ラブ・タックル
ナミとロビンが寝たことを確認してそっと女子部屋を出る。
一直線に向かったのは船のキッチン。
もう部屋に戻っていてもおかしくない時間だから、キッチンにまだいるかは賭けだった。
そして賭けは私の勝ちだった。扉に付いている丸窓から僅かに光が漏れている。
扉に手をかけるが押す勇気がない。
玉砕しに行くのだから賭けは負けといったほうが正解だなーなんてこの後に及んでぼんやり思案していると、私を呼ぶ声と同時に目の前の扉が勝手に開いた。
「おーい、ナマエちゃん? 寝惚けてる?」
「えっ! 何で私って分かったの?」
「ナマエちゃんが俺の近くにいるのに気付かないなんてことあるわけないだろ」
こんな軽口皆に言っていることは知ってる。ここに立つのが私じゃなくてナミやロビンでも同じ対応だろう。
そんな事より、顔を見る前に私だと分かってくれたという事実が全てだ。単純に嬉しくて嬉しくてたまらない。
こんな些細な私の幸せを自ら壊すのかと思うと気が重いが、ここまで来たらもうあとには引けない。
引けないと思うのだけれど、言葉にするにはもう少し勇気が足りない。だからほんの少し嘘を付くのを許してほしい。
「喉が乾いて起きちゃった。水、飲みにきたんだ」
「それなら少々お待ちください。すぐに準備しますよ」
そう言いながらサンジくんがカウンターまでエスコートしてくれる。その芝居がかった仕草もサマになっていてかっこいいのだから狡い。
片付けの済んだピカピカのキッチンで用意してくれたのは温かいハーブティーだった。
水でいいって言ったのにわざわざ準備してくれる優しさが胸を締め付ける。
「これ、すごく飲みやすいね。それに甘くていい香りがする」
「良かった。絶対ナマエちゃんの好みだと思ったんだ。買っておいて正解だったな」
何かと名前を呼んでくれるところが好き。
サンジくんの作ったものを口にする私を見て笑っている姿が好き。
私だけが特別なんて勘違いしていないし、サンジくんの言葉を、視線を独り占めしたいわけじゃない。
ただその心に一歩踏み込みたいと思う。
核心に触れさせようとしない見えない壁にヒビを入れたくてこの言葉を言うんだ。
「あのね、サンジくん。私ね、好きなんだ、サンジくんのこと」
ぶつ切りの言葉を一句一句口にする。
カップに映る自分しか見えていないからサンジくんの様子は分からない。
ただ、言葉にならない言葉が聞こえることから困っていることだけは伝わってくる。
「ごめん、困っちゃうよね。付き合ってほしいとかいうわけじゃなくて、知ってほしかったというか……自分勝手を承知で言っちゃった!」
努めて明るく振る舞う。冗談にするつもりはないが少しでも軽く受け止めてほしい。
恐る恐る見上げたサンジくんはやっぱり困り顔で笑っていた。
「ナマエちゃんがおれに惚れてるなんて……おれなんかよりもっといい男が腐るほどいるはずだ」
断られること前提だったとは言えど、この振られ方は予想外だった。
まさか自身を卑下したうえに他の男を勧められるとは。
ショックを受けるより何だかムカムカしてきた。
「私はサンジくんが好きだから伝えたの。振るなら気持ちがないってハッキリ言って。勝手に私の気持ちを疑わないで!」
本心といえど告ったヤツがキレるなんて理不尽もいいとこだろう。
こうなると開き直るしかない。元より玉砕しに来たのだ。
今後を考えると全てぶちまけてスッキリした方がいい。
……自己満だと言われれば返す言葉もないが結果を求めない告白なんてそんなもんだ。
「悪い、こーゆう時なんて言うべきかわかんねェんだ」
タバコにライターを近づけるも中々火が付かない。もしかしてサンジくんは動揺しているのだろうか。
スマートに振られると勝手に想像していたから気が抜ける。
思わず笑ってしまうと、サンジくんはバツが悪そうに頭を掻いていた。
「おれは本当にナマエちゃんに惚れられるような男じゃねェんだ。レディを見ると無意識にあぁなっちまうし、特定の誰かを愛せる男になれる気がしねェ」
サンジくんの瞳は私の後ろの壁を映しているみたいだけど、心は私の姿を映しているような気がした。
「サンジくんのはホント病気だよね。しかも不治の。でも女性に優しいだけで女性にだらしないわけじゃない……と思ってる。あぁ、でもさすがに人魚見て輸血したのは心配したなー。あと呆れた!」
「かっこ悪いって思わねぇの? 男らしくねぇ!とか」
いつもは紳士然とした姿とはかけ離れた子供のような問いかけだった。
新たな一面を見れたことでまたしても胸がきゅっと締め付けられる。
「思わないよ。むしろ後で思い返してやっぱかっこいいなって思う。きっと私も病気なんだろうね」
「……不治の?」
「どうかなー?いざとなったらチョッパーに薬を開発してもらうよ」
「こーゆうことに関してチョッパーじゃ頼りにならなさそうだ」
チョッパーからカウンセリングを受けるところを想像してみるが、恋というものを一から説明する自分が思い浮かぶ。
しかも上手に説明できずにしどろもどろになって、さすがのチョッパーも匙を投げる。割とリアルに想像できた。
「うん、チョッパーはやめておこうかな。ナミやロビンのショック療法の方が良さそう」
「それ、おれは冗談抜きで雷落とされるやつだな」
自然とお互い笑みが零れる。
告ったことで気まずくなって航海に影響がでるという最悪な事態は免れたようでこっそりと安堵する。
僅かに残っていたハーブティーを飲み干して、空になったカップを洗うためにシンクに向かう。
洗うと言うサンジくんを無理矢理押しとどめて、隣に並び立つ。
「当分はどんなサンジくんでもかっこいいなって思っちゃうよ。面倒な女に惚れられたと諦めてね。それが迷惑ならはっきりと断って」
サンジくんの性格上、はっきりと言うことなんて出来ないのは分かっている。
仲間よりも少し特別な存在にになりたいのなら、これくらい強気じゃないとはじき返されるだろう。
「ご馳走様でした。長々と話しちゃってごめんね、おやすみなさい」
話はこれで終了とばかりに一方的に告げて扉に向かう。
言いたいことは言えたからこれで今日はゆっくりと眠れそうだ。そう思ったのに。
「ナマエちゃん、ありがとう。おやすみ」
余裕をもって去りたかったのに最後の最後にあの緩い笑みと優しい声の合わせ技は反則だ。
ふらふらと部屋に戻ったのはいいが、あの笑みと声を思い出して当分眠れそうになかった。