちの整理がついて落ち着いてきたんよ」
「うん」
「でもね、今度は別の不安が湧いてきて……。私は強くないから、いつ死ぬか分からん。でも、悟が死ぬなんてことはほぼあり得んやん。もし私が死んだら、悟をたった一人取り残してしまうことになる。きっと親密になればなるほど、遺された側の辛さは大きくなる……そんな思いをさせるくらいなら、最初から付き合わない方がいいんじゃないかって、ずっと悩んどるげん」
もし私が、傑のように悟の隣に並び立てるほど強い術師だったなら、こんな心配はしなかったのかもしれない。けれど現実は違う。私はごく普通の階級にいる一人の呪術師で、彼はこの世界のトップに君臨する最強。生きている世界があまりにも違いすぎるのだ。大好きな人だからこそ、彼に余計な孤独を与えたくない。
話し終え、じっと膝を見つめる私に、傑は静かな声で言葉を返した。
「……なるほどね。唯の気持ちはよく分かったよ」
「……ごめん、こんなこと言われてもどうしようもないよね。どうするかは、ちゃんと自分で考えて決めるから。話聞いてくれてありがとう」
情けなさと申し訳なさでいっぱいになり、そのまま立ち上がろうとした瞬間、腕をキュッと掴まれた。強すぎない、けれど確かな力で引き止められる。
「……今度は、私の独り言を聞いてもらってもいいかい?」
「えっ、うん……」
促されるまま再びベンチに腰を下ろし、傑の横顔を見つめる。彼は天井を仰ぎ見ながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「まず、悟は言わずもがな最強だ。おそらく今の世界で彼を殺せる存在なんて誰もいない。だからこそ、あいつはこれからも多くの人間の死を見送ることになる。……そんな過酷な世界で、あいつがたった一人、心から求めている人がいる。それが君だよ」
「……っ」
求めている人──その言葉とともに私を真っ直ぐ見つめ返す傑の瞳に、胸がぎゅっと締め付けられる。悟がどれほどの孤独を抱え、どれほど強い想いを私に向けてくれていたのかが痛いほど伝わってきて、息が詰まりそうになる。
「もちろん、唯の言う恐怖も理解できるよ。置いていく側になるのはとても辛いことだからね。……でもね、まだ来てもいない不確定な未来を恐れて立ち止まるより、明日死んでも後悔しないように今の気持ちを大切にすること。それが、死と隣り合わせで生きる私たち呪術師にとって一番必要なことなんじゃないかな。いつ終わるか分からないからこそ、今生きている時間を大切にしなければ」
「……今生きている時間」
傑の言葉が、私の心にすっと染み渡っていく。 私は、まだ起こってもいない未来の絶望ばかりに目を奪われていたのだ。いつか訪れるかもしれない別れを恐れるあまり、今というかけがえのない時間を捨てようとしていた。
大切な人と一緒にいられる時間そのものを愛おしむこと。そんなごく当たり前でシンプルなことに、視野が狭くなっていた私は気づけずにいた。
「そうさ。だから私も、やりたいことはできるうちにやっておこうと思ってね」
「例えばどんなこと?」
「んー……全国各地の美味しい蕎麦を食べ歩く、とかね」
「ふふっ、本当に蕎麦好きやじ」
「まあね」
傑のおどけたような返答に、さっきまでの重苦しさが嘘のように笑いが零れる。すると、傑は私の肩をポンポンと優しく叩き、悪戯っぽく微笑んだ。
「悟も気の長い方じゃないからね。あんまり待たせると痺れを切らして、告白自体なかったことにされるかもしれないよ?」
「た、確かに……! 悟が帰ってきたら、すぐに返事する! いつ帰ってくるんやっけ!?」
「明後日の午前中だったはずだよ」
「分かった、ありがとう!」
私は勢いよく立ち上がった。さっきまでの迷いは消え去り、胸の中には前向きな温かい感情だけが満ちていた。
歩き出し、ふと振り返ってベンチに座る傑へ声をかける。
「いつも話を聞いてくれて、本当にありがとう! 傑がいてくれて良かったって、いつも思っとるよ。今度は傑が何かに悩んだら、私に相談してね。力になるから!」
「……あぁ、ありがとう。何かあったら言うよ」
彼はいつもの穏やかな笑みを浮かべて頷いた。そうして私たちは、それぞれの部屋へと戻っていった。
この時の私はただ、明後日に帰ってくる大好きな人へ伝える返事の言葉で、頭の中がいっぱいだった。