「なんだ手前、その顔」
「…殴られた」
「馬鹿じゃねぇの」

長期任務帰りで久々に顔を突き合わせたなまえはいつもなら白くてつるりとしているはずの頬を赤く腫らして、ひどく不機嫌そうな表情だった。任務で怪我をするほどヤワではないこの女が顔面に傷を作っているという事は、大方、今付き合っている男と喧嘩でもしたのだろう、頭に血がのぼるとすぐに手が出るのだとこの間も腕にでっかい痣を作っていた。
苛々をもろに態度に出しているなまえに周りの部下たちは怯えっぱなしで、先ほどから一寸ジッポの火が点かないからといって舌打ちを連発するので、見兼ねた広津が横から火を点けてやる始末で、その後俺以外に彼女に話しかけるような物好きはいなかった。

「マフィアの女だからって、殴っていいと思ってんだよあいつ」
「ンな男ボコボコにしてやりゃあ良いだろうに」
「した。最後は号泣して土下座された」
「殺さなかったのか」
「そりゃあ、」

そりゃあ、あたしだって女だし一応に相手は惚れた男な訳だし、だからってマフィア抜けろとか巫山戯た事言いやがるからだったら金積めやっつったらテメェに払う金なんざねぇんだよビッチが、ってそのビッチに食わしてもらってる奴は誰か言ってみろやコラァって思ってそのまま言ったら殴りかかってきて、でも、あたしが惚れたのはその殺すぞみたいな、そういう顔だったんだけどね。
と一息に言ってからなまえはふぅと紫煙を吐き出した。

「殺したほうがよかったかなあ、」

そうやって言った横顔があんまり美しかったので、しばらくそれをぼんやりと見つめてからなまえを飲みに誘った。二つ返事でついてきたなまえは今は行きつけのバーで俺の隣へ座り、嬉しそうにするするとウヰスキーを流し込んでいる。

「なんかさあこう、いつもこういう喧嘩みたいなのをすると、あたしにとって恋愛っていつでも絶望みたいな気がする」
「手前は男の趣味が悪すぎんだよ」
「自分より弱い男に殴られてさあ、その後にボコボコにして相手が可哀想なくらい泣いてるの見たら情けなくて萌える」
「趣味悪りぃ」
「好きになったら相手の情けないとことか可哀想なとこばっかり見たくなるのね、あたし」

趣味悪りぃな。と本日何度目かも分からない台詞を吐き出しながら、代わりに葡萄酒を飲み込んだ。段々ぐらりと頭が揺れる感覚がするけれどもそんなことは気のせいだということにして、隣で水のようにウヰスキーを流し込むなまえの横顔を盗み見た。太宰の野郎に負けず劣らずのザルっぷりで有名な彼女は、今日は心労が祟ってかどうやら少し酔っているらしく、少し前からゆらゆらと頭を揺らし始めているし、呂律も怪しい。長い付き合いではあるがこんな風に酔っ払っているところは初めてかもしれない、と思いながらグラスを空けた。がつん、と自分の頭も揺れる。

「手前は、見せたのか」
「なにを?」
「手前の情けねぇところだよ」

言うと、なまえはぽかんとしてこっちを見つめた。「ああ、うん、」とか何とか歯切れ悪くもごもごと口の中で何か言葉を探しているらしい彼女の目は完全に座り始めている。

「あたしのはいいんだよ」
「何でだよ」
「だってそんなのってさあ負けた気持ちになる」
「恋愛に勝ち負けはねぇだろ」
「あるよ」

あるよ。ともう一度言ったその目が今度はチリチリと焼けるように光った。

だってねえ中也、好きになったってだけで何だか情けないし相手の可哀想なところとか情けないところを見たがってじたばたしてるのも情けないでしょう、それに、ねぇ、思うんだけれどたぶんあたしの恋愛は喧嘩したり振られたりしてその後あんたにこうやって慰めてもらうところまでがそれなんだと思うの。

「つまりは腐れ縁の男に結局いつも慰められてるあたしが一番情けなくって可哀想って話」
「趣味悪りぃ」

じゃあ何なんだ手前は結局一番に見せたくねぇとか言ってたそれを俺に見せてる訳で、それをいつも当たり前のように待っていて、今もこうやって可哀想で情けない自分を俺に見せながらじたばたしているって、つまりはそういうこと。
考えていたら訳が分からなくなってきたので葡萄酒を煽りたかったけれども、先程空けたばかりのグラスにはもう一滴も残っていなかった。手を上げてマスターを呼ぶ前にぐらりと視界が揺れる。カウンターに突っ伏した俺の肩をなまえがゆさゆさと揺らした。笑い声が降ってくる。

「ほんと、情けないねぇ、中也は」

それがあんまり優しい声だったので、今に見てろよこの女め、と思ったけれども呂律も身体も言うことを聞かず、口から出てきたのは「趣味悪りぃ」とたった一言だけだった。






ミゼラブル・ミッドナイト




160930



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