新しい部下ができた。
首領から直々に頼まれたのでこれはどうやら大物らしいと思って意気揚々、指定された部屋へと向かうと、そこにはポツンと椅子へ腰掛けた女がただ一人、所在無さげに座っていたので拍子抜けして何と声をかけていいものか、思わず口を噤んでしまった。

「中原さんですか」

女はちらりと目線だけ此方へやって、淡々とそう尋ねる。
何と言おうか迷った末に、口から出てきたのは「おう」なんてありふれた面白みもない台詞で、しかしこれから部下となる目の前の女は「左様ですか」と言ったきり動く気配がない。普通自分の上司が来たら腰を上げるだろうしもっと何かしら丁寧な挨拶があって良いものだろうと思うのだけれども、女は腰を上げるどころかぴくりとも動かずに俺をじぃと見詰めている。

「名前は」
「みょうじです」
「手前は何ができる」

尋ねるとみょうじは少し考えたあと、漸く椅子から立ち上がって近づいてきた。仕事柄、相手が堅気か否かは見分けられるつもりでいたが、目の前の女はどうやら明らかに堅気の女の持つ雰囲気ではない。なにせ先程から自分へ巻きつく殺気が並大抵のものではなく、ちょっと気を抜けば殺されるかもしれないと思わせるほどのそれは、間違いなく目の前にふらふらしながら立っているみょうじのものに違いなかったからだ。
危なっかしい足取りで詰め寄ってきたみょうじは、俺の目の奥を覗き見ながら、ぼそりと一言、「人殺しです」とだけ告げた後、それから何も言わずに押し黙った。
ただ立っているだけのそれに気味の悪い女だと思ったけれども、マフィアなんてなる様な奴は大体どこかが世間一般とはずれているものであるし、女となればそれはより一層濃く見られることが多かったので、会話が成り立つのであればさして問題ないだろうと諦めることにした。

「俺は中原中也、今日から手前の上司だ」

言うと女は何故かホッとした様な顔をした。それからスッと柔らかそうな手を伸ばして、俺の髪をつまんでつうとなぞる。

「塵が」

ついていたらしい塵をつまみ見せそう淡々と告げたみょうじは、笑うでもなくむしろ愛想など微塵もなく見上げてきたというのに、いやに自分のうなじがじりりと灼ける感触がしたので、やはり「おう」とありふれた面白みもない返事を返すことしかできなかった。






「手前ちょっとは加減しやがれ莫迦が」
「すみません」

すぐにでも任務に同行させろと首領からの言いつけだったので、敵対組織の殲滅へ連れて行けば、ドンパチが始まってもみょうじはしばらくぼうっとそこへ突っ立ったまま動かず、なんだ口ほどにもないなと思っていたら不意にポケットからジッポを取り出した後に部屋ごと全てを燃やしたので一瞬肝が冷えた。おかげで殲滅は楽々終わったわけだが、敵に撃たれて瀕死だった部下が一人焼け死んだ。
今助手席で涼しい顔して外を眺めている新しい部下の異能は火を操るそれらしい。

「腹減った。飯付き合え」

覇気のないこの女がものを食べるところは想像がつかなかったが、帰るまで空腹を我慢出来そうにない。みょうじは何故かぎょっとした様に此方を見たが、すぐに「はい」と少し掠れた声で返事をした。
出来ればきちんとしたものを食べたいところだが生憎手近に洒落た店などないので、仕方なく適当なところへ車を寄せて入った。店内へ足を踏み入れた途端にみょうじはびくりと細っこい身体を揺らしたが、気にせず奥の席へ座れば大人しくついてくる。

「食いてぇもん頼め」
「…有りません」
「贅沢言うな」
「否、そうでは無く」

恐らくは食欲がないのか、どうにも食に対してあまり執着が無さそうに見えるみょうじに張り合いのない奴めと思いながら、適当なものを注文する。
給仕の女に出された水をちびりと飲んだみょうじは何やらソワソワと落ち着きがない。時折視線をやるのはすぐ脇に見える厨房で、腕の太い料理人が大鍋を煽っているのが珍しいのか、餓鬼かお前はと言いかけたが鍋がフランベで炎を上げた瞬間、「嗚呼」と小さく呻いたので罵倒するのを忘れてその顔に見入ってしまった。
先程まで覇気のなかった目にはぬらりと火が入れられたかの様に光り、薄く開いた唇からは熱い息が漏れる。店内は涼しいというのにじんわりと汗を滲ませた額と首筋はどうにも、恍惚のそれとしか思えず、疚しい事などないというのに見てはいけないもの見てしまった様な気持ちになった。
程無くして給仕の女が其々の前に皿を置いたが、ただただ箸で肉や野菜を摘んで口へ押し込むみょうじは二度と同じ表情は見せず、俺の方も淡々と食事を済ませるとさっさと席を立った。少しも食べた気がしなかった。

車へ戻った後も特に何か会話があるでも無く、静かな車内で助手席に身体を沈めたみょうじをちらりと盗み見る。店内で見せたあの表情は何処へやら、ぼんやりと窓の外を眺める横顔との差にまたじりりとうなじが灼けた。外はまだ暑いからか、ゆらゆらと陽炎が揺れているのが見える。

「おい」

声をかけてみるとくるりと首を回して此方を見る、その目は相変わらずぼうっとしていて捉えどころがない。
信号が赤になったので車を停車させてから、自分のジッポをみょうじの眼前へ持って行って火をつけた。

「あ、」

みょうじは一瞬後ろへ身を引いたけれども、揺らぐ火を見た瞬間に表情が変わった。さっき店の中で見た、あの、ぬらりと身体を舐める火の様な、熱っぽく灼ける目をして、此方を見つめている。
はあ、と吐いた息がいやに熱いので、後頭部の髪を掴んで引き寄せた。唇が合わさるよりも先に、帽子のつばがみょうじの額に当たってスローモーションの様に落ちていく。
外ではまだ、陽炎がゆらゆら、揺れていた。





とかとかあいつとか





160923


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