夜も更けたヨコハマの街はネオンは明るいが月が出ていなかった。態々新月の今日を実行の日にと選んだわけであるけれども、それにしても矢張り暗いなと思う。

急成長した成金の大企業が如何やら巷でクスリや銃火器の売買などマフィアまがいの事をしているらしい、しかも此方のシマなど気にせずに、である。本来ならば暗殺一択のはずであったが何の気まぐれか、首領は其れを傘下に置きたいらしく、成金社長の娘を連れてこいと中原へ命じた。

「……無駄に広いな」

警備はしっかりしているものの広い敷地で其れをかいくぐるのはいとも容易く、あっという間に矢鱈と大きな屋敷の、目当ての部屋のバルコニーへと辿り着いた。大きな窓は無用心というべきかカーテンは引かれておらず、中が丸見えだった。大きな天蓋付きの寝台に申し訳程度の化粧台、成金の割には随分とシンプルな部屋だ。明かりは消えている。
音を立てぬ様そっと窓を割り鍵を開けると、するりと中へ滑り込む。目当ての娘は寝台の上の様で、小さな寝息をたてているらしかった。大人しく寝ているのならば話は早い。そう思いながら寝台へ近づく。

「……何方様?」

しかし突然響いた声に中原は思わず動きを止めた。目の前の寝台から聞こえてきた声だった。

「何方様?」

中原が答えずにいると、声の主はもう一度そう尋ねた。
ごそごそと寝台に横たえていた身体を起こし、それから怯える様子もなく、目の前に立っている侵入者を見つめる。
これは随分と面倒くさいことになった、と中原は思った。暴れられたりましてや悲鳴をあげられれば厄介だ、一先ず気絶させるか、と考えるが娘は一向に悲鳴をあげる様子はない。じぃっと、その双眼で中原を見つめるばかりだった。

「こんな夜更けに乙女の寝室へ忍び込むなんて、貴方きっと悪い方なのね」

怯えるでもなくただ淡々とそう続けた娘は、化粧も何もしていない所為か写真で見るよりも幾分か幼く見える。
お嬢様らしく色白な肌に小さな赤い唇、腰程迄ある黒髪は艶やかで成金娘と雖も矢張り気品を感じさせた。

「悪ぃが大人しくついてきてもらおうか。恨むんなら手前の親父を恨みな」

言いながら寝台のすぐ横へ行くと娘は「あら」と中原を見上げる。まるで観察するかの様にしげしげと。

「あたくし、殺されるんじゃあないんですね」
「は?」
「残念です。嗚呼でも、此処から出られるのは嬉しゅうございますわ」

思いも寄らぬ台詞に中原は些か混乱したが、まぁ抵抗しないのであれば問題はないであろうと思い直した。自分の任務は兎に角この目の前の娘を連れ去ることである。「其れで、」娘はまだ喋るらしかった。

「貴方、お名前は?」
「はぁ?手前に教える義理なんざねぇよ」

此れから自分を誘拐しようとしている男に名前を聞くなど、どうにも変わった娘だ。暴れる様子はないけれどもさっさと気絶させて連れて行こう、と待たせてある車の運転役に連絡する為携帯を取り出した。

「それは困りました。でしたら仕方ありませんわね、大変可笑しな帽子を被った成人男性の平均よりもえらく小柄な悪漢さん、とお呼び致しましょうか」

ビキッと携帯の画面にヒビが入る。
粉砕しなかった自分の自制心を褒めてやりたいと思いながら、中原は震える手を抑えつつ娘の方へ向き直った。

「おいコラ手前もう一遍言ってみやがれ」
「えぇ、ですから大変可笑しな帽子を…」
「まんまと繰り返してんじゃねぇよ、手前自分の立場わかってんのか!!?」

怒鳴る中原に娘は涼しい顔で「しぃー、静かになさいませ」とまるで子供に言い聞かせる時の様に言ったので、それが余計に神経を逆撫でした。

「手前此れが任務じゃなけりゃあ殺してるぞ!」
「任務ということは、貴方は何方かに顎で使われてらっしゃるのですね。大変可笑しなぼう…」
「中原だ!!」

中原さん、と娘が繰り返したので、勢いに任せて名前を教えてしまった事を後悔した。娘はふと視線を自分の手元、シーツの上へ落としそれから「貴方はあたくしを殺せないのですね」と呟く。
しかしその意味を訪ねる前にすぐに顔を上げ、苛々と自分を睨む中原を見つめる。

「中原さん、あたくしを拐かしてください」

そうして、彼女は酷くまっすぐに、何かを渇望する様に、中原にそれを告げたのだった。





不躾な献身




160907
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