やみこ
許してほしいなんて思ってない。ただ、彼女が幸せでいてくれるならそれが一番うれしい。
あの子は私を王子様と言った。言われたその瞬間――そう言った彼女のあの嬉しそうな笑みを見たとき、私は固く決意したのだ。――彼女の、王子さまになろう、と。
なんだって良かった。それで君がもう泣かないでいてくれるなら。再会したあの日、陰りのある表情で、泣きそうな顔で笑みを浮かべた君を見た時の、あの絶望感に比べたら。
男になりたかった。そうしたら家族が苦しむこともなかったし、君の本当の王子様になれたのに。全て丸く収まるのに、どうして私は女だったんだろう。己の性が憎かった。ガリガリになった体は凹凸が少なくても己は女なのだと主張する。ああ、なんて醜い。自己嫌悪は日々募るばかりだ。
――守れたかな。今度こそ、守れたかな。薬品の臭いが充満した部屋で、ひとり呟く。視界がぼやけて、呂律もあまり回らない。手先の感覚も薄れている。もしかしたら死ぬかもしれない。でも、恐怖はなかった。それどころか、充足した気持ちを抱いている。体も動かない、全体的に麻痺したような感覚。漠然と、自分は今病院に居るのだと理解した。
守れたかな。守れたのなら、それが一番嬉しい。幸せになってほしい、人並みのものでいいから、どうか幸せに。私みたいな偽物の王子様じゃなく、本物の王子様と幸せになって。あなたがもう泣きませんように、あなたがもう苦しみませんように。視界の端にちらつく闇が、私のタイムリミットを教える。……ああ、もっと一緒に居てあげたかった。
「愛に勝るものって知ってる?」
「狂気だよ」
「あの子はね、愛を貫いて狂気の域までいってしまったから」
「后くんにはできないことをした。あの子が貴方にして欲しかったこと、望んだことを全て叶えてくれたのは彼女だった。唯一の親友で、相棒で、かけがえのない人――あの子の世界にひとりだけの王子様」
「もともと、生きる気力が酷薄な子でね……だから、不謹慎だってわかってたけど、嬉しかったの。あの子が、あなたの為に生きるって決めたことが……ああ、この子はあなたを守る限り、死ぬことはないって……」
「私が産まれるまでは、明るくて溌剌としたひとだったんだって。比紗さんとも、よく会ってて……でも、私が死にかけながらでも産まれちまったもんだから、心を少し病んじゃって。それから今のお母さんができたんだよ」
「お母さんをあんな風にしたのは、私だ。私が産まれてきたから、男じゃなかったから……お母さんを、家族を不幸にしたんだ」
「嬉しかった。救われたんだよ。まだこんな、こんな私にも生きる価値が少しでもあるんだって……私を、必要としてくれる人が居るんだって」
「だから決めた。私が、この子の王子様になるって。いつか、この子が心から愛するひとができるまで、私を必要としなくなるときまで、それまでは、ずっと側に居る。ずっと手を繋いで、一緒に生きようって」
「君さあ、ほんとのほんとにあの子のこと心配してるの? ……ほんとは、嬉しいんじゃなぁい? これで愛する兄さんは僕だけ見てくれる〜って、傷だらけのあの子見たとき、一瞬でも思っちゃったんじゃ? ああ〜、だめだよう、そんなわっかりやすく顔に出しちゃあ……そうだよねえ、君にとってはあの子は予想外の存在だった筈だものねえ? まさに目の上のたんこぶ! 内心苛立ったでしょう? 漸く出会えた自分を愛してくれる、世界でたった一人の愛する兄さんが世界で一番愛してる妹! あの子ばかり気にかけて、自分だけを見てほしい気持ちが心の奥底にぷかぷか浮かんでたでしょう? んふふふ、うふふ!
……あーあ、所詮は愛もろくに知らない子供か。つまらなぁい」
「悪食が過ぎるよ、可愛い妹。すまないね、言くん。この子はオブラートに包むのがどうも苦手で」
「それ、フォローのつもりなの、真弥さん……」
「今のままだとあんたの妹は死ぬし、あんたは一生それを引き摺ることになるよ」
「御門。アンタと結婚せえへんのは子供たちのことが原因やない。それ以前の問題や。……アタシはアンタより后やなまえを愛しとる。それだけ。アンタを一番にすることはこれからも無い」
「分かっとるやろ。アンタ達の存在が、なまえを苦しめとる。――勘違いせんでほしいんやけど、アタシは言ちゃんを愛しとるよ。血は繋がっとらへんけど大切な息子やからな。でも、それとこれは別問題や。……后、アンタに言うたな。言ちゃんをここに住まわせる時約束したこと、忘れてへんよね?」
「……なまえに気を使わせない。なまえの帰る場所は此処だから、何をするにしても、なまえを一番に考えろとはいわないけれど、あの時なまえを守るって誓ったことを忘れるな、だよな」
「アンタはそれを守れたんか?」
「……守れなかった。昔、あのとき、拐われたとき、守るって決めて……でも結局、今回もオレは何もできなくて、」
「なまえ達は此処から消える決意を固めた。……アンタだけのせいってわけやない。此処に言ちゃんを住まわせることを許した時点で、御門を本気で追い出さへんかった時点で、アタシも同罪や」
「やから、アタシもハッキリさせなアカン。――アタシはな、もう御門とやってくつもりは無いし、正妃になるつもりはない。例え勝手に籍をいれられてたとしても、それだけは変わらん。納得してへんのはアンタだけや。藤王さまも一位さんも理解してくれた。……お義母さまもな。あの子のこと、可愛がりたいってずっと思ってはったから」
「いつか、遠い場所に行きたいと思ってた頃があるの。ずっとずっと昔に……まだ、私がきれいだった頃に」
「なまえはきれいだよ。今も昔も、変わらず」
「……もう、きれいなんかじゃないよ。こんなに汚れて、穢れて、たくさんの人を傷つけて。ごめんね、瑞宮くんの大切なひとも、傷つけてしまった」
「ボクは、後鬼瑞宮は、言様のシンパだよ、確かにね。……でも、生駒瑞宮は、君の幼馴染みは、君がなによりも大切だよ」
「ありがとう――その言葉だけで、もう、十分だよ。ありがとう、瑞宮くん。あなたと、出会えてよかった……」
「いつか、いつか必ず償う日が来る。私は、自分の罪を清算しなきゃいけない。だからもう、お兄ちゃんとは一緒に生きられない」
「さよなら、おにいちゃん。だいすきだったよ」