誕生日
誕生日当日。朝から気合を入れて身支度を整えていた。 今日は土曜日。授業もなければ任務もない。……まあ、任務に関しては悟が裏で補助監督に手を回して、綺麗に空けてくれたのだろうけれど。
先日美容院で整えたばかりの髪を軽く巻き、誕生日に悟から貰ったピアスを耳元で揺らす。今日のために新調した白のワンピースに袖を通し、上から上品な仕立てのコートを羽織った。普段は黒一色の制服ばかり着ているせいか、鏡に映る白い服の自分は見慣れなくて、どこかむず痒いような違和感がある。
(……可愛いって、思ってもらえるといいな)
ふと時計に目をやると、約束の時間の五分前だった。私は慌てて部屋を飛び出した。
「悟! お待た……」
息を切らせて待ち合わせ場所である高専の入口へ向かうと、既に到着していた悟が振り返った。 黒のシックなジャケットに白いTシャツ、脚の長さを引き立てる細身のパンツ。バッチリとセットされた髪型。見たこともないほど完璧に決め込んだ彼の私服姿に、私は一瞬で言葉を失ってしまった。こんな人が街中を歩いていたら、絶対に誰もが振り返ってしまう。
悟は悟で、こちらへ駆け寄ってくる私を見るなりピタリと動きを止めた。そして慌てたように視線を横へと逸らす。よく見ると、彼の耳の先端がうっすらと赤くなっていた。
「……似合ってんじゃん」
「っ……ありがとう」
照れくさそうに呟く声に、こちらまで胸が熱くなって顔が火照る。照れ隠しをしながら、そっと彼の隣に並んだ。
「……悟もかっこよすぎて、正直見惚れてた」
「……だろ?」
「なんか隣に立つの緊張する。……私、釣り合っとらん気がして」
「んな事ねーよ。お前が俺の彼女なんだから、堂々としてればいいんだ」
そう言って、悟は私の手を迷いなく大きな手で握りしめた。力強く歩き出す彼の横顔を見上げる。 『彼女』という言葉の響きが甘く心に染み渡り、繋がれた手から伝わる温もりに、私は噛み締めるような幸せを感じていた。
高専を出て電車を何度か乗り継ぎ、たどり着いたのは横浜だった。東京に来てから一度も足を踏み入れたことのない街。どこへ連れていかれるのだろうと、胸の鼓動が早くなる。
最初に足を踏み入れたのは、活気あふれる中華街だった。テレビで観た景色が目の前に広がり、異国情緒あふれる街並みに思わず声を弾ませる。
「中国っぽい……!」
「そりゃ中華街だからな」
「ねぇ悟、入口のところで一緒に写真撮ろ!」
悟を手招きすると、彼は私の目線に合わせて少し体をかがめてくれた。携帯の画面に映る、私と悟の顔。距離の近さにドクドクと心臓が跳ね上がりながらも、シャッターを切る。二人で写真を撮るなんて、思えばこれが初めてだった。
「ありがとう! じゃあ、中に入ろ!」
「ん。何食べたい?」
「そうやなぁ、一番食べたいのは肉まんかな」
「じゃあ、ここの店が美味いから並ぶか」
「ん?悟は中華街、来たことあるん?」
「いや、初めて」
「そうなん? ここのお店が美味しいって知ってたから、てっきり来たことあるんかと」
「あー……テレビで特集してた」
少し歯切れの悪い悟の返答に一瞬首を傾げたものの、深く追及はせずに順番を待った。 10分ほど並んで手に入れた熱々の肉まんを、店の近くで並んで頬張る。
「……んーー! めっちゃ美味しい! 中の具材の味も、モチモチの皮も最高……!」
「良かったな」
「悟も食べてみて!」
「……ほんとだ、美味い」
「これなら何個でも食べられそうやわ」
夢中で肉まんを頬張っていると、不意に悟が携帯を構えてこちらに向けてきた。
「えっ、今撮った?」
「大福みたいなやつが肉まん頬張ってたから」
「……ふん、顔が丸いのは分かっとるし」
「嘘だって。……幸せそうな顔して頬張ってて、可愛かったから撮った」
「……っ!」
不意打ちのように落とされた甘い言葉に、肉まんが詰まりそうになって派手にむせ返った。ゴホゴホと咳き込む私に、悟は「大丈夫か」と苦笑しながら優しく背中をさすってくれる。付き合い始めるとこんな風に素直にデレてくれるようになるのかと、胸が甘酸っぱい熱で満たされていく。
それからしばらく中華街の雰囲気を楽しみ、近くの公園を散策した後は赤レンガ倉庫へと移動した。 歴史ある煉瓦造りの建物。ずっと来てみたいと思いながらも機会がなかった場所だ。カップルが多いイメージの場所だったから、いつか彼氏ができたら……と密かに憧れていた空間に今、悟と二人で立っていることがたまらなく嬉しかった。
「ねぇねぇ、悟」
「ん?」
「今日のプラン、もしかして全部悟が考えてくれたん?」
「当たり前だろ。……何か気になるところでもあったか?」
「ううん、全然! 今すっごく楽しい!ただ、全部私が行ってみたかった場所ばかっかりやったから、すごいなぁって」
「唯が考えることなんて、大体分かるからな」
「えー、じゃあ今私が何考えとるか分かる?」
「んーー……甘いもの食べたい」
「えっ、なんで分かったん!?」
「だから言ったじゃん、考えてること大体分かるって。んじゃ、ちょっと小腹満たしに行くか」
そう言って連れていかれたのは、少し離れた静かなカフェだった。夕食に響かないよう、見た目も可愛らしいデザートを二人で分け合って食べる。他愛もない雑談に花を咲かせていると、外の景色はあっという間に群青色へと染まっていった。
夜になり、悟が予約してくれていたディナーのお店へ向かう。 案内されたのは、窓から静かな海が一望できる小洒落たイタリアンレストランだった。普段足を踏み入れないような洗練された空間に、私は少し気後れしてしまう。
「……なんか、すごい高級そうなお店やね」
「金のことは心配すんな。お前より貰ってっから」
「それは……そうなんやけど。私、テーブルマナーとかよく分からんから、変なことしたらごめん」
「フォークとナイフが何本も並んでるような店じゃないから大丈夫だって」
余裕たっぷりに微笑む悟を見て、ふと胸の奥に小さな刺が刺さったような感覚を覚えた。 お金もあって、顔も格好よくて、こんな素敵なお店も知っている悟。私と付き合う前にも、誰かとこうしてデートで来ていたのかもしれない。今日の完璧なデートコースだって、もしかしたら悟の鉄板なのだろうか。
目の前にいる完璧な彼氏に対して、急激に惨めな劣等感が込み上げてくる。 運ばれてくる料理はどれも美味しく、最後には素敵なバースデープレートまで用意されていて、本当に夢のような時間だったはずなのに。呪術も呪霊も忘れて過ごす非日常の中で、私の心だけが小さなモヤに支配されていた。
デートの締めくくりに連れてこられたのは、夜景が一望できる港の公園だった。 暗闇の中に散りばめられた街灯りと、海に映る光の筋。ベンチに腰掛け、二人で静かに今日一日を振り返る。
「悟、今日は本当にありがとう。すごい楽しかったし、素敵な誕生日になった」
「それなら良かった。……改めて、誕生日おめでとう。それと、これ」
そう言って差し出されたのは、丁寧にラッピングされた小さな袋だった。「開けていい?」と尋ねてリボンを解くと、中から出てきたのは、水色の上質な手袋だった。
「いつも手先を寒そうにしてただろ。そのくせ手袋もしてないから、これ付けとけよ」
「……ありがとう。早速付けてもいい?」
手袋に手を差し込むと、内側の生地が優しく肌を包み込んだ。きっと、私が想像もできないくらい高級なものなのだろう。それに、私が末端冷え性なことまでちゃんと見ていてくれたのだ。 本当に、どこまでも素晴らしい彼氏だと思う。……それに比べて、私は。
(折角、悟がこんなに素敵な誕生日を用意してくれたんに。雰囲気を壊しちゃダメや)
頭ではそう分かっているのに、一度溢れかけた劣等感と申し訳なさは、留まることを知らなかった。
「……えっ!! なんで泣いてんの!?」
「ご、ごめん……っ」
ぽろぽろと目から零れ落ちる涙に、悟が心底驚いた声をあげる。早く拭って笑顔にならなきゃいけないのに、一度緩んだ涙腺は言うことを聞いてくれない。
「嫌なことでもあった? 手袋じゃ物足りなかったか?」
「そ、そうじゃなくて……っ」
「じゃあ、何があったのか話して。ちゃんと聞くから」
まっすぐに私を見つめる、澄み渡った青い瞳。悟はいつだって、私と正面から向き合おうとしてくれる。 私はしゃくりあげながら、途切れ途切れに胸の内を吐き出した。
「……すごい情けない話なんやけど、今日のデートも、プレゼントもすっごく嬉しくて、悟が完璧な彼氏すぎて……それと同時に、私なんかでいいんかなって、急に劣等感が湧いてきて……。ごめん、ウジウジしてめんどくさいよね」
「……はぁーーー。ほんと、なんでそう卑屈になるんだよ」
悟は大きく息を吐き出すと、俯いていた私の頬を両手で挟み込み、無理やり顔を上げさせた。
「俺が好きなのは唯で、俺が好きだから付き合ってんの。お前が勝手に劣等感抱こうが、俺は絶対別れないからな」
強い眼差しで言い切ると悟は立ち上がり、きまずそうに視線を彷彿とさせた。
「……それにさ。今日のデートプラン、俺一人で考えたわけじゃねぇよ。傑と硝子にアドバイスもらった。……カッコつけたかったのに、くそっ」
少し顔を赤くして頭をかく悟の姿。 格好悪いところを見せまいと必死だった彼の本音が愛おしくて、胸がぎゅっと締め付けられた。私は立ち上がり、背中を向けた悟の腰に後ろから思い切り抱きついた。
「ごめんね、一人で勝手にいじけてて。……私も悟が大好き。ずっとずっと、一緒にいたい」
「……嫌って言われても、絶対に離さねーから」
「うん。ずっと離さんで」
胸の中のモヤがすっかり溶け去り、いつもの温かい空気を取り戻した私たちは、少し夜風に当たったあと高専へと戻った。
このまま部屋の前で解散かと思いきや、悟に手を引かれて連れてこられたのは傑の部屋の前だった。不思議に思いながらも悟がドアを開けると──。
パンッ!
「誕生日おめでとう、唯」
クラッカーの派手な音とともに、待ち構えていた二人が笑顔で出迎えてくれた。思いもよらないサプライズに、私は目を丸くする。
「傑! 硝子まで……どうして?」
「五条がね、四人で誕生日パーティーをしようって言ってきてさ。ほら、ケーキも買ってあるよ」
「悟が……?」
「やっぱ四人で集まる方が楽しいだろ。最近、みんなで賑やかに過ごす時間も少なかったしな」
私のために二人きりの特別なデートを用意してくれた上に、こうしてみんなで過ごす時間まで作ってくれていたのだ。 ケーキを四人で突き合い、他愛もないゲームや雑談で夜更かしをする。
大好きな彼氏の温もりと、かけがえのない友達の笑顔。 間違いなく、人生で一番幸せな誕生日だった。