スイカ
夜の静けさが、高専の長い廊下にじわじわと染み込んでいく。
明日は1日お休みということもあって、硝子の部屋にお邪魔していた。 高専に来てから2ヶ月が過ぎた。最初は右も左も分からず緊張の連続だったけれど、ようやくここでの暮らしや東京での生活にも慣れてきたところだ。硝子とは定期的に部屋へ集まったり、買い出しのついでにちょっと遠出したりと、今ではすっかり気心の知れた仲になっている。
畳んだ膝の上に肘を載せ、硝子が煙草の煙をふぅと吐き出した。
「それで、最近は五条も稽古してくれてるんだ」
「稽古って言えるほどのもんじゃないけどね。私が1人で訓練しとると、時々顔を出してアドバイスくれるげん」
「ふーん……あの五条がねぇ」
硝子の感想は、私と同じだった。 あの唯我独尊で、他人の育成なんて1ミリも興味のなさそうな五条くんが面倒を見てくれるなんて意外すぎる。どちらかと言えば私の成長を楽しみにしているというより、見ていられないほど稚拙な私の呪力操作に痺れを切らして、口を挟んできているだけなのかもしれない。
けれど、彼のアドバイスは驚くほど的確だった。不器用なりに、自分が着実に階段を登っている実感がある。
「前より刺々しい感じも無くなってきたし……ようやく1人のクラスメイトとして見てもらえとる感じかなぁ」
「あいつの初対面の態度の悪さは、私らの時も一緒だったよ。だから夏油ともすぐ喧嘩してたし。ま、お坊ちゃんだったからしょうがないんだろうけど」
「そうなん?」
「そ。だから、気にせず気楽に話せばいいよ」
そっか。五条くんのあの態度は私にだけ特別冷たいわけじゃなくて、単にまだ打ち解けていない相手に対する態度だったんだ。 硝子の言葉に、胸の奥が少し軽くなる。もっと仲良くなれたら、傑や硝子に見せるみたいに、私にも砕けた顔を見せてくれるようになるんだろうか。
たった4人しかいない大切なクラスメイト。もっとみんなで仲良くなって、いろんなところへ遊びに行けたらいいな――そんな、少し先の未来に思いを馳せていた、その時だった。
――コンコンッ。
部屋のドアが軽やかにノックされた。
「はーい、誰?」
「私だよ。唯も中にいるかい?」
「あ、うん、おるよー!」
「ちょうど良かった。今日、悟と行った任務の帰りにスイカをもらったんだ。みんなで食べようと思ってね」
硝子がドアを開けると、大きなお皿に山盛りのスイカを載せた傑が立っていた。そしてその少し後ろには、手持ち無沙汰そうに壁に寄りかかる五条くんの姿もある。
「スイカ!! 今年まだ食べとらんかったからめっちゃ嬉しい……!」
「お前ら2人を部屋に入れるのは癪だけど、スイカに免じて許してやる」
「ついでにUNOしよーぜ。俺、今日買ってきたから」
ずかずかと上がり込んできた2人を交え、テーブルを囲んで4人で輪になった。 並び順は、私、硝子、傑、五条くん。
今日の五条くんは、なんだかいつもより一段とテンションが高い。傑たちと一緒にいる時の彼にとってはこれが通常運転なのかもしれないけれど、私の前でこんな風にはしゃぐ姿を見せるのは初めてだった。
私と硝子は、テーブルに置かれた鮮やかな赤い一切れを手にとる。
「スイカ、いただきます」
「私と悟も、さっき切りながらたくさん食べたからね。唯と硝子で食べてしまって構わないよ」
「じゃ、お言葉に甘えて遠慮なくいただきまーす」
一口かじると、しゃくっとした心地よい食感とともに、甘い果汁が口いっぱいに広がった。 実家にいた頃も、夏になればよく家族でスイカを食べたものだ。高専に来てからは怒涛の毎気で夏らしいことなんて何一つできていなかったから、なんだか無性に幸せな気分になる。
「ところでさ、最近ヤガセンあんま口煩く言ってこなくね?」
「噂じゃ、最近奥さんとの仲が良いらしくてね。それで浮かれているんじゃないかって」
「えっ! 夜蛾先生、結婚しとったんや……意外」
「結構失礼なこと言うね、唯」
「いや、変な意味じゃなくて! こう、ダンディーなおじさんって感じで、ずっと独身を貫いてそうなイメージがあったというか……」
「ダンディーおじさんが、可愛いぬいぐるみ作るのを趣味にするわけねーだろ」
くすくすと笑い合いながら、学生らしく先生の噂話で盛り上がる。 五条くんも、私の言葉にごく自然に言葉を返してくれる。こうして夜にクラスメイトみんなで集まって、くだらない話で笑い合う時間。きっと普通の高校に通っていたら味わえなかったであろう非日常に、少しだけ胸が高鳴った。
それから、五条くんが買ってきたUNO大会が始まった。
久しぶりに遊ぶUNOだったけれど、これが想像以上に白熱した。全員が本気でカードを出し合い、負けた人にはちょっとした罰ゲームが課されることもあって、部屋の中は熱気に包まれる。
「……楽しいなぁ」
「ん? なんか言った?」
傑と硝子が最下位決定戦の死闘を繰り広げている最中、思わず漏れ出た私の独り言を、隣に座る五条くんが拾い上げた。
そういえば――と、私は思い出したように顔を上げる。一昨日に五条くんから出されていた課題が、ちょうど今日できるようになっていたのだ。
「そうそう、空き缶潰さずに呪力で飛ばすやつ、できるようになってん! めっちゃ難しかったけど、五条くんが言っとったイメージを意識したらできたよ!」
「へぇ、良かったじゃん。じゃあ、明日からは術式使っての練習な」
「えっ、使っていいん!?」
「それだけ呪力コントロール出来てんなら充分でしょ。明日1日空いてんなら、朝からやるぞ」
「ほんとに!? ぜひお願いします!」
「……っおい、近いって!」
明日からようやく本格的な術式の訓練に入れること。そして、あの五条くんが朝から付き合ってくれるという嬉しさで、私は夢中になって体を前のめりに乗り出していた。五条くんは少しだけ驚いたように目を丸くし、気まずそうに顔を背けた。
ほんの2ヶ月前は、こんな距離感で話ができるなんて思いもしなかった。
今はまだ、五条くんの何歩も後ろを必死についていくだけの私だ。けれど――いつかは彼の隣に立っても引けを取らないくらい、強く頼もしくなりたい。
少しだけ耳を赤くした五条くんの横顔を盗み見ながら、私は心の中で静かに誓った。