06


暖簾を下ろして何時までものろのろと呑んだくれる常連さんを追い出し、大将が作ってくれたうどんをかき込んで自室へ引っ込む。
ぼんやり見上げた空は矢張り薄暗く星ひとつ見えないので、嫌だなあ都会の空って、と独り言ちた。隣で笑ってくれる人はいない。
ゴソゴソと懐から小さなピンク色の包みを引っ張り出す。可愛らしい包みがさぁ開けてくださいと言わんばかりにリボンをふりふりさせるので、此れが織田作の手のひらに収まっている所を想像して、私は思わず少し吹き出した。似合わないなあ。
端っこを持って引っ張れば簡単にリボンは解けてしまった。包装紙を破らない様に慎重に剥がすと、いよいよ中に包まれていた天鵞絨の箱が顔を出す。開けなくったって、中身が何かくらい分かる。

「あは、馬鹿だなあ、織田作」

ひと思いにえいっと開けると、其処には小く折り畳まれたバースデーカードが添えられて、指輪がキラリと光っていた。

「だから指輪は、仕事の時、着けられないって言ったじゃん」

開いたカードをひっくり返してみたけれども何も書いていない。真っ白なそれを隅々まで眺め回して撫でてみたけれども、文字が浮かび上がることなんてなくて、しかしぶっきらぼうな割にどことなく繊細に並ぶ『happy birthday』の文字は確かにあの無骨な大きい手で書かれたものらしかった。
おっかなびっくり指輪を取り出して、入らなければ良いのにと思いながら指を通すと、期待は見事に裏切られ私の左手の薬指にすっぽりと収まる。至極シンプルなデザインの其れは、初めからそこにあったかの様にぴったりと私の指に吸い付いた。

「なんで、」

俯いた拍子に漸くぼろりと、ずっと堪えていた涙が零れ落ちて膝を濡らした。
どうして私と生きてくれなかったの。どうして私を生かしたの。どうして、なんで、私を、

「なんでぇっ…?」

私を選んでくれなかったの。
ぼたぼたと落ちる涙が膝と、膝に置いた手と、其れから指輪をしとどに濡らす。その度にまるで星の様に指輪がキラリと光って、どうしてとか馬鹿野郎とか、ありがとうとか、言う相手のいない言葉だけがゆらゆらと私の頭の中を彼方此方動き回って漂った。
恐る恐る指からキラキラ光る星を抜き取ると、案外あっけなく外れてしまった其れの内側を覗き込む。『I love you』なんて流石にやめくれよなんて思いながら文字を探すと、そこに刻まれていたのは、私と織田作が初めて出会った、その日付だった。

私は織田作に出会ったあの日に生まれた。

とうとう我慢が出来なくて、窓が開いていることも忘れて私は声を上げて泣いた。
夜の帳をとっくに下ろした街はそれでも矢張り星よりも煌々と明かりを灯していて、ちっとも私に優しくしてくれる様子はなかった。こんなに街は明るいのに、私が抱きしめたい人は何処にもいないのだ。世界にたった一人になってしまった様な気がして、私は夜通しわぁわぁと泣き続けた。何時までもこのまま夜が明けなければ良い、と思った。


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「やぁなまえちゃん、今晩は」
「久し振りだねぇ太宰」

相変わらずひょろ長い太宰の後ろからひょっこり、男の子が顔を出す。「名前は?」と聞くと「中島敦です」と律儀に会釈して見せたので、可愛いなあと思わず笑いながら、二人を何時ものカウンターに案内した。

「なまえ、君のお勧めは有るかい?」
「ううーん、そうねぇ、鰤のカマ焼きなんて如何かしら?」
「じゃあ其れを」

にんまりと笑う太宰に「そろそろツケも何とかしなさいよ」と釘を刺すと、隣に座った淳君がギクリと肩を揺らす。そんなことは気にもせずに手を伸ばした太宰は一つに縛った私の髪をくるりと指へ絡ませた。

「それにしても、君は随分綺麗になっちゃったねえ、なまえ」

美しいかんばせはそのままに、太宰が言う。
あの人が居なくなってから、そういえば、綺麗になったねとか色気が出てきたねとか、そんな風に言われることが増えた。

「流石にもうちびっ子じゃあないからね」

太宰に負けじとにやりと笑う。
「此れは参ったな」ケタケタと笑った太宰は今度はするりと私の手を取り指の長い手でそれを撫で上げた。

「処でそろそろ如何だいなまえ、私と心中してくれる気にはなったかな?」
「生憎、私は心中するなら自分の愛した人とって決めてるのよ」
「……それは、仕方がないねぇ」

太宰のひんやりと冷たい手が離れていく。
したり顔で笑ってやってから、私はくるりと踵を返した。
チャリ、と首元で細いチェーンに通した指輪が音を立てる。

『お前はそっちの方が似合う』

何時かのあの人がそうっと言って、 精悍な顔立ちでほんのすこぅし目を細めて私を見つめていた。


161031 fin.

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