南雲と蜂蘭の話


 分厚いガラスで密閉された温室は、持ち主の第一印象そのもの。外の喧騒など嘘のように静まり返り、その静寂はどこか冷たく、余所余所しい。他の人間が寄りつかないのも納得だ。一人頷いていると、小さな実をつけた低木が南雲の目に留まった。
 その実は親指ほどの大きさだった。いかにも甘そうな、真っ赤な木の実。日差しを浴びて艶めくそれは、食べてくれと誘っているかのようだった。

「……それはドクウツギ。興味本位で口にするのはお勧めできないのです」

 眼の前の木が喋った。……のではない。その声は木立の間、木の根元に座り込んでいた少女が発したものだった。
 見上げる茫洋とした双眸に、温度の感じられない平坦な声。木の実や木の葉の詰まった籐籠を抱える少女に、南雲は相好を崩す。

「心配してくれるの〜? 優しいね、名字ちゃんは。でも大丈夫、木の実を食べなきゃいけないほど飢えてはないからね〜」

「それなら良かった。飢えはとても苦しいものですから……」

 『良かった』というわりには、まるきりの無表情。でも本心からの言葉であろうことは南雲にもわかる。この一年ほどの付き合いの中でそういうものなのだと理解した。
 毒殺科に属する彼女──名字名前は『良いヤツ』だ。南雲が内心で『殺し屋には向いてないな』と思うほどには。

「ていうかさすがにドクウツギくらいは分かるよー。JCC(ここ)じゃ毒殺されるのも珍しくないしね〜」

「そう、らしいですね。あいにくと私には経験のないことですが……」

「そりゃあ……、毒殺科の生徒を毒殺しようなんて無謀なヤツ、そうそういないでしょ」

 『緑の魔女』だの『毒殺科の白百合』だの──陰で漫画のようなあだ名を付けられ、恐れられていることなど露知らず。年下の同期は「なるほど」と呟く。知らぬが仏。世間知らずの高枕。南雲は笑みを絶やさない。
 ──ここは箱庭。心地の良い静けさを壊す必要がどこにある?

「名字ちゃんはなにしてるの? サボり?」

「いえ、収穫をしていたのですが疲れてしまって……。今は光合成を行っているところなのです」

「ひ弱すぎ〜。そんなんじゃすぐ殺されちゃうよ?」

「その時はひと思いに済ませてほしい……」

 呑気なもので、少女は大きな欠伸をひとつ。睡魔に侵された声はぼやけていて、まるで危機感がない。
 この子は卒業まで生き残れるのか、と他人事ながら南雲は心配になる。……友達だから。

「……僕も日向ぼっこしよーっと」

「サボりですか……?」

「人聞きが悪いな〜。これも戦略の一つだよ。いま授業でかくれんぼしてるんだ〜」

 へらりと笑って、名字の隣に腰を下ろす。
 途端、強く薫るのは瑞々しい緑の香。日に日に強くなる日差しも、大きく手を広げた木々の前では撤退するより他にない。南雲は蒼白くさえ見える横顔を眺めた。
 毒殺科の棟の、その温室。ここまで追手が来るには相当な時間を要するはず。何しろ毒殺科の生徒ときたら人間を実験用のマウスと同列に扱う者たちの集まりだ。他の学科の生徒はよほどの理由がない限り近づかないし、侵入したとして追い返されるのが関の山。よしんば匿ってもらえたとして、見返りに何を求められるか分かったものじゃない。
 ……というのが通説であるが、彼女は南雲の話に相槌を打つばかり。その手にあるのはナイフではなく摘んだばかりの白詰草だった。

「それも薬にするの?」

「はい。……いえ、そのつもりでしたが……」

 珍しく歯切れが悪い。しかし悩んでいる、というよりは困惑気味といった風か。南雲が訝しむのと同じように、当人もまた首を捻っている。相変わらず、双眸からは感情が読み取れないけれど。

「手を……」

「手?」

「少々お借りしたく……」

 彼女の意図することは掴めなかったが、敵意は感じられなかったから「どうぞ」と左手を差し出した。
 利き手にしなかったのは本能みたいなものだ。平和ボケした少女の一人くらい、利き手でなくたって処理できる。そう判断した。

「ありがとうございます」

 委ねられた左手に、名字がまずしたことといえばためつすがめつ眺めること。その後で、「やっぱり指、長いですね……」と感嘆の息を吐いた。

「そう? フツーじゃない?」

「いえ、たとえばこの中指ですが……平均より八ミリほど長いかと」

「コワ、なんでわかるの?」

「……? 南雲さんのことはよく見ていますから……」

「……ふーん」

「きっとまだまだ身長、伸びますよ。人間界のショクダイオオコンニャクになれるかも……」

「その例えはヤだなぁ」

 とはいえ人間、褒められたら悪い気はしない。それは南雲とて例外でなく、しかし『ありがとう』と言うのも何だか違う気がして、結局口を噤んだ。そうなると自然、俯く少女の頭部に目がいく。
 それは小さく、南雲の手であれば片手で引き千切れそうだった。彼女が大きいと褒めてくれた、この手であれば。けれどそれはあまり愉しい想像ではなかった。だから南雲はそれ以上考えることはやめて、自分の指に白詰草を巻きつけようと奮闘する少女へ口角を持ち上げた。

「なになに、もしかして指輪作ろうとしてる?」

「まぁ……」

「えぇ〜、どうしよ。プロポーズされちゃうのかな〜。まだ心の準備もできてないのに〜」

「動かないでください。上手く結べなくなる……」

「ガチじゃん」

 解けては結び直し、千切れてはやり直し……彼女は存外、不器用であるらしい。手つきもぎこちなく、不慣れであることがつくづく分かる。
 『もう諦めたら?』と言ってやろうか。そう、南雲は思った。花の指輪なんてしょせんはおままごと。価値も意味もそこにはない。けれど窺い見た少女の目は真剣そのもの。常には感じられない殺気さえ緩く立ち上っている。
 だから南雲の方が先に根負けした。諦めて、木に成っている赤い実の数を数え始めた。やがてそれにも飽きて、今度は少女の顔貌を観察することにした。
 全体的に色が白く、造りがちいさい。鼻も口も、輪郭そのものも。その中で目だけが大きいものだから、零れ落ちてしまいそうな危うさを孕んでいる。たぶん、べっこう飴みたいな色をしているのも良くないのだ。ジッと見つめていると、口の中に唾液が溜まってくる。そういえばあと三十分もすればお昼だ。この眼を砕いたら、甘さを感じられるだろうか。

「……できました」

 達成感の滲む声に、はたと我に返る。
 解放された指に絡まる白詰草。それは草臥れ、お世辞にも美しいとは云えない代物だった。
 だというのに張本人はすっかりやりきった顔。満足げに「やっぱり南雲さんの指だと映えますね」とひとり頷いている。それがおかしくて、……不思議と嫌じゃなくて、南雲は笑った。

「もー、不器用なんだから。しょうがないから僕がお手本見せてあげるよ」

 下手くそな指輪をつけたまま、今度は南雲が名字の手を取る。
 南雲とて正しい作り方など知らない。けれど自分の力量は正しく理解していた。細かい作業は得意なのだ。だから見様見真似であってもこの通り。
 「はい、できあがり〜」時間にしておよそ一分。たったそれだけで彼女よりもずっとかたちの整ったものを作ることができた。

「おぉ……、さすがは南雲さん、プロと見紛うほどの完成度……」

「いいね、もっと褒めて〜」

「褒め……、ええっと、蜂に擬態したランの如き器用さ……、アップルリングソーンも驚きの賢さ……、殺し屋としての手腕はオコティーヨの芽吹きにも等しく……それから、それから……」

「うーん、キミって褒めるのも下手くそだね〜」

「……待ってください、いま考えますから」

 両手の人差し指をこめかみにやって考え込む少女をよそに、南雲は自分の左手を見る。中指に嵌まる、不格好な指輪を。いつでも解くことのできるそれを、けれど一瞥しただけでそのままにしておくことにした。
 どうせそのうち、自然と壊れてしまうだろう。そう思って、その先を考えないようにした。

「南雲さんなら……」

「ん?」

「とても上手に殺してくれそうな気がするのです」

 そう言って名字ははにかんだ。
 穏やかで、透き通った微笑だった。南雲はホワイトサンズを生み出す鉱物のことを思った。風で砕けてしまうほどに脆く、透明な石のことを。その存在を南雲に教えてくれたのも、眼の前の彼女だった。
 南雲は「そうかもね〜」といつもの調子で相槌を打った。彼女にとっては最大級であろう賛辞の言葉を受け入れてやるべきか迷った。
 そうしながら、彼女とはじめて会った時のことを思い出していた。赤尾から話を聞いて、興味を持って、殺し屋として彼女を襲うフリをした時のことを。
 名字は命を狙われていると知っても動揺しなかった。どころか、喉元に突きつけられたナイフを受け入れようとした。従順に、抵抗の意思など微塵も示すことなく──双眸に、仄かな歓喜と高揚を宿して。

「……ね、名字ちゃん」

「はい?」

「キミのことはさ──、ぼくが殺してあげようか」

 ぱちり、と瞬く目はラムネのガラス玉。はじけるソーダ水を想起させた。夏は近い。

「……それはとてもすてきな提案です」

 控えめに、しかし思わずといった様子で、彼女は口許を綻ばせる。
 分厚いガラスで密閉された温室には風の音さえ届かない。生気溢れる緑の中は、生きとし生けるものすべて死に絶えたかのような静寂が満たしている。
 そう感じてしまうのはきっと、持ち主である彼女が死を望んでいるからだ。名字名前は、自分が理想の死を迎えるためだけに毒物の研究に勤しんでいる。そういう女だと南雲は知っている。知ってしまったから、だからきっと目が離せないのだろう。

「……ぁ、もしかして今の、プロポーズでしたか? ごめんなさい、まだ心の準備ができていないので……」

「ちょっと〜、ひとのセリフ取らないでよ」

 冗談めかして軽く小突く。そう、本当に軽く。……ただし、南雲の基準で。
 名字は「いたっ」と声を上げると、赤くなった額を押さえ、「……そういうことするなら私にも考えがあります」と口をへの字に曲げた。どうやら怒らせてしまったらしい。
 でもその姿は南雲から見れば毛を逆立てた子犬みたいなもので、……つまるところまったく怖くなかった。

「へ〜、例えば?」

 にやにやと続きを促すと、彼女の眉間にシワが寄る。侮られているのだと伝わったのだろう。表情の少ない顔でも、ムッとしているのだけは南雲にもわかった。

「……薬をばら撒きます。あなたのことが好きな方々に」

「……なんの?」

「感度三千倍の薬とか……衣服だけ溶かす薬とか……」

「やば、そんなの作ってんの?」

「頼まれたので……?」

「うわー、倫理観どーなってんの」

「JCC(ここ)で倫理を語ります……?」

「それはそう〜」

 南雲は笑いながら「ごめんね」と謝り、少女のまろい額を撫でた。
 「痛いの痛いの飛んでいけ〜」なんて、まったくの子供騙し。なのに彼女は気持ち良さそうに目を細める。そうしていると南雲の目にはますます小動物じみて見えた。

「……僕以外に殺されちゃだめだよ」

 だから──だろう。まろび出た言葉は幼子に言い聞かせるが如く。思いのほか感触は柔らかく、春の午睡に似た色をしていた。口にした当人こそが驚き、気はずかしさを覚えるほどに。
 ──ではその言葉を向けられた方はといえば、

「それは……なかなかの難題では……?」

「……や、こういう時は大人しく頷いておきなよ」

「できない約束はしない主義ですし……、そもそも私の貧弱さ加減を考えると……」

「そーだけどさぁ〜……」

 淡々とした調子はいつも通りなのに、いつも通りの態度を崩さない彼女に南雲は口を尖らせた。
 気に食わない、腹が立つ……というより、物足りない、ような。言葉では表現できない類の飢餓感があって、だからこそ苛立ちが募る。
 そういう時はいつも以上に彼女の目玉が美味しそうに見えた。砂糖を溶かして作られた、琥珀色の双眸が。
 しかし南雲は理解していた。行動に起こしてしまったら、すべてが喪われてしまうことを。セレナイトはひどく脆い。砕けてしまっては何の意味もないのだ。
 南雲は深く長い息を吐き、名字の肩口へ頭をぐりぐりと押しつけた。空腹感を紛らわすためで、ささやかな反抗でもあった。
 だのに触れたところから、くつくつと震えが伝わってきた。

「南雲さんはヌスビトハギにも似ていますね……」

「……それも全然うれしくない」

「かわいいって意味ですよ……?」

「だから嬉しくないってば〜……」

 感性がおかしいのだ、ヒトをくっつき虫に例えるなんて。そんな彼女と親友でいられるのは自分くらいなものだろう。
 そう言ってやると、名字は穏やかな表情で首肯した。

「……南雲さんはバンブルビー・オーキッドに騙されたオスのマルハナバチを哀れだと思いますか」

「……? それは……かわいそうじゃない?蜂にとっては裏切られたようなもんでしょ」

 バンブルビー・オーキッド。別名、マルハナバチ蘭。その名の通りメスのマルハナバチに擬態した花であり、騙されたオスのマルハナバチは花粉を運ぶ役割だけを押しつけられる。そんなの哀れとしか言いようがない。
 南雲が疑問符を浮かべつつ答えると、名字も否定しなかった。否定しなかったけれど、肯定もしなかった。
 「そうですね、そのように考えるひともいるでしょう」でも私は、

「私にはわからないのです。マルハナバチは騙されたと知ってもバンブルビー・オーキッドに焦がれ続けるかもしれない。もしくは自分とは異なる存在だからこそ惹かれるのかも」

 名字はそう言って、自分の中指に触れた。南雲の作った指輪を。お遊びで作っただけの、偽物を。戯れに触れる彼女の口許は、春の陽だまりのように緩んでいた。
 どうして彼女が突然こんな話をしたのか。南雲にはわかるようでわからない。わからなくて、もどかしくて、居心地が悪くて、……離れがたい。

「……そんなの僕にもわからないよ」

 南雲は思考を放棄した。空腹の時に頭を使うものじゃない。名字の肩に体重をかけたまま、目を閉じる。

「お昼になったら起こして〜」

「……わかりました」

 良い夢を、という言葉とともに、花の匂いが鼻先を掠める。頭を撫でられる感覚があるが、好きにさせておこうと思った。
 何しろ今は春、花の盛りのとき。生ぬるい空気なのもまぁ、……仕方のないことだ。