「わぁ、月島君!これは青天の霹靂!」
「……なにそのふざけた喋り方」
「えっ」

教室の扉を開けた瞬間、鉢合わせたみょうじが明らかに使い慣れない言葉でそんなことを言うので、とうとう頭が沸いたのかと思ったけれども違うらしい。こちらの反応を見てまさか、なんて顔をしたみょうじはおかしいなあ、と続けた。

「難しい言葉を使ってみたのだけれども」
「そもそもそんな言葉を使いこなせるほど、みょうじ頭良くないよね?」
「うっ、それは否めません」
「バカじゃないの」
「バカではない!」
「あっそう」

教室の入り口を塞いでしまっていたので、後ろからクラスメイトに声をかけられて横へと身体をずらす。
こちらを見上げたみょうじの耳下くらいまでの髪は、今日も両方が左向きに流れていた。このくせ毛が悩みの種だと前に溢していたことを思い出す。だったら伸ばして括るなりなんなりすれば、と言うと「月島は長い方が好きなんだ、ふぅん」とよく分からない返事が返ってきたのはまだ記憶に新しい。

「今わたし、難しい言葉を使って頭良くなろう週間なの」
「そのネーミングセンスが頭悪いと思う」
「えっ」

そもそも青天の霹靂って漢字で書けるの?と聞いてみれば、わざわざ席までついてきたみょうじはぎくっと分かりやすく反応した。
書いてみなよ、と次の授業のノートを取り出して差し出すと、前の席へ座ったみょうじはうんうん唸って時折こちらをちらりと盗み見ながら、苦しそうに「晴天の」と書いた。
そこからか。思わず吹き出す。

「君ほんとバカだね」
「否めません」
「まず"せい"の字から間違ってるから。青だから」
「えっうそ」
「ほんと」

どんな字?と身を乗り出してみょうじが聞いてきたので仕方なく丸っこい字の横に"青天の霹靂"と書いてやる。「おお、」と感嘆の声を上げてから、みょうじは無駄に目を輝かせてこちらを見つめてきた。

「さっすが月島、頭良い人はこんなややこしい字も書けるんだね」
「…別に大したことない」
「えっ、そうなの」

そっかぁ、わたしほんとバカなのかなぁ、とか言いながら人の机に頬杖をつくので、払い落としてやれば「おわっ」と女らしからぬ間抜けな声とともに顔が下へ落ちる。間一髪で机に顎を打ち付けずに持ちこたえたみょうじが恨めしそうに見上げて来たので鼻で笑ってやった。

「頭良くなりたい」
「もう手遅れデショ、君は」
「だって、月島はさ、付き合うんならバカより頭が良い女の子の方が好きなのかなって」
「………はぁ?」

今度はこっちが間抜けな声を出す番だった。
みょうじは跳ねた髪を撫でつけてから、さっと立ち上がって教室を出て行く。チャイムが鳴って、入れ替わりにやってきた先生が「はーい、さっさと座る!」と言ったので、後を追いかけることも出来ずにその背中を見送った。たぶん、チャイムが鳴らなくても先生が入ってこなくても、僕はきっと呆気にとられて立ち上がれなかっただろう。

「今日は62ページから…」

上の空で教科書を開いてから、ノートの隅っこに書いてある文字を思い出してなぞる。

「青天の霹靂、ねぇ、」

一度も振り返らずに出て行ったみょうじの赤い耳を思い出したら、なんだかその温度がうつったみたいに顔が熱くて、誰にも見られないようにとそっと顔を伏せて息を吐き出す。とりあえず授業が終わったらみょうじを引っ捕まえて漢字を教え込んでやろうと思った。






青天の霹靂





161008



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