01
「なまえ、なまえ、頼むよ」
そう言ってずりずりと自分に縋る男を無感動に見下ろした。頼むよ、というのはこれの口癖で、私の方も随分とその言葉に慣れてしまっていた。
「…どうすればいいの」
パッと顔を上げたその表情はほっとしたようなそれとも何かを勝ち取ったような、昔は無条件にこの顔が見られるだけでなんでもやれると思っていたけれど、文字通りなんでもやりすぎた私はもはやただの便利屋と化している。それでもこの男の元から離れられないのは他に行くところがないから、その一つだけに限る。
「あっ、すんません」
「気ぃつけろ餓鬼が」
繁華街を歩く人の間を縫って、そこそこに安全そうで金のありそうな奴を見繕い懐から財布を抜き取る。昔から手先が器用だった。それだけで私には女として身体を売るよりも掏摸の方が存外楽な仕事である。
路地裏に滑り込んで財布の中身を確認すると、柄の悪い持ち主の見た目に反してピンと綺麗な新札が十数枚、丁寧に入れられていた。それから小さな袋に入った白い粉も。あらまぁ不用心なことで。札だけを抜いて懐へ捩込む。
あともう一人二人、それくらいで事足るだろうと用済みの財布をその辺へ放って再び通りへ出た。髪を入れ込んだ帽子を深く被り直す。丈の長い外套と大きめの服で誤魔化して仕舞えばそこらの浮浪児の男子とさして変わらない。女と気取られない方が仕事はしやすかった。
「すんません」
適当な男の懐へ手を滑り込ませて何事もなかった様に暫く歩き、それから路地裏で戦利品の中身を確認、それを何度か繰り返せば彼奴の借金の今月分を返済してもそれなりの飯にありつける。
「一寸待て」
擦れ違いざまにぐいと腕を掴まれて、全身から血の気が引いた。不味い。顔を伏せたまま目だけで男を見上げると、淡々とした表情で此方を見下ろしている。赤毛で屈強な体躯ではあったが、厄介な匂いはしないと思ったのに。
「…お前、女か」
男は少し意外そうな声で言うと、此方へ来いと腕を引いて手近な路地へと私を押し込んだ。抵抗しようにも大きな手はビクともせず、きっと死ぬか良くても嬲られるか犯されるか、そんな所だろうと半ば諦め気味に目を閉じる。
「ひとりか」
「…」
「歳は幾つだ」
「…十八くらい、」
「孤児か」
「まぁそんなとこ」
男は何時まで経っても私を殴る様子は無かったし服を脱がせたりベルトを外す様子も無かった。その辺に転がっていた麦酒のケースに私を座らせて、自分の財布を懐へ戻したっきり、触ってくる様子もなくただ質問を繰り返すだけだ。
「最近この辺りで掏摸が横行してると聞いていたが、単独とは思わなかった。お前、ここら一帯がマフィアのシマだと知ってるか」
「あんたマフィアなの?」
「まぁそんなとこだ」
「ふぅん」
男はふうと息を吐いて頭を掻く。それから少し考え込んだ後、私の帽子をひょいと取り上げた。
「仕事なら紹介してやる。足洗え」
「水商売ならやんないよ」
あと娼婦もねと付け足すと僅かに眉を潜める。「家はあるのか」と聞かれたので私はどう答えるべきか悩んだ後、首を左右へ振った。
「住み込みだな」
「だからやんないってば」
聞こえないフリなのか何なのか、男は声を荒げる私を無視して何処かへ電話をかけ始める。
話聞けよおっさん、と捨て台詞を吐いて立ち上がると目敏く首根っこを掴まれた。外套を捨ててしまおうと袖を抜くと今度は身体が浮く。すっかり小脇に抱えられた私は逃走を諦めてだらりと四肢の力を抜いた。
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