訓練


静まり返った放課後の校舎。使われていない空き部屋に、一人で籠もっていた。

「うーーん、何が違うんやろ……」

ぽつりと漏れた言葉が、誰もいない室内に寂しく響く。
私の呪力は、夜蛾先生いわく「狙いが定まっていない」らしい。そのせいで術式を発動するのにも余計な時間がかかるし、細かい調整となるとまるで歯が立たない。

脳裏に浮かぶのは、以前見た五条くんの戦闘姿だ。 無駄のない正確な動きで、的確に狙いを定め、目的の呪霊だけを綺麗に祓っていた。あの鮮やかなイメージを頭に描き、必死に自分の術式をコントロールしようとするものの、現実はそう甘くない。
(イメージ通りに扱えたらいいのに……。呪術って、やっぱり難しいな)
傑にもコツを聞いてみたことはある。けれど、彼の術式は呪霊操術という特殊なものだから、参考にしようにも感覚が違いすぎた。硝子は言わずもがな反転術式による治癒の専門で、これまたベクトルが違う。
壁に行き詰まり、思わず大きなため息がこぼれた。

「……あー、五条くんに教えてもらいたいなぁ」
「俺がなんだよ」
「……うわっ!?」

不意に聞こえてきた声に、心臓が跳ね上がった。 振り返ると、いつの間にか開いていたドアの隙間から、五条くんがこちらを覗き込んでいる。……嘘でしょ、今の独り言、絶対に聞かれた。

「……1人で何してんの」
「えっと、あの、呪力の訓練的な……っ。ごめん、なるべくうるさくないように気をつけてたんやけど」

珍しく彼から話しかけてきたことに驚き、しどろもどろになりながら弁明する。 物を壊さないよう、床に転がした空き缶やペットボトルを呪霊に見立てて術式を使っていたけれど、もしかしたら音が響いて迷惑をかけてしまったのかもしれない。怒られるのを覚悟して、恐る恐る彼の次の言葉を待った。
けれど、降ってきたのは予想とは全く違う言葉だった。

「術式、使ってみろよ」
「……え?」
「早く」

五条くんは私の横まで歩み寄ると、床に転がる1つの空き缶を顎でしゃくった。 何の意図があるのか分からないまま、促されるままに手を出力する。空き缶を小さな結界で囲み、そのまま一気に押し潰した。
――ぐしゃっ。
静かな部屋に、不格好に歪んだ金属音が響く。

「……えっと、やってみたけど……」
「……雑すぎ」
「へ?」
「俺は空き缶だけ指したのに、その下の床まで抉れてんじゃん」

言われてハッと足元を見た。確かに、空き缶の直下にあった床のフローリングまで結界に巻き込まれ、表面がガサガサに削れてしまっている。 床を無傷のまま空き缶だけを潰すには、それこそ緻密な術式調整が必要だ。けれど、今の私の力量ではそれができない。自分でも痛いほど分かっていた課題を、あっさりと指摘されて胸がキュッと痛んだ。

「それは分かってるけど、どうしたらいいん……。五条くんみたいに上手くコントロールできんから、こうやって悩んでるんに……」
「……まず術式じゃなくて、そもそもの呪力コントロールができてねーんだよ。その空き缶、術式抜きの呪力だけで飛ばしてみろよ」

呪力だけで、飛ばす――。
術式を覚えてからというもの、私はずっとその効果だけに頼りきっていた。だから、純粋な呪力の塊をぶつけるような基礎的な攻撃なんて、考えたこともなかったのだ。

言われた通り、もう一度新しい空き缶を少し離れた場所に並べる。集中し、指先に呪力を練り上げてまっすぐ放った。
しかし。
パツン、と虚しい音が空気を切り、呪力の弾は空き缶の遥か脇を通り抜けていった。

「あれ……? 当たらん……」
「だろ。これができなきゃ、そもそも術式の微調整なんて無理に決まってんだろ」

……ぐうの音も出ないほど、五条くんの言う通りだった。 基礎の基礎である呪力を狙った場所へ放つことすらできていないのに、その上に複雑な術式を乗せて扱おうなんて、身の程知らずもいいところだ。これまで独学で身につけてきたからこそ、私の呪術の軸はブレブレで、穴だらけだったのだと思い知らされる。
一から、やり直さなきゃダメだ。

「……私、勘違いしとった。強い術式さえあれは、強い呪霊を倒せるんやって思っとった。でも、本当はみんな、基礎をちゃんと身につけて呪力を正しく扱えるようになって初めて、強い術式も使いこなせるようになるんやね。……術式頼りだった意識、改めます」

自分の甘さを認めて頭を下げると、五条くんは少しだけフンと鼻を鳴らした。

「……とりあえず、その空き缶飛ばせるようになったら教えろよ」

それだけ吐き捨てるように言うと、彼はひらひらと手を振って、背を向けて部屋を出て行ってしまった。
パタンとドアが閉まり、再び静寂が戻ってくる。
去っていったドアを見つめながら、じわじわと実感が湧いてきた。 あの五条くんが、わざわざアドバイスをくれた。いつも必要最低限のことしか話さないし、私に興味なんてなさそうなのに。
(……実は、優しい人なんかな)
そう思うと、自然と頬が緩んでいくのが分かった。胸の奥が、ぽっと温かくなる。

「よしっ……! 目標もできたし、頑張ろ!」

両頬をパンと叩いて気合を入れ直す。 もう一度空き缶に向き直り、指先に静かに、けれど確実に呪力を込めた。