【謎時空/ハロウィーン】




ジークはその端正な顔を驚きに染めていた。
コンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれた広い主寝室。キングサイズのベッドとナイトテーブルだけを置いた殺風景なそこは、以前までのジークにとって睡眠という身体の機能回復の為だけの位置づけだった。
無彩色で統一された空間に色が増えたのは、つい最近のことである。
透き通るような淡い水色。愛おしい恋人の髪の色だ。
色が増えてから寝室の位置づけも変わっていった。以前は数時間の睡眠だけに使われていた部屋が、今では恋人と語り合いふたりだけの秘密を共有する大切な場所となっている。
任務が一段落し、明日は久しぶりの休暇だった。
度重なる予定変更で長引いた戦艦生活には“プラントの番犬”とされるジークでも流石に辟易としていた。
今夜はゆっくり過ごそうと風呂を済ませ、意気揚々と恋人が待つ寝室の扉を開けたのだが…
ジークは目に飛び込んできた光景に言葉を失った。それと同時に、先刻一緒に風呂に入ろうという誘いを断った恋人の言葉の意味をようやく理解した。

『――今日は私に先に入らせて。ジークはその後。ゆっくりしてきてね?絶対、絶対よ?』

その頑な姿に何やら企みがあるのだと察して、それ以上しつこくするのもどうかと思い引き下がったのだが、まさかここまでとは…

「…なんのつもりだ」
ジークはなんとか平静を取り繕おうとした。
なるべく静かに、ゆっくり、低いトーンで彼女に尋ねる。
「フィーネ」
ベッドの上に座り込んでいた恋人が笑う。
その姿はあまりにも刺激的で、ジークの目には毒だった。
「なにって…ねこさん」
フィーネはベッドから降りると、その場でくるりと回転してみせた。
黒い尻尾がふわりと宙を舞った。
あるはずのない尻尾。それが彼女が履いている紐ショーツに縫い付けられたものだと気付くまでに数秒の時間を要した。
緩くウェーブがかかった髪からは、猫耳が生えている。
「フィーネは、エアリスさんちの黒猫さんです」
透け感のある黒いベビードールから白い太腿が惜しげもなく晒されていた。細い首には革の首輪。胸元は大きく開いていて豊かな谷間がくっきりと見え、裾からは形の良い臍まで見えている。
ジークは思わずごくりと喉を鳴らす。
そんな彼の様子に気付いているのかいないのか、フィーネは上目遣いで小首を傾げた。
「今日は10月31日よ?ハロウィーン…」
この浮世離れした恋人は、明らかにハロウィーンの意味を間違えている。
そもそもハロウィーンというのは地球の西側発祥の宗教行事である。時代が流れ民間行事としての娯楽性が強くなったが、それでも仮装をして楽しむのは主に子ども達だ。決してこのような大人の邪な欲を刺激するものではない。
ジークは昼間に見た可愛い部下たちの顔を思い浮かべた。
今日任務をひとつ終えた子どもたちへの“ご褒美”は、ハロウィーン限定だという菓子だった。ジャック・オ・ランタンや魔女をモチーフとした色鮮やかな菓子の数々に喜ぶイルミとエルヴィンを見て、微笑ましく思ったものだ。
一緒に食べようと誘ってくれた子どもたちに「もう楽しめる年ではない」と言った矢先だというのに。
「見て。これね、お耳も尻尾もよく出来てるの…ふわふわ」
猫耳を両手で持ってフィーネは得意げにポーズをとってみせた。
彼女が動く度、首輪につけられた鈴が鳴った。
ジークは目の前の恋人の愛らしい姿を目に焼き付けながら、記憶の中の子どもたちの笑顔に謝罪する。
チリン、チリン…フィーネの動きに合わせて揺れる鈴の音が頭に響くたび、子どもたちの純粋無垢な笑顔が霞んでいった。

――すまない。お前たちが慕う“強くて優しい隊長”は今、目の前にある極上の菓子が放つ甘い誘惑に負けようとしている。

「…ジーク?」
やがて、何も言わないジークにフィーネは不審の眉を寄せた。
少し考える素振りをしたかと思えば、今度はショックを受けたような顔になる。
「もしかして」おずおずとジークに近づく。
「…こういうの、嫌いだった?」
急に不安になってきたのか、彼女の声は今にも泣き出しそうなほど震えていた。
ジークは慌てて否定する。
「いや、そんなことはない」
「ほんと?」
「ああ…」
ジークは降参だというように肩を落とした。
「…かわいい」
その瞬間、フィーネはパッと顔を輝かせてジークに抱きついた。
「ハッピーハロウィーン、狼さん」
ちゅっという音とともに唇に触れる柔らかい感触。そしてすぐに離れていく温もり。
ギリギリで保たれていたジークの理性がプツンと切れた。
「トリック・オア…きゃっ…!」
お決まりの台詞をフィーネが言い終わる前に、ジークは彼女を軽々と抱き上げてベッドに運んだ。
純白のシーツの上に投げ出された艶やかな肢体を見下ろせば、抗えない獣の欲望がせり上がってくる。
「悪いな、今夜は菓子持ち合わせてねぇんだ」
ベッドに乗り上げ、誘うように薄く開いた花唇に触れる。
「かわいい猫の悪戯なら、甘んじて受けよう」
指先に熱い吐息を感じた。
覆い被さるようにして今度は自らの唇を重ねれば、甘い蜜の味がした。
ゆっくり深く、口内を味わうように口付ける。フィーネも素直に応えた。
そうして長い時間重ねた唇がどちらかともなく離れると、フィーネがクスクスと笑みを零した。
ジークの頬を両手で包んで瞳の奥を覗き込む。輪郭を確かめるように撫で、やがてその手は頭に…
「ねぇ、狼さん」
黒髪に指を差し入れて優しい動きで何度も梳いた。硬い男の髪など、触れて愉しいものではないだろうに、フィーネの声色は穏やかで幸せそうだった。
「ここに、お耳が見えるわ。お尻にあるのは尻尾かな?」
まるで愛玩動物ペットを相手にしているかのように、フィーネは慈しみの眼差しを向ける。
「尻尾、嬉しそう。正直な子は好きよ」
ジークは悪戯っぽく白い歯を覗かせた。
「気を付けろ。牙もある」
彼女はもう一度クスッと笑うとゆっくりと目を閉じた。
ジークは彼女の首筋に舌を這わせ、その甘い色香を放つ柔肌に噛み付いた。