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呪のアンケートにて『乙と五と甘い関係になってほしい!』コメントくださった方へ。
追記から乙のSSです。
五条と死んだはずの後輩設定(肉体は高専生時代だけど中身は七海と同級生で、その記憶が戻った後の話)で、渋谷事変後の東京での乙との話。
(名前変換なし、デフォ名なし、彼女表記)
















 守りたいと思った。五条先生の、大切な人だから。五条先生が僕を救ってくれたように、僕も彼女を守りたいと思った。
 ──初めはただ、それだけだったんだ。





 頬に浴びた血を拭っていると、ポツリ、冷たいものが落ちてきた。
 見上げれば鈍色の空。太陽は遠く、重たい翳りの奥深く。もう降り出してきたのか、と物陰から飛び出してきた呪霊を祓いながら思う。ここ最近はずっとそうだ。
 太陽を最後に見たのは、果たしていつのことだったろう。

「……五条先生がいてくれたら、」

 独りでに零れ出た声。救いを求めるその言葉を口にしてしまってから、慌てて辺りの様子を窺う。
 ……よかった、誰かに聞かれた様子はない。憂太の周りにあるのは静寂と、呪いの気配だけ。首都東京は、すっかり荒廃しきっていた。
 憂太は首を振り、瓦礫の山を越えていった。
 百メートルほど進むと、小さな影が見つかった。高専の、見慣れた制服。血の赤色さえ飲み込む、深い深い夜の色。彼女の振るう刀が、陽の僅かな光を集めて閃いた。

「少し休憩にしましょう」

 声をかけてから近づく。そうしなくては今の彼女には届かない。届いたところで、「七海くん、」……正しく認識されないこともあるけれど。
 それでも憂太は笑う。痛む胸からは目を逸らして。

「雨が降ってきましたよ」

「あら、ほんとう」

 美しいひとは吐息して、空を仰ぐ。そんなことせずとも濡れた額が真実を語っているというのに。ぼんやりとした眼に、雲に覆われた太陽は映らないのだ。
 「そんな予報、出てたかしら」「天気予報だってたまには外しますよ」首都機能は停止した。今の東京はまったくの荒野。気象庁だって働くのをやめている。
 でもそんな説明は無意味なもの。多くを語らず、憂太は彼女の手から刀を取り上げた。
 呪力で作られたそれは、たちまちのうちに霧散。憂太の手には何も残らなかった。だからその代わりに彼女の手を取る。

「あんまり濡れたら駄目ですよ。女性は身体を冷やすものじゃないってよく言うじゃないですか」

「相変わらず心配性なんだから」

「迷惑でしたか?」

「いいえ、ちっとも」

 ふふ、とちいさく笑む。その様の、縹渺たること。数ヶ月ぶりに再会して以来、彼女からはいつだって雨のにおいがした。
 憂太は目を伏せる。──大切な人をなくす痛みは、僕にもよくわかる。

「この辺だと休める場所は……」

 首都東京は世紀末。近未来もののSF映画みたいに、一夜を明かす場所を探すのでさえ難しい。
 打ち捨てられたホテルを使うのが一番手っ取り早いところだけど……、

「そこの屋根の下で待ってて。設備が整ってるところを探してきますから」

「私はどこでもいいよ。天井さえあれば」

「そういうわけにはいかないです」

「でも、」

 渋る彼女を廃墟の軒先に残して、走り出す。
 早く、早く、早くしないと、

「おかえりなさい」

 どれくらい経ってからか。足早に戻ると、ゆったりとした笑みに迎えられた。
 よかった、見失うことがなくて。安堵とともに、濡れた彼女の頬を制服の袖で拭う。……と、彼女は猫のように目を細めた。

「どうしたんですか、五条先輩。今日は随分とお優しいのですね」

 ………………、

「そうかな。これくらい、普通だよ」

 それより早く行こう。再び手に取った彼女の手のひらは、先程よりずっと冷たく感じられた。
 例えば……そう、

 ──死体、だとか。

 厭な想像だ。帰ってきて以来、そんなことばかり考えてしまう。荒れ果てた街で呪霊ばかりを相手にしているせいだろうか。
 彼女の手を引いて向かったのは、先刻見つけた廃ホテルだった。潰れたのは渋谷での騒動が原因なのだろうが、人の手を離れた建物というのは急速に老いていくものらしい。家具や設備の真新しさとは対象的に、壁や床のあちこちにヒビが入っていた。だが強度に問題はなさそうだ。雨漏りしている様子も見受けられない。

「当分止みそうにないね」

 浴室からは水しか出てこなかった。仕方なく、客室に備え付けてあったタオルを使う。制服の上着を脱ぐと、肌寒さを覚えた。
 秋は短い。冬はもうすぐそこまできている。
 彼女が小さくくしゃみをした。

「あっ、ごめん!僕がいたんじゃ落ち着けないよね!?」

「いえ、お気になさらず……」

「僕が気にするから!」

 そうだった。目が離せないからと同じ部屋に入ったけど、彼女は女性だ。
 憂太はもう一度「ごめん」と言ってから、客室を出た。
 細く伸びる廊下。埃っぽい壁に寄りかかり、頭を抱える。と、割れた電球が靴の下で軽い音を立てた。
 けれど瞼の裏に残るのは制服の下に隠されていた白いシャツで、

「ごめんなさい、憂太くん。迷惑をかけてしまいましたね」

 閉めたばかりのドアが開いたのは、白魚の指によるところの。それよりもなお白く、蒼くさえ見ゆるのは、本来であれば血の気の通うはずの頬の色。悔恨に冒された双眸は、何より己自身に倦んでいる証だった。
 ──あぁ、いっそ狂ってしまえたら。

「僕は平気ですよ。迷惑だなんて、ちっとも思ってない」

 もっと頼ってくれていいんだよ、と言ったのは慰めのためではない。本当だ。彼女に頼られるのは嬉しい。
 ──それがたとえ、誰かの代わりであったとしても。

「……たとえそうであっても、私は私がゆるせない」

 彼女は唇を噛む。
 友人を、先輩を。大切な人を喪い続けた彼女は、それでもまだ正気を手放せない。
 いっそ狂ってしまえたら楽だろうに。だのに彼女はギリギリのところで踏みとどまり、それが故に苦しみのただ中に取り残されている。──たった独りで。

「……あんまり噛むと、傷になりますよ」

 同情なのだろうか。憐憫なのだろうか。己自身でもわからぬままに、憂太は彼女の頬に手を添える。
 小さな体だ。本当は自分よりずっと歳上なのだと知っているけれど、でも今の彼女は守るべきもののその象徴であるように思えてならない。この冷たい肌の、凍りついた眼の、張りつめた心臓の。……温もりを分け与えるのが自分の役目であるといい。そう、願っている。いつの間にか。

 ──たったひとつの太陽になれはしないと、わかっているから、

 青みがかった目が、つと上向く。

「……ごめんなさい」

 大丈夫だよ。そう言っても、彼女は決して信じてはくれない。
 だからその代わりに彼女の冷えた身体を抱き締めた。
 濡れた前髪が首筋を擽って、おかしくもないのに笑ってしまいそうだった。それと同じだけ悲しくもないのに泣いてしまいそうだった。……彼女もおんなじ気持ちだったのだろうか?
 背中を掴む指は、ちいさく震えていた。


カテゴリ:ネタ
2022/07/11 23:32


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