初恋とキス


早いもので、悟と付き合い始めてから四ヶ月が過ぎていた。
今日の予定は、悟の部屋で初めて二人きりで映画を見ること。事の発端は、先日二人で街を出歩いていた時のことだった。

「あ、千と千尋の神隠し。久しく見とらんなぁ」

通りがかった家電量販店の店頭モニターで、今週末の金曜ロードショーのCMが流れていた。

「俺、最後までしっかり見たことないかも」
「えっ、あんなにおもろいんに……。見ないと人生損しとるよ!」
「見ようにも、俺その日任務でいねーし」
「えーそうなんかぁ。悟にも千と千尋のおもしろさ知って欲しかったなぁ。私の初恋のハク様も出とるんに」
「は?」

私の初恋という言葉を聞いた瞬間、悟が露骨に固まった。

「なんだよ、初恋って。俺じゃないのかよ」
「初恋は違うよー。初恋は千と千尋に出てくるハク様。そんで、その次に好きになったのは中学の同級生」
「……分かった、じゃあ千と千尋見るわ」
「えっ、任務じゃないん?その日」
「録画する。それで今度一緒に見よう」
「いいけど、なんで急に興味湧いたん?」
「お前の初恋相手がアニメキャラなのが気に食わない」
「えぇー……」

結局、悟はそのまま店に入っていき、録画機能がついた高価なHDDレコーダーを即決で購入してしまった。思い立ったら即行動なのが彼らしいけれど、ポンと家電を買えてしまう金銭感覚には改めて驚かされる。
そうして約束通り千と千尋を録画してもらい、本日、一緒に見るために彼の部屋へ遊びに来たというわけだ。

「……ふぅ」

ただ一緒に映画を見るだけ。そう自分に言い聞かせても、二人きりの室内というのはやっぱり少し緊張する。ドアの前で小さく深呼吸をしてから、控えめにノックをした。

「こ、こんにちは」
「……おう、入れよ」
「お邪魔します」

見慣れているはずの悟の部屋なのに、二人きりだとどこか広く感じられる。私はローテーブルの前に置かれたクッションに腰を下ろした。そのすぐ隣に、悟が自然な動作で座り込む。

「俺の部屋、飲み物お茶しかないけど何か買いに行く?」
「あ、そうそう。実は昨日のうちに買い出ししといてん」

そう言って、持参した袋からポップコーンやチョコ、ジュースを取り出してテーブルの上に並べた。

「サンキュ。おっ、キャラメルポップコーンもあるじゃん。さすが、分かってんな」
「映画館と同じやつは無かったけど、やっぱりおうち映画でもキャラメルポップコーンは必須やよね!」
「だよなっ。じゃあ俺、カルピスソーダ貰っていい?」
「いいよー。私、CCレモン貰うわ」

それぞれ好きな飲み物を手に取り、ペットボトルをカチンと合わせて乾杯した。明日は私も悟も午後からの予定だから、今夜は心置きなく夜更かしができる。
しばらく他愛もない雑談を交わした後、悟がレコーダーを操作して録画した映画を再生し始めた。映画が公開された2001年当時、私はまだ千尋と同じくらいの年齢で、彼女の懸命で勇気ある行動に幼心に深く感動したのを今でもよく覚えている。

「あ、ハク様!」

ちょうど橋のシーンになり、画面にハクが登場した。相変わらず立ち振る舞いからして格好いいなと、改めて見惚れてしまう。

「なんで様付けしてんの」
「んー、みんながそう呼んどるから?」
「どのみんな?」
「作中のみんな。まあ、見とれば分かるって」

ふーん、と少し苦々しい顔で画面を見つめる悟。初恋相手とは言っても、今私が大好きなのは目の前にいる悟なのだから、何も気にする必要なんてないのに。画面に反射する彼の横顔を見つめながら、密かにそう思った。
物語は順調に進み、千尋がハクの本当の名前に気づくクライマックスシーンへと差し掛かる。「神様みたい」とお互いの顔を見合わせて笑い合う場面は、いつ見ても胸が熱くなる。隣の悟を盗み見ると、彼は食い入るように画面を見つめていて、少し嬉しくなった。

「はー、面白かったー!」

エンディング曲が流れる中、悟が両手を上に伸ばして大きく身体をほぐした。

「やろ!これは見といて損ないやろ?」
「確かに。俺も湯婆婆みたいに魔法使いてぇ」
「悟の術式、ほぼ魔法みたいなもんやん」
「カオナシ倒す時に放ってたやつとか、赫とほぼ一緒だもんな」
「そうそう!あと、ハク様どうやった?格好よくなかった?」
「……まあ、格好いいかは分かんないけど、良い奴だとは思った」
「もー素直じゃないなー」

あははと笑いながらポップコーンを1つ口に含んだ瞬間、隣にいた悟が私の身体をヒョイと持ち上げ、ごく自然に自分の膝の上に乗せた。
そのまま、息が届くほどの至近距離で私を見つめてくる。

「俺とあいつ、どっちが格好いい?」

そんなの、聞くまでもないというのに。私は照れくささに負けて視線を泳がせながら、小さく呟いた。

「……悟」
「知ってる」

満足そうに目を細める顔は少し意地悪で、でもそんな表情すら愛おしい。
静かに瞼を閉じると、悟の大きな手が私の頬を優しく包み込み、ゆっくりと唇が重なった。今日はいつもより身体の距離が近いせいで、心臓が跳ね上がるように鳴り響く。
一度離れた唇の名残惜しさに浸る間もなく、再び重重なる温もり。そして──。

「んっ……」
「口、開けて」

悟の温かい舌先が唇を軽く割り込もうとしてくる。言われるがままに口を緩めると、ぬるりと深い場所へ舌が入り込んできた。そのまま私の舌を捉え、絡め取っていく。
初めて経験する濃厚な接触にどう対応していいのか分からず、私はただ必死に悟の服の胸元をギュッと握りしめていた。

「……可愛い」
「ん……っ」

空気を求めてわずかに隙間ができたのも束の間、すぐにまた深く唇を奪われる。悟の腕が私の腰を引き寄せ、身体ごとぴったりと密着させられた。
これまでのキスがまるでごっこ遊びだったかと思えるほど、頭の芯がグラグラと痺れて熱を帯びていく。何度も何度も、角度を変えながら互いの熱を交わし合った。

「はぁ……はぁ……っ」
「……唯、好きだ」
「……あっ……」

荒くなった呼吸を必死に整えていると、悟が私の首元に顔をうずめ、柔らかい肌に唇を押し当ててきた。キスで過敏になった肌に触れられ、ビクッと身体が跳ねる。そのままチュッ、と小さく音を立てて何度も吸い上げられていく。
(やばい……このままやと、流されてしまう……!)

「さ、悟……っ!」
「うわっ!」

私は残された力を振り絞り、悟の広い胸をドシッと押し返した。体勢を崩した悟は、そのまま床へと転がり込んで頭を打った。

「ご、ごめん!! そこまで強く押したつもりなかったんやけど……っ」
「……俺も悪い。その、我慢できなくて……無理やり……」

悟はゆっくり身体を起こすと、気まずそうに頭の後ろをさすった。きっと、私が本気で嫌がって突き飛ばしたのだと誤解させてしまったかもしれない。
その不安を打ち消すため、私は彼の唇に軽く一度だけキスを落とし、まっすぐ青い瞳を見つめた。

「私も……嫌とかじゃなくて、その……まだ少し怖いんと、なし崩し的に進めたくないなって思って……。でも、いつかは悟とそういう……もっと先のこと、したいと思っとるから!だからっ、今はまだキスまでにさせてください……!」

一気に思いを吐き出したせいで息が切れる。悟は驚いたように目を丸くしていたけれど、やがてハハッと声を上げて笑い、愛おしそうに私の頭を撫でてくれた。

「分かった。俺も急ぐつもりはないし、お前が怖くなくなるまでちゃんと待つよ」
「……ありがとう」
「ちなみに……キスはどこまでならいいの?いつもの軽いヤツか、さっきの深いヤツか」
「……深い方、が良いです」
「了解」

もう一度顔を見合わせ、触れ合うだけの優しいキスを交わした。
少しだけ二人の距離が重なり合った、甘くて暖かな春の夜だった。